胸を貫いた鉛玉は、燃え盛るように熱く、痛みなど感じなかった。灼熱の塊が胸の中で肥大する
 中、掠れる意識で何とか笑みを浮かべて見せる。
  この瞬間をずっと待っていた。長い間、出会ってからずっと逸らされ続けていた銀色の照準が、
 やっと自分に合わさった。
  無視され続けるたびに、まるで置いてきぼりをくったような気持ちになっていたが、それもこ
 れで終わりだ。本当ならば、まだするべき事もしたい事もあったが、奇妙なくらい満足している
  背の高い男の影を、斃れる最期の一瞬の間でその眼に焼き付けた。
  その眼に、小さく悔恨の光が灯ったように見えたのは、きっと、死神が見せた幻覚だろう。




  胸に走った激痛で眼が覚めた。小さく呻いて薄く瞼を開くと、鈍い色をした分厚い雲で覆われて
 いる空が見えた。雨の近づきを知らせるどことなく鉄錆びた臭いと、草いきれの青い臭いが鼻腔を
 擽る。
  此処が地獄か。
  その割にはしけた場所だ。
  というか、普段見る青空が曇った時と大差ない。
  随分とばちあたりな事を考えていると、再び胸に激痛が走る。 顔を歪めて草の中に身を埋めて
 空を見上げていると、視界にぬっと黒い影が入ってきた。
  静かな黒い眼と黒い毛並み。
  一頭の黒馬が、見下ろしている。
  これが死を齎す蒼褪めた馬だというのなら、死というのは随分と現実味に満ち満ちているものだ
 ろう。首を下げて自分の 髪を食む馬の、鼻息まで感じられるのだから。

 「ってか、止めろ。」

  顔やら首筋に掛かる鼻息が生温かくて気持ち悪い。髪を食われるのも嫌だ。マッドは、ぶひぶひ
 とやたら鼻息の荒い馬の顔面を、手の甲ではたいた。驚いたように馬体を下げる馬を、視線で追い
 かける。馬ははたかれた感触を振り払おうとでもするかのように、首をぶるぶると振ると、もう一
 度性懲りもなく近づいてきて、マッドの顔を覗き込む。
  なんなのだ、この馬は。
  なんとなく、見た事があるような気がしないでもないが。
  しばらく、地面に寝転がったまま馬と見つめ合う。馬のほうは、なんとなく苛立ったように地面
 を足で叩いているが。その脚が泥に塗れているのは何故か。そして同じように、自分の身体も泥で
 汚れている、その理由は。

 「………ディオ?」

  マッドは、ようやく自分を見下ろす泥だらけの黒い馬に思い至った。すると、黒い馬――ディオ
 は、名前を言い当てて貰った事を喜ぶかのように嘶く。そして倒れたままのマッドの顔に、その顔
 を擦りつける。それを押しのけていると、マッドはこれまでの記憶を思い出し始めた。
  眼の前にいる馬は、クレイジー・バンチという荒くれ者集団を率いていたO.ディオのなれの果て
 の姿。
  そのディオを倒したのは、自分と、自分が追いかけている賞金首サンダウン・キッド。
  そして、ディオを倒した後、自分達は決闘して。
  そして。
  胸に走った、灼熱の痛み。
  サンダウンの銃弾は、その名に恥じる事なく、マッドの胸を貫いた。最期の瞬間に眼に焼き付け
 た姿は、はっきりと網膜の裏に刻まれている。あの時、確かにマッドは死んだはずだ。では、今の、
 この状態は。
  胸の痛みに小さく咳き込みながら、マッドは露に濡れた地面に手を置いて身を起こす。ずきずき
 と痛む胸から、何かが砕けて零れる音が聞こえた。ジャケットの隠しから滑り落ちて、シャツの上
 に飛び散ったそれに、マッドは震える指でそっと触れた。

  小さな針が三つ。
  外れた螺子は一つ。
  歪んでひしゃげた歯車は数え切れないくらい。 
  名前の刻まれている砕けた蓋が一つ。
  壊れてもう使い物にならない懐中時計が、一つ。
  そこに食い込んだ鉛の弾も、一つ。

  胸には、銃弾を食い止め、それでも勢いに耐えきれずに肌に押し当てられた時計の跡が、くっき
 りと残っている。それと、銃弾が発した熱による、火傷の跡が。その衝撃に耐えられなかった自分
 に、嗤いが込み上げた。そしてそれを死んだと思った周りの連中にも。

 「お前が、掘り返してくれたってのか?」

  ジャケットに額を擦りつけるディオに問い掛けると、その通りだと言うようにディオは小さく嘶
 く。墓が掘り返されて、サクセズ・タウンは今頃大騒ぎだろう。それを少し想像して、マッドは小
 さく笑う。そして、ディオの黒い首筋を軽く叩いて、胸に衝撃を与えないようにゆっくりと立ち上
 がる。それでも小さく咳き込みはしたが。

 「なんで、俺を掘り返そうなんて考えたんだ?」

  答えるはずのない馬に問い掛けても、ディオは荒っぽく擦り寄るばかりだ。決して大人しいとは
 言えないその様子に、まあいい、とマッドは頷く。

 「どうせ馬もない事だし、ちょうどいい。てめぇくらい荒っぽいほうが、馬泥棒も寄りつかねぇだ
  ろ。」

  そして、胸の痛みではなく、とある事実を考えて、マッドは顔を顰めた。
  周囲の状況はどうなっているのか。
  それを踏まえた上で、どう動いていくか。
  考えるべき事は多くある。
  きっと、今の自分は、死者として認識されているはずだ。サンダウンに殺されたという事になっ
 ているだろう。その自分が再び表舞台に現れる事は、どんな混乱を齎すのか。それはもしかしたら、
 非常に愉快な笑い話で終わるかもしれないが、マッドの中ではそれだけでは終わらない。
  サンダウンは、既にマッドを撃ち殺していると思っている。
  マッドもサンダウンに撃ち殺されたと思っている。
  以前のように、銃を叩き落とされて、馬の手綱を撃ち落とされて、逃げられて、というのとはわ
 けが違う。既に終わっているのだ。長く在ったけれど、それはあの一瞬で終わり、それにマッドも
 満足した。そんな状態で、既に終わったものに再び火を灯す事は、酷く困難な事に思えた。

  一点を見つめて動かないマッドを、ディオが不思議そうに覗き込む。
  その鬣を梳いてやりながら、マッドは一人ごちた。

 「ま、とりあえず、町を探すか。」