その日、賞金稼ぎマッド・ドッグは、とある女から依頼を受けた。
  復讐に塗れた、人殺しの依頼だった。
  金額は、どこからそんな金を引き出したのか、1200ドル。
  ちらりと視線を向けて問えば、家財道具全て売り払った、文字通り全財産だという答えが返って
 きた。
  マッドは口角を吊り上げて笑みを作ると、それを黙って受け取った。一文無しとなった女に、そ
 れを突き返すほどマッドは優しい人間ではなかったし、それにそんな事をすれば女の矜持を叩き折
 る事になりかねない。
  だから、マッドは容赦なく、しわくちゃの紙幣を全て懐に仕舞い込んだ。
  交渉は成立だ、と言って。
  女が、危険かもしれない、と告げた。
  マッドは賞金稼ぎで、今までも十分に危ない橋を渡ってきて、名実共に西部一の賞金稼ぎである
 事は周知の事実だ。だが、それを差し引いても、今回の依頼は厳しいかもしれない。
  けれどもマッドは女の台詞に、小さく首を竦めただけだった。

 「こんな依頼、ちょっとした演技がありゃあ出来るもんさ。なにせ、文字にしてみりゃあ、三文小
  説にしかならねぇ内容だからな。」




  Dime Novel





  マッドは酒場で、もぎゅもぎゅと食事を取っていた。
  目の前にある舌平目のムニエルを、器用に骨を抜き取りながら口に運んでいるマッドの様子は、
 マッドの目の前にいる男達に思う存分曝されている。
  アルコールよりも、今は食事に夢中のマッドは、ムニエルに添えられている人参を頬張りながら、
 自分の目の前に並んでいる男達を見て、首を傾げた。
 
 「なんだ、お前ら。雁首揃えやがって。」
 
  俺になんか用か、と口の端にホワイトソースを付けたまま首を傾げるマッドの姿は、生憎と西部
 一の賞金稼ぎには見えなかった。 
  だが、そんな姿に溜め息を吐きつつも、男達はこれが自分達の王なのだという事を、嫌でも自覚
 させられている。自覚がなかったものは、洩れなくあの世に送り込まれている事だろう。
  気を取り直して、キャベツとベーコンのホワイトソース和えに手を付けているマッドに、男達は
 問い掛けた。

 「マッド。お前、また妙な仕事を引き受けたそうじゃねぇか。」
 「あん?てめぇらの手を借りるような仕事じゃねぇぞ?」

  男達の唐突な物言いに、マッドはフォークを口に咥えたまま答える。
  子供っぽいが、明らかに不機嫌になった王に、男達は慌てた。

 「別にお零れに与ろうってわけじゃねぇ。ただ、その仕事はちょっとばかり厄介だと思って、言い
  にきただけだ。まあ、お前の腕を信用してねぇわけじゃねぇが。この時期にその仕事を持って、
  この街に来るのはまずかった。」

  マッドの機嫌を直そうと、しどろもどろになる男達を睥睨し、マッドは口からフォークを引き抜
 くと、眼を瞬かせた。

 「何が、まずいんだ?」

  マッドは自分の仕事内容を振り返っているような仕草を見せて、男達に聞いた。機嫌はもう、悪
 くないらしい。その事実にほっとして、男達はマッドに確認するように言った。

 「お前の仕事は、キースっていう男を殺す事だろう?」
 「ああ。それにしても、もう噂になってんのか。早ぇな。」
 「当たり前だ。そんな男は俺達だって知らない。だからお前もあちこち探っただろう。その噂が届
  いただけだ。」

  足を付けるなんてお前らしくもない、と苦々しげに告げる男達に、けれどもマッドは特に問題が
 起こっているような表情は浮かべずに、むしろ笑みさえ浮かべている。
  それは恐らく、足は付いたが獲物の居場所が分かったからだろう。そして足が付いたとしても処
 理できると踏んでいるのだろう。そしてそれは間違いがない。

 「それだけか?お前達の不安は?」

  端正な顔に、壮絶に妖艶な笑みを湛えて、あやすように問いかける西部一の賞金稼ぎ。それは、
 例え口の端にホワイトソースが付いていても変わらない。
  が、あからさまに狙うようにそんな顔をされても――しかもホワイトソース付――慣れた同じく
 賞金稼ぎである男達には溜め息の材料にしかならない。

 「違う。まあ、お前が足を付けなけりゃ、こんな心配はしなくても済んだってのはある。でも、そ
  うであっても、この街に来る前に仕事を片付けてりゃ良かったんだ。」
 「だから、この街に何があんだよ?」

  ホワイトソースをようやく舌で舐めとって、マッドは首を傾げた。
  狙っているとしか思えない、絶妙な傾きを見せた首に、男達はますます溜め息を吐いた。こうや
 って何人の人間が、この男に落とされたのだろう。そして撃ち取られていったのだろう。
  そんな過去を思い起こしているときりがないので、取り敢えず、マッドの問いに答える事にする。

 「マッド。マリアって知ってるか?」

  基本的に興味のない事はとことん知らないマッドだ。きっと知らないだろうと思っていた。しか
 し、予想に反してマッドは頷いた。

 「知ってるぜ。有名じゃねぇか。」
 「知ってるのか。だったら話は早い。」
 「つーか、知らねぇ奴っているのか?世界で一番有名な女の名前じゃねぇのか?」
 「ちょっと待て、お前、一体誰の事を言っている?」

