誰よりも何よりも追い求めていた姿があった。他の誰にも渡すものか、そう思っていた。西部一
 の賞金稼ぎとさえ呼ばれるくらいに銃の腕を磨き、強靭にあろうとしたのは、もしかしたらその姿
 を誰にも盗られたくなかったからかもしれない。
  だから、ブッチとバットが狙っていると聞いた時、はっきりと怒りを覚えた。
  あれは、俺の獲物だ。
  殺されて、墓に埋められた今でも尚、そう思っている。だが、その思いとは裏腹に、心の底が恐
 怖でのた打ち回っている。
  情けないくらいの蘇りが、あの男の眼にどう映るのかが、掛け値なしに怖い。呆れるか、嫌悪の
 眼差しで見られるか。決着が着いていない時は良かった。どれだけ呆れられて嫌がられても、結局
 のところ決着は先延ばしにされていたのだから。
  けれど、決着の着いた今は?

  想像のつかないそれは、想像がつかないが故に、恐ろしい。





  時折立ち寄る町で、自分の名が挙がらない事に、マッドは安堵する。マダムと主人は、こちらが
 一方的に取り付けた約束を守ってくれているようだ。
  代わりに耳にするのはブッチとバットの噂だ。何処そこで誰を撃っただとか、町に居座って牛耳
 ろうとしているだとか、碌な話は聞かない。その中でもどうしても耳に入れてしまうのが、二人が
 サンダウンを追いかけているという話。賞金稼ぎ達を集め、サンダウンを追い詰めようとしている
 のだと、とある酒場で耳にした。
  サンダウンがそう簡単にやられたりしないであろう事は、マッドが一番よく知っている。ブッチ
 もバットも、銃の腕だけを見ればマッドよりも格段に劣る。しかし、賞金稼ぎ達を集めているとな
 れば、話は別だ。賞金首を捕える為に、マッドのようにわざわざ決闘などという手を使う必要はな
 い。正直な話、どれだけ卑怯な手を使っても構わないのだ。自分達だって、クレイジー・バンチと
 やり合った時は罠を仕掛けた。
  背後から撃つのか、それとも一斉に撃ち落とすつもりか。
  マッドが意地でも取らなかった手段を、今、あの二人がサンダウンに向けて放とうとしている。
  再びサンダウンの前に姿を見せるだけの決心はつかない。徹底的に負けたという事でプライドが
 引き裂かれたというよりも、再び見えた時のサンダウンの眼差しが怖い。だが、あの二人にその首
 を渡すのは惜しい。ならば、ブッチとバットがサンダウンを見つけるよりも先に、自分がブッチと
 バットを見つけ出し、仕留める。そうすれば、奴らに唯唯諾諾としている他の賞金稼ぎも、瓦解す
 るだろう。
  そう決めて、マッドは半月、バットとブッチを探した。
  あちこちで騒ぎを起こす連中は、マッドが考えていたよりも早く見つかった。
  しかし、マッドの望みを嘲笑うかのように、二人は既にサンダウンを見つけ出していた。




  場所は、安っぽい作りの、しかし二階まである大きめの酒場だった。木の階段を上がった二階か
 らは、一階の様子が見渡せる。二階でフードを被ったまま――砂塵の多い地域ではフードを被って
 いる事は珍しくない――酒を飲んでいたマッドは、何の気なしに一階を見下ろしながら、これから
 どうするかを考えていた。
  以前は考える事の少なかった『これから』の事。もしもこのまま死んだままにしておくつもりな
 ら、この土地には長い間はいられないだろう。では、自分が以前住んでいた場所に戻るか。そう考
 えて身震いした。それだけは出来そうにないし、やろうとしても許されないだろう。
  考えながらボトルを傾け、空になったグラスに酒を注ぎ込んでいると、酒場の扉が開く音がした。
 西部の酒場は昼も夜も関係なく、人が訪れる。だから、こうして扉の軋む音も先程から幾度となく
 聞いている。それでも思わず顔を上げたのは、立ち昇る気配が平穏とは程遠いのと、良く知ったも
 のだったからだ。背筋が粟立つのは、恐怖の所為というよりも、歓喜の所為だ。長年刷り込まれた
 条件反射は、恐怖に慄く心を踏み越えて喜びをマッドに知らせる。
  擦り切れそうなポンチョと、汚れてくたびれた帽子。そこから覗く髪は砂色。背の高い影の形も、
 気配も良く知っている。ただ、その気配の中に紛れ込んだ暗い色は、疲労の所為か。
  人目を無視して一番隅の席に座った影に、マッドは自分の気配を殺す。誰よりも追い求めてそし
 て一番逢いたくない姿は、マッドがその気配に敏感なように、向こうもマッドの気配を知っている。
 彼が周囲に視線を向けていないのを良い事に、気配を隠してこっそりと酒場から抜け出そうとして
 いると、扉が再び開いた。ただし、サンダウンが開いた時よりも遥か<に騒々しく。

