夜はとっぷり更けている。それでも眠らないのがサルーンがひしめき合う町の一画だ。酒場は西
 部の男達が眠りにつくまでその扉を開き、賭博場もそれは同じだ。そして売春宿などは、いつでも
 男達を迎え入れられるよう、火を灯し続けている。
  数多くの娼婦を抱えたその売春宿も、決して例外ではない。大きいとは言えないが、しかし店を
 切り盛りする『マダム』と呼ばれる娼婦の筆頭と、かつてはならず者だったという、しかし今では
 物腰の柔らかな店の主人がいる店は、荒野を行き来する荒くれ者達の評判はすこぶる良かった。男
 達を受け入れながらも、しかし男に媚びる事のない女達は、荒っぽい西部の気性にも合っていた。
 尤も、女性の絶対数の少ない西部では、女性の地位は決して低いものではないため、女性の発言権
 も自然と大きくなるのだが
  何人かの客を迎え入れ、しかしそのまま火を灯している店のカウンターでは、マダムと主人が
 葉巻を吸っていた。いつでも新たな客を迎え入れる準備のある彼らの前に、ふらりと目深にフード
 を被った男が現れたのは、夜半を過ぎた頃だった。





  すらりとした影を伸ばした男の出現にも、場数を潜ったマダムも主人も顔色一つ変えなかった。
 名のある賞金首が訪れる事もあるし、その道では評判の悪い男達を泊める事だってある。だから、
 顔を隠した男を見ても、別段驚きはしなかった。
  しかしそれでも、主人がカウンターの下に隠してある銃に手元をやったのは、男が強盗である可
  能性もあるからだ。店の金を奪う為に、顔を隠している事だって考えられる。カウンター周辺に
  は、今は男と主人、そしてマダムの三人しかいない。

 「ようこそいらっしゃいました。お客様のお好みを教えて頂けますかな?」

  銃に手をやりながらも、しかし穏やかな口調で男の要望を聞く主人からは、その経験の深さを窺
 い知る事が出来る。そんな主人に、男は薄い笑みを孕んだ声で言った。

 「とりあえず、その物騒なもんから手を放してくれねぇか?俺はあんたらの店の金を奪いに来たん
  じゃねぇんだぜ?」

  言葉と共にはらりと落ちたフード。
  そこから覗いたのは、あらゆる色を呑みこんだような黒さを出す髪と、それと同じくらい黒い眼。
  端正な顔は、口元に薄っすらと笑みを浮かべている。
  その顔を見た瞬間、マダムはおろか、主人でさえ声を上げてしまった。

 「マッド!」

  二人の驚いたような声に、マッドは笑みを深くしてから、声を抑えるように手で示す。その仕草
 に二人は慌てて声を落とすが、しかし顔に張り付いた驚愕は消えない。

 「どうしたんだい!しばらく顔も見せないで!世間じゃあんたが死んだなんて噂が流れてるよ!遂
  にサンダウン・キッドに撃たれたとか!」

  声を殺しながら、それでも捲くし立てるマダムに、マッドは苦笑いする。マダムの言った世間で
 の噂は、基本的に正しいものだ。そして世間がそういうふうに認識している事に、やはりと思った。

 「とりあえず、店の奥に入れて貰えねぇか?此処じゃ話しづらいんでね。」

  小首を傾げて普段通りに告げるマッドに、マダムと主人は一瞬顔を見合わせた後、どちらがとい
 うわけでもなく頷いた。




  普通の客なら入る事はない店の裏方。名の売れたマッドだからこそ、入れる場所だ。女達の化粧
 道具やらが散在する中にマッドは居場所を見つけると座り、マダムと主人を見る。

「一つ訊きたいんだけどよ。」

  どれだけうらぶれた場所にいようと、売春宿の裏方で女物の衣類の中に座っていようと、それで
 もそれなりの気配を出せるのは、流石西部一の賞金稼ぎといったところだろう。葉巻に火をつける
 様一つをとっても、三流の賞金稼ぎとは比べにならない。

 「俺が死んだって噂が出回るようになったのは、いつ頃からだ?」
 「大体一ヶ月くらい前からだ。」

  主人が物々しく告げる。そこにあるのは、売春宿の主人というよりも荒ぶる西部の男だ。

 「お前さんがサンダウン・キッドに撃たれて死んだと、まことしやかに流れ始めた。そしてその日
  を境にお前さんの姿も見られなくなった。」
 「そうか………。」

  マッドは葉巻を燻らせ、主人の言葉に頷く。

  一ヶ月。ディオに掘り返されて貰って眼を覚ますまで、おそらく一週間。それからこの町に来る
 まで、出来る限り人目を避けてきた。町に着いてもサルーンは避けた。その期間が、ほぼ3週間。
 日数は、あっている。

