「一体、何度やったら気が済むんだい!今日という今日は許さないよ!」
 「ち、違うんだ!これは健全な青少年にとっては当然の事で……。」
 「そんなんが当然の事であってたまるかい!観念おし!」

  魔王に滅ぼされて人っ子一人いなくなったはずのルクレチアに、小気味の良い少女の声と、うろ
 たえる情けない少年の声が響いている。
  それは、四回目の風呂覗きが発覚した現場であった。




  ドメスティック・バイオレンス





 「まったく……なんであんなに懲りないんだか……。」

  一通りの技をアキラ相手に――念の為手加減はしておいた――かましておいたレイは、顔を少々
 赤らめながら、アキラの無体についてぶつぶつと呟いている。
  少女の当然の主張を、潰れながらも聞いているアキラは、健全な青少年なら当然の欲求だーと呻
 いている。だからといって、覗きという痴漢行為が許されるはずもない。

 「大体、大体!ポゴだってお前が風呂に入ってるとこ見てたんだぞ!なのになんで俺だけ!」
 「ポゴはまだ子供じゃないかい!」
 「ふおー!騙されてる!それは騙されてるぞ!」

  ポゴが既に妻を一人娶っている事を知っているアキラとしては、レイが自分よりも年少というだ
 けで男の覗きを許してしまっているという現状の危険性を訴える。
  尤も、レイにしてみれば、同じく覗きをしていたアキラがそれを言っても説得力がないというも
 のだ。
 
 「はん。ポゴに嫁がいるんなら、尚の事安心じゃないか。」
 「何言ってやがる!男は皆、けだものだぞ!年下だろうが嫁がいようが、男は男だ!皆、そういう
  欲求を持ってるんだ!」

  もはや、世の女性だけではなく世の男性をも――つまり世界中の人間である――敵に回すかのよ
 うな台詞を吐いているアキラは、今まさに、お前が言うな、という状態である事に気づいていない。
 気づかないまま、レイの制裁により作り上げられたたんこぶを三つくらい頭に乗せた状態で、ぴっ
 と、この手の話にまるっきり興味のなさそうな面々に向かって指を突き付ける。

 「覗きに参加してないあいつらだって、頭ん中じゃ何考えてんのか分かんねぇんだぞ!」
 「あんたは人の心を読めるんだから、分かるだろ。」
 「揚げ足とってんじゃねぇ!大体、俺だってなあ、人様の、その、あれやこれやを見る気はねぇよ!」
 「あれやこれやってなんだい。」
 「そこは察しろよ!」

  自慰行為という言葉を使わなかった所為で、全く何も伝わらないアキラの台詞に、レイが突っ込
 めば、アキラはまるで処女のように顔を赤らめて身体を左右に揺らす。
  はたから見れば、アキラは挙動不審以外の何物でもない。
  レイが胡散臭げにアキラを見る中、それでもめげずにアキラは他のメンバーに突き付けた指を下
 さずに言い続けた。

 「とにかく、だ!あいつらだって頭ん中じゃどんなエロい事考えてんのか分かんねぇって事だよ。」

  そして、次々と指を、何かボタンでも押すかのように突き付けていく。

 「日勝はアホそうに見えるけど実際は物凄くエロい事を考えてるかもしれねぇし、おぼろ丸なんか
  はガキの頃からくのいちとウフフキャッキャしてるかもしんねぇんだぞ!そしてサンダウンのお
  っさんなんかは!絶対にむっつりだ!絶対に嫁に色んなプレイさせて喜んでんだぞ!危ねぇから
  レイ、近づくんじゃねぇ!」

     まるで人を犯罪者か何かのように言うアキラに、一番犯罪者扱いされたサンダウンはちらりと視
 線を向けただけだった。そしてその後、レイに視線を移すと再び何事もなかったかのように、視線
 を両方から離す。
  まったりと自分のペースで葉巻に火を着け始めた男に、アキラは何とか言えよ!と怒鳴った。
  その怒鳴り声に、サンダウンはもう一度青い眼をアキラに向け、そしてレイに向け、ぽつりと呟
 いた。

 「……二次性徴も迎えていない子供を相手にするつもりはない。」

  それっきり口を噤んだ男にアキラは一瞬呆け、一拍置いた後、ふがーっと叫んだ。

 「てめぇ!それは女に向かっていう台詞か!レイ、お前もなんか言い返せ!馬鹿にされてんぞ!」

  果たして馬鹿にされているのかどうかはともかくとして、確かに口に出して言うべき事ではない
 だろう。
  が、その言葉を自分について呟かれたレイは、日勝とおぼろ丸相手に首を傾げている。