  明らかにおかしなマッドの回答に、男達は頭を抱えた。きっと、マッドはマリアの事など知らな
 い。事実、マッドはきょとんとした顔をして答えている。

 「聖母マリアの事じゃねぇのか。」
 「違う!」

  何故に、今この状況で聖母マリアの事なんぞ離さなくてはならないのか。
  がっくりと項垂れ、男達はそれでもマッドに情報を提供した。

 「マリア・ダンゼル。ブラック・マリアの異名を持つ賞金稼ぎの女だ。っつっても、賞金稼ぎらし
  い事は何一つとしてしてねぇけどな。」

  復讐に凝り固まった女。
  男達はそう告げた。
  昔、騎兵隊に男がいたらしく、その男を殺され、そして復讐の為に賞金稼ぎとして生きてきた。
 男を殺した者を捜す為に。そしてその傍らには、志を同じくするのか、ひっそりと一人、別の女が
 付き従っているのだ。

 「つまり、そのマリアって女が捜してる奴ってのが、俺の獲物って事か?」

    状況を理解したマッドは、ようやくアルコールに手を伸ばした。白ワインの入ったグラスを傾け
 ている王に、雁首揃えた男達は神妙に頷いた。

 「俺達も、マリアが誰を捜しているかまでは知らなかった。何せ、他人とつるむ事のない女だから
  な。ただ、お前がキースを捜してるって事が噂になってるだろう。だから、マリアも聞き逃せな
  かったんだろうよ。お前がキースを捜してるっていう詳細を知る代わりに、自分が捜してる奴が
  キースだって事を告白しやがったのさ。」
 「そんで、マリアは俺を捜してこの街に来たって事か?」

  グラスの中で揺れ動く白い水面を楽しみながら、マッドは問いかけた。
  誰ともつるまないマリア。同じ賞金稼ぎの伝手は頼れず、しかも女となれば、きっと情報屋もろ
 くな情報を与えないだろう。
  一方でマッドは、誰もが知る賞金稼ぎの王だ。その一睨みで、誰もが情報を投げ出す。
  マリアは、その事が分かっているのだろう。マッドならば、自分の知らない情報を知っている、
 と。だから、マッドを捜して、この街に来ている。
  そして、マリアがマッドの接触する事で、マッドの機嫌を損ねないかが賞金稼ぎ達には心配なの
 だ。マリアのような女が、マッドの扱いを心得ているとは思えない。
  しかし賞金稼ぎ達の心配を余所に、マッドは笑みを湛えてグラスを持った手で男達の背後を指差
 す。

 「で、マリアってのは、あの女か?」

  ぎょっとして振り返る賞金稼ぎ達の肩越しに、淡い金髪の短い女が、鋭い目つきをして立ってい
 た。挑むような眼差しは、確かに一人である事を好む眼だった。
  ただし、完全な孤独は望んでいない。

 「お前が、マッド・ドッグか。」

  女にしては低い声に、マッドは鷹揚に頷いた。
 
 「ああ。俺を見るのは、初めてか?」
 「そうだな……こんなに貧弱な男だとは思わなかった。」

  女の言い分に賞金稼ぎ達はぎょっとする。貧弱と呼ばれる事は、マッドは一番好まない。それを
 口にして、そのまま地面に沈んだ人間を何人も知っている。
  しかし賞金稼ぎ達の懸念は杞憂に終わった。
  マッドは笑みを消さずに、うっとりとした表情で女を見ていた。

 「じゃあ、てめぇがブラック・マリアなんだな?」
 「そうだ。マリア・ダンゼル……ブラック・マリアは他人が勝手につけた呼称だ。」
 「ああ……まあ、それは大した事じゃねぇ。それよりも、俺に聞きたい事があるんだろ?」

  手の中でグラスを弄びながら、マッドはゆったりとした口調でマリアに問うた。するとマリアは
 鋭い目つきをますます鋭利なものにして、声もそれに伴って刃物のような口調になって問うた。

 「キースの情報を、知りたい。」
 「つまり、俺の獲物を横取りしたいって事か?」
 「あの男は私が追いかけていた!私の獲物だ!」
 「マリア。お前はこの世界の摂理ってもんを知らねぇようだな。」

  マッドは、いっそ気だるげに見えるほど優雅な手つきでグラスを置くと、けれどもその黒い眼に
 射殺せそうな威圧を込めて、吐く。

 「良いか。俺は正当に依頼を受けて獲物を追いかけている。お前みたいに復讐に走ってるわけじゃ
  ねぇ。つまり、てめぇが復讐とやらに駆られて俺の邪魔をするってんなら、この場で撃ち取って
  も文句を言われる謂れはないんだぜ。」

  低く、獣の警告音のような唸り声を耳にして、ようやくマリアは自分が誰に対峙しているのか理
 解したようだ。

 「ついでに言うと、正当な依頼もねぇまま突っ走れば、てめぇは間違いなく犯罪者。つまり、俺に
  撃ち取られる人間になるわけだ。」
 「お前に、私を撃ち取れるとでも?」
 「あ?やってみるか?俺は構わねぇぜ?弾の無駄になるだけだし、面倒だがな。」

  負け惜しみのようなマリアの言葉に、マッドはあくまでも優雅な口調で、しかしばっさりと切り
 捨てた。
  凄まじい威圧感を同時に突き付けられたマリアは、もはや言葉も出ない。
  そんなマリアに、マッドは柔らかく声をかけた。

 「まあ、俺も鬼じゃねぇ。情報ならくれてやっても良い。ただし、俺もこの情報を得る為にそれな
  りの金を使ったんでね。ある程度の支払いはして貰うぜ。」

  にっこりと笑みを浮かべたマッドの申し出に、マリアは苦い表情を浮かべた。
  だが、最後には遂に頷いた。