夜も更けた頃、ランプの灯りを頼りにマッドは一人、紙の束を捲っていた。
  幾つもの顔写真が貼られその写真の下には様々な数字が印字されている。
  乱暴な筆圧で赤丸が書き込まれたものを弾きながら、マッドは見た目にも新しい紙切れを差し入
 れていく。
  そして弾いた紙切れは丸めて、炎が灯った暖炉の中に放り込んだ。




  Cyanotype  





  徐々に冬に向かい始めた部屋の中は、暖炉に炎を灯していても暑いという事はない。
  ランプと暖炉の炎が部屋の中に温かそうなオレンジの光を投げかけ、しかし不規則に揺れる光は
 一つの物体に対して幾つもの陰を描かせる。その陰もまた不安定に揺れ動き、静かだがけれども不
 思議な動きのある空間を作り出していた。
  幾多の陰があるその部屋の中で、その所為だけではないだろうが、マッドは背後から近づく気配
 に気づくのが遅れた。
  特に気配を隠していたわけでもないにも関わらず、気付かなかった事にマッドが悔しがるよりも
 先に、その気配の主はマッドの背後に立って問い掛けている。

 「…………マッド?」

  もともと口数の多い方ではない男は、時折マッドに対しては特に言葉を惜しむ嫌いがある。まる
 で、その一言で全てが通じるだろうと思っているかのように。
  現にマッドも、その声音だけで何を聞きたいのかが分かってしまうのだが。
  マッドは先程までソファに寝転がって葉巻を咥えていた――灰が零れるから止めろと言っても聞
 かない――サンダウンをちらりと一瞥すると、見りゃ分かるだろ、と言った。

 「手配書を整理してんだよ。」

  もう捕えられた賞金首のものは暖炉に放り込み、まだ捕えられていないものは残しておく。そし
 て新たに発行された賞金首の手配書を付け加えていく。
  地味な作業だが、賞金首の数は多い上、情報も錯綜しやすい荒野では、情報の整理という意味で
 こういう作業が必要となってくる。

 「この前、街に行った時、新しい手配書が回ってたからな。ついでにいらなくなった手配書も整理
  しようと思っただけだ。」

  ぽい、と手配書をまた一枚、暖炉に放り込む。あっと言う間に炎に呑み込まれて黒い影を見せた
 瞬間には灰になる。
  それを眺めるような感慨さえ見せず――それはマッドにとってはその作業が慣れたものである事
 を示している――そう言えばとサンダウンを見上げる。

 「………あんたの手配書って、あんまり見かけねぇな。あんたの顔を知ってる奴も、一般人には少
  ねぇし。」

  賞金5000ドルのくせに。
  そう言って、100ドルの手配書を灰にする。

 「小せぇ金額の賞金首が有名じゃねぇってのは分かるんだがよ。あと、似たような金額の賞金首の
  場 合、正直顔と金額が合わなくてもかまわねぇんだよ。どうせ同じような金が手に入るわけだ
  し。」

  賞金稼ぎの裏事象を暴露する賞金稼ぎは、しかし自分が口にしている内容には特に興味がないよ
 だ。それは彼が、もはや自分が語ったような賞金首を捕える事がない事を暗に告げている。
  今や西部一の賞金稼ぎの座に君臨するマッドが狙うのは、一度捕えれば数年は食うに困らない賞
 金首ばかりだ。
  その最たるものが、今現在マッドの背後に立っているサンダウンなわけだが。

 「俺の事は皆知ってるんだけどな。結構有名なんだぜ、俺。」

  当然の事をさも特別であるかのように、マッドは自慢げに言う。
  西部一の賞金稼ぎの名を知らぬ者は、せいぜい生まれたばかりの赤子ぐらいだ。

 「あんたもちょっとは有名になろうと努力してみろよ。まず手始めに、このへんの家の壁に手配書
  を貼るとか。」
 「……………。」

  不規則に揺れる陰と光で強い陰影を描いているマッドの背中を眺めていたサンダウンは、ずっと
 マッドが喋るに任せていたが、ようやく口を開いた。

 「………つまりそれは私の写真があちこちにあれば、一人の時の寂しさを紛らせる事が出来るとい
  う事か。」

  おもむろに口を開いたサンダウンから出てきた言葉に、マッドが思わずと言ったようにサンダウ
 ンを振り返る。
  そのマッドの表情は、呆気に取られるとか怪訝とかいうよりも、頭痛を呑み込んだような何かを
 堪えるかのようなものだった。