 「あんたがいなくなってから、大変だったんだよ!」
 「何が?」

  マダムの声に、マッドは葉巻を弄ぶのを止めて顔を上げる。

 「あんたがいなくなって、ブッチとバットの奴が大きな顔をするようになったのさ。西部の賞金稼
  ぎは、実質あんたが一番上にいるからね。それはみんな知ってる。だからあんたがいる以上、荒
  くれた賞金稼ぎどもだって大きな顔はできない。けど、あんたがいなくなったって事で、羽目を
  はずす奴らが増えてんのさ。」
 「その中で一番酷いのが、ブッチとバットだ。」

  有名な二人組の賞金稼ぎの名前に、マッドは眉間に皺を寄せた。何度か話はしたが、あまりマッ
 ドの好みの連中ではなかった。

 「連中、何をしたんだ?」
 「娼婦を殺した。」
 「何?」

  これには流石にマッドも顔を強張らせた。娼婦は、町の道徳教育係である婦人連からは軽蔑され
 た眼で見られているが、立場は低くはない。娼婦の中から銀行頭取の夫人になる者だっているくら
 いだ。その娼婦に銃を向ける事は――それ以前に銃を持っていない者を撃つ事が、その場で縛り首
 になる罪だ。

 「他の町の娼婦も何人か殺られてる。うちの娼婦も二人殺やれた。」
 「………誰が?」
 「クレアとジャンヌさ。」
 「保安官は?」
 「無駄だ。二人と話をつけてしまっている。」

  主人はそういうと、マッドの顔を覗き込む。

 「それで、うちの店ではあの二人の首に賞金を懸ける事にした。」
 「二人合わせて1000ドル。奴らを撃ち取ったら、そのお金を払う。」

  マダムの言葉に、マッドは顔の強張りを解かないまま問うた。

 「そんな金、どっから出したんだ?確かに店は盛況だけどよ。」
 「店の娘達が出してくれたんだよ。クレアもジャンヌも、良い娘だったからね。それに奴らの好き
  勝手になんかさせるもんか。それに。」

  マダムもマッドの顔を覗き込む。マッドは、何を期待されているのか分かったが、それを敢えて
 無視する。

 「あんたが帰ってきたんだ。ブッチとバットに怯えて縮こまってる他の賞金稼ぎだって、手を挙げ
  るさ。」  「………悪ぃんだけどよ、俺が戻ってきたって事は当分の間黙っててくれねぇか?」

  短くなった葉巻を潰し、マッドは言った。

 「ブッチとバットを撃ち取って欲しいってんなら、やってもいい。けど、まだ、奴らに俺がいる事
  を知られたくねぇ。」
 「マッド?」
 「もう暫く考えたいんだよ。色々と。」

  死んだ事になっている自分の立ち位置。
  生きていたと分かればどうなるのか。
  あの男はどう感じるのか。
  既に終わった事を、もう一度始められるのか。

 「いいかい、マッド!良くお聞き!」

  マダムの声が耳元で聞こえ、思わずマッドは耳を塞いだ。驚いて見上げると、肝っ玉母さんさな
 がらの様相で、マダムが眼の前に立っている。

 「あんたが望む望まないに関わらず、自称他称に関わらず、あんたは西部の賞金稼ぎの筆頭なんだ!
  あんたが死んだと聞いた途端、西部は大荒れなんだよ!」
 「そうか?」
 「あんたは町から町に渡り歩いてるからその辺の変化が分からないのさ。けど、同じ場所にずっと
  いるあたしらから見りゃ、明らかに悪くなってるんだ。ブッチとバットが賞金稼ぎの筆頭みたい
  な顔をしてのし歩いてる。奴らは娼婦も平気で殺すし、性質の悪い悪党とも手を組む。奴らみた
  いなのが西部一の賞金稼ぎだったら困るんだよ。あんたも決して褒められた奴じゃないけど、少
  なくともあんたは奴らみたいに自分のしてる事が分からないほど馬鹿じゃないだろう。そんで、
  あんなのが大きな顔してたら困る事くらい、分からないわけないだろう。」
 「……………。」

  黙り込んだマッドに、次に主人が追い打ちと言わんばかりに静かに告げる。

 「ブッチとバットは、自分達がサンダウン・キッドを仕留めるんだと息巻いてたな。」

  途端に、ぴくりとマッドの肩が跳ね上がる。それに気付かぬふうで、主人は続ける。

 「賞金稼ぎを集めて仕留めるんだと言っていた。マッドのように決闘なんか馬鹿な真似はしない、
  とな。」

  徹底的に卑怯な方法で仕留めるつもりだな、と告げて、マッドの様子を窺う。そんな二人の前で、
 マッドは少し表情を消した。思考回路はぐるぐると同じところばかり巡っていて、最良の答えに辿
 りつくどころか、そこまでの道のりさえ思い浮かばない。マッドは一つ大きく眼を閉じて、再びゆ
 っくりと開く。

 「ブッチとバットは仕留めてやる。だが、俺が此処に来た事は誰にも言うな。金はいらねぇ。俺の
  事も何も、口にするな。」

  そう言い捨てると、マッドはフードを深く被り直し、売春宿を出た。