  どかどかとわざとらしく足音を立てて現れたのは、真っ赤なシャツを着た男――ブッチだった。
 その背後にはバットもいる。口元に粗野な笑みを浮かべた二人は、ぞろぞろと手下紛いの賞金稼ぎ
 達を引き連れて、酒場に踏み込んできた。その賞金稼ぎ達の中には、マッドが親しくしていた者も
 大勢紛れ込んでいる。それを苦々しく思っていると、ブッチとバットは自分達の登場に凝然とする
 酒場の空気など意に介せず、酒場の隅へと歩いていく。連中が目指すのが誰かなど、いちいちその
 軌跡を見ずとも分かる。酒場の隅にはサンダウンが居て、奴らはサンダウンを狙っているのだ。き
 っと、サンダウンが此処に入るのを見て押し寄せてきたのだろう。
  にやにやと笑う二人の賞金稼ぎは、サンダウンの前に立ち、テーブルに手を突く。

「サンダウン・キッドだな………。」
「よくもまあ、あっちこっち逃げてくれやがったもんだ。」

  二人の言葉に対するサンダウンの表情は、マッドのいる位置からは窺い知れない。ただ、気配は
 いつも通り――妙に荒廃した空気を見せているのだが――変わらない。じりじりと狭まる賞金稼ぎ
 達の包囲網にも、何の反応も返さない。

「てめぇの首に懸かった賞金5000ドル。俺達が頂くぜ。」

  引き抜かれたブッチの銃。次いで、バットの銃が。それを合図に周囲の賞金稼ぎ達も。
  その様が、マッドの神経を一気に逆撫でした。一人では何も出来ない癖に、これまで自分の前で
 尻尾を振っていた癖に、そうやってその男に銃を向けるのか、と。そのまま勢いよく立ち上がって
 しまいそうなくらい神経はざわついているが、マッドの頭の中は異様なほど冷静だ。マッドは近く
 で凍りついていたウェイトレスを捕まえると、その手に幾許かの金銭を握らせた。

「悪ぃけど、俺の馬を表に出しといてくれねぇか?」

  茶色の髪を高く結い上げた彼女は、怯えた眼差しでマッドを見る。その顔に笑みを一つ浮かべ、
 マッドは続けた。

「その金は窓硝子代だ。釣りはあんたが好きに使いな。」

  金に釣られたわけではないだろうが、ウェイトレスはこくこくと頷くと、足早に階段を駆け下り
 ――途中、こそっと一階で行われるであろう惨事に眼を向け――厩へと去っていく。その様子に、
 誰も気付かない。
  ブッチとバットはサンダウンに集中し、賞金稼ぎ達もサンダウンを前にして興奮と恐怖でいっぱ
 いいっぱいになっているらしい。
  それに対してサンダウンはぴくりとも動かない。

「どうした、怖くて動けねぇか?そりゃそうだろうな。こんだけ大勢の賞金稼ぎを前にしちゃあ、悪
 名高いサンダウン・キッドも手が出せねぇだろうなあ。」
「俺達はマッド・ドッグとは違う。あんな馬鹿みてぇに、一人であんたに突っ掛かって行ったりしね
 ぇんだよ。」