 「なあ、キッド。俺は最近てめぇの思考回路の飛躍についていけねぇ事があるんだが。それは嫌が
  らせか、年がら年中あんたを追いかけ回している俺に対する。」
 「何の話だ?」

  本気で不思議そうに問い返すサンダウンに、マッドは頭を抱えた。
  目を閉じて大きく息を吐き、いやもう良い、と何かを諦めたように呟いた。

 「どうやって手配書一枚からそこまで導き出せんだよとか、ってか俺の話の脈絡を完全に無視して
  るよなとか、色々言いてぇ事はあるけど、良い。」

  話を突き詰めると墓穴を掘りそうだ、と言ってから、再び作業に戻るマッドの背に、サンダウン
 はそうかと腑に落ちないながらも頷く。
  しかしふと疑問に思って問うた。

 「ところで、お前の写真はないのか。」

  再び唐突なサンダウンの言葉に、マッドは再び振り返った。
  今度は先程よりも振り返る速度が速い。
  表情も、何かを堪えると言うよりも何かを噴き上げる一歩手前のものに変化している。

 「おっさん、聞きたくねぇが聞いてやるよ。俺の写真を何に使うつもりだ、何に。」

  夜の底を這いずり回るような声のマッドに、しかしサンダウンはびくともしなかった。
  5000ドルの賞金首は、自分よりも賞金金額の低い賞金首の手配書を一瞥し、悪びれもせずに言い
 放った。
  それは普段言葉を惜しみすぎる男にしてはとても具体的な台詞だった。

 「お前は私の手配書を肌身離さず持っているだろうが、それでは不公平ではないのかと思っただけ
  だ。」

  その言葉は確かに――確かにマッドを撃ち抜いた。
  しかし、所謂恋人の心臓を撃ち抜くという表現で、良く恋人の心を捕える際に用いられる場合と
 比較すると、今回の場合は些かロマンチックさに欠ける。
  現に撃ち抜かれたマッドは、顔をひくりと引き攣らせて固まっている。
  それでも元来お喋りな彼は、その気質を遺憾なく発揮し、脈一つ打つ間に形成を立て直し、どう
 にかサンダウンに向けて切り返した。

 「いや、別にあんたの手配書なんか肌身離さずどころか、持ち歩いてねぇから。そんな必要ねぇか
  ら。」

  どこかぎこちない声でそう言った彼は、そのまま棒読みで条件反射のように、だってあんたを捕
  まえるのはこの俺だから、といつものように付け足した。
  そんなマッドの様子など意に介せず、サンダウンは平静そのもので頷く。 

 「…………そうか。」

  妙にすっきりと納得したサンダウンに、しかし無意味なほどサンダウンの気配を読む事に長けた
 マッドは、サンダウンの無表情の中に妙な歓喜がある事に気付いた。良く良く見れば、なんだかお
 っさんの周りだけ世界がほんのりと薔薇色だ。 
  それに気付いた瞬間、マッドはまたサンダウンの中で話が変な方向に飛躍している可能性に思い
 至った。

 「…………おいまた変なふうに飛躍すんなよ!別にあんたの事が心に刻まれてるとかそんなんじゃ
  ねぇからな!」
 「…………そうか。」
 「照れてるわけでもねぇから!」
 「…………分かった。しかしやはり私としては、お前の写真がないのは不公平だと思うんだが。」
 「いや、全然不公平じゃねぇよ!むしろ俺自身が近くにいるんだから写真なんかいらねぇだろ!」
 「……………………なるほど。それもそうだな。」

  再び納得したサンダウンの周囲の薔薇色が、一段と濃くなった。
  そしてマッドは、たった今自分が口走った言葉の重大さに、はっとする。

 「いや違うから!そういう意味で言ったんじゃないから!って圧し掛かってくるんじゃねぇ!」

  が、サンダウンの耳には届かず。

  写真には到底できないような事をサンダウンにされたマッドが、次の日サンダウンを散々罵るの
 は、もはや決定事項だった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
Titleは椎名林檎の『ギブス』から引用