  その瞬間、サンダウンの気配が微妙に転調した事に、マッドは気付かなかった。逆撫でされた神
 経と冷静な頭の片隅が、心の底で震え上がっていた恐怖を捻じ曲げる。あの男にどう思われるだと
 かそんな事よりも、今、この場であの男を殺そうとする連中が、許せない。自分が生きている事を
 知られようが、あの男にその様を見られてしまおうが、もういい。それでどんな眼差しで見られよ
 うが、最悪、逃げ出してしまえば良いだけだ。腹を括ったその瞬間、マッドは周囲に視線を向ける
 余裕もなく、立ち上がっていた。
  立ち上がり様に、銃を抜いてバットの手を景気良く、撃ち抜いて。

「うがっ!」

  銃を取り落とし、血の吹き出した手を抑えて蹲る相棒に、ブッチが眼に見えてうろたえた。周囲
 にいた賞金稼ぎ達も、何が起きたのか分からないというふうに、ざわめいている。唯一、サンダウ
 ンだけが弾道を見抜いてこちらを見ている。
  その視線を出来る限り無視して、ブッチとバットを見下ろす。

「てめぇ!降りてきやがれ!殺してやる!」

  相棒を撃たれていきり立ったブッチが吠えた。それを見返して、マッドは殊更低く言い放った。

「てめぇが、俺を殺せるって?大きく出やがったな、ブッチ。」

  低いが良く通る声に、ブッチだけでなくバットも――賞金稼ぎ達全員が、眼を剥いた。サンダウ
 ンは――その表情を見る気もしない。
  サンダウンだけ見ないように気をつけながら、マッドはそれでも薄い笑みを浮かべてフードを勢
 いよく脱ぐ。

「その前に、俺がてめぇの首を撃ち取ってやるよ、バット、ブッチ。娼婦殺しの悪党が。てめぇらの
 首に懸けられた1000ドルの賞金は、この俺が頂いてやるよ。」
「マッド!てめぇ………!」

  生きてやがったのかと呻く声に、マッドは笑みを一つ送る。呆然とする賞金稼ぎ達の中には、す
 でに後退りしている者も何人かいる。

「さあ、てめぇらのうち、何人が賞金首になったこの二人について行く?」
「待て!俺らの首に賞金が懸かってるってのはどういう事だ!」
「てめぇら自分が娼婦を殺した事も忘れてやがんのか。娼婦達の雇い主やその仲間が、てめぇらに千
 ドルの賞金を懸けてんのさ。」

  銃口をひたりとその額に合わせ、マッドは低く冷然と言い放つ。それに慌てるのはブッチだ。

 「あれの話はもう終わった事だ!」
 「残念。てめぇらが話をつけた保安官はあの後、話を翻したぜ。だから、てめぇらは晴れて賞金首
  になったってわけだ。」

  マダムと主人が賞金を懸けても、一度は決着のついた話だ。それを蒸し返し、勝手に撃ち殺せば
 それはただの私刑でしかない。その為、マッドは二人を探す前に、二人と取引をした保安官に会い、
 二人との取引を無効にするように言ったのだ。
  尤も、その為に、マッドが保安官を散々脅した事は伏せておく。黙っていても分かるだろう。

「てめぇ…………!」

  ブッチが吠えるのと、蹲っていたバットが突如銃を挙げ、マッドに向けて連射するのは同時だっ
 た。しかしそれよりも早く、サンダウンの銃がバットを撃ち抜いている。その直後には、マッドの
 銃も火を噴き、ブッチの額に鉛玉を送りつけていた。
  どよめきが徐々に湧き起こる酒場で、マッドは倒れた二人と、彼らを取り囲んで呆然と自分を見
 上げる賞金稼ぎ仲間を見下ろす。彼らに微笑み、そして身体の片側に痛いくらいの視線――誰のも
 のかなど、問うだけ無意味だ――を感じ、しかしそちらには一瞥すら寄こさず、身を翻す。閉じた
 窓に身体ごとぶつかり、そのまま地面へと落下する。
  落下した先には、気性は荒いが頭は良いディオが待っていた。マッドが落ちてくる場所を予想し
 ていたディオにすぐさま跨り、マッドは愛馬を走らせる。
  その背に、今度は鋭く立ち昇った気配が突き刺さった。危うく倒れてしまいそうなそれに、それ
 でもマッドは振り返らない。

  誰かが自分を呼んだような気がしたが。
  振り返らなかった。