 「……ニジセイチョウってなんだい?」
 「さあ……?」
 「二時に成長する事だぜ、きっと!」
 「おいそこ!変なふうに解釈してんじゃねぇ!」

  言葉の意味が、明らかに明後日の方向に突き進んでいきそうになったのを阻止して、アキラはサ
 ンダウンに向き直った。向き直る必要など、何処にもないのだが。

 「はん、じゃあ何か。あんたはいっつも嫁さんのエロいところを想像して楽しんでんのか!むっつ
  りなおっさんだな!」
 「……私が、自分のものであるあれの事を想像して、何が悪い。」

     一切の臆面もなく、躊躇いも戸惑いもなく、サンダウンはそう吐いた。
  恥じらいも罪悪感の欠片もなく放たれた台詞に、アキラが絶句していると、その背後で三人がひ
 そひそと言い合う。

 「……別に嫁の事を想像する分には問題ないんじゃないかい?」
 「うむ。風呂に入っている女子を覗き見するよりは、遥かにまともでござる。」
 「普通に夫婦仲が良いだけだよな。」

     アキラの背中に、しかし向かい風でしかない台詞が吹き付ける。完全に、逆境である。が、諦め
 ればいいものを、何故か諦めないのが青少年である。

 「はん、つまりあれかよ。あんたは嫁の風呂場覗いて満足してるってわけだ。」
 「……それの何が悪い。それと、何故あれの風呂場を覗かねばならない。わざわざ覗き見する必要
  が、何処にある。」 

  それにそんな姑息な事をすればあれは怒るだろうし。
  ひっそりと付け加えられた台詞に、アキラはここぞとばかりに食いついた。いつもサンダウンか
 ら聞かされている――というか勝手に聞き出して勝手に妄想を膨らましている――サンダウンの嫁
 は、料理が得意でサンダウンの旅支度までしてくれて、少しばかりツンデレであるという、男心を
 擽りまくりである。
  そんな嫁が怒るというのは、一体どんななのか。

 「へぇ……?あんたの嫁でも怒るんだな。どんな怒り方すんだよ。意外と怖そうだなぁ。もしかし
  て、あんた実は尻に敷かれてるんじゃね?」
 「………尻に敷かれているというのがどういう状態なのかは良く分からんが。どうせ最終的には私
  が勝つのだからな。ただ、あれは少々気が短くてな……すぐに銃を取り出す。」

     それはそれで可愛いが、と続けようとするおっさんを、アキラは慌てて現代人の常識さを取り戻
 して止めた。いつものおっさんの惚気が来るだろうと聞き逃しかけたが、最後の一言は世間一般的
 におかしい。

 「いやちょっと待てよ、あんたそれはおかしいだろ。」
 「あれが可愛い事がか……?」
 「違う!夫婦喧嘩に銃が出てくるとこだ!」

  西部開拓時代だから銃が出てくるのはおかしくないが、夫婦喧嘩にまで銃を取り出すところはお
 かしい。それとも西部開拓時代では普通なのか。いや、過去に一度読んだっきりの、『大草原の小
 さな家』ではそんなシーンは一度も出てこなかった。
  だが、サンダウンは事もなげに続ける。

 「……あれは賞金稼ぎだからな。銃を取り出すのはもう癖のようなものだろう。」
 「待てよ、おっさん、あんた自分を賞金首って言ってなかったか!?つー事は何?あんたら、敵同
  士?つまりロミオとジュリエット?」

  アキラは典型的な敵同士の恋人を告げたつもりだったが、西部開拓時代には既にシェークスピア
 はあったはずなのだが、生憎と『ロミオ、貴方は何故ロミオなの?』というお約束の言葉しか記憶
 に残っていないサンダウンには、その比喩表現を正しいとも間違っているとも言う事は出来なかっ
 た。
  せめてこの場に、サンダウンの嫁――という事に勝手にされている賞金稼ぎがいたのなら、『ロ
 ミオとジュリエット』の正確な粗筋を、それこそ両家の仲が悪かった事、ロミオがジュリエットの
 従兄弟を殺してしまう事、最後にジュリエットが死んだと思い悲嘆に暮れたロミオが毒を飲み干し、
 ジュリエットもその後を追って心臓を貫く事まで教えてくれただろうが、残念ながらそんな粗筋を
 伝えてくれるものはこの場にいなかった。
  ポゴは言わずもがな、レイやおぼろ丸は知っているはずがなかったし、日勝はサンダウンと同じ
 くらいの知識があるかどうかである。キューブは間違いなく知っているだろうが、人間達のやりと
 りを生温く見つめているだけだった。

 「いや、でも敵同士でも夫婦喧嘩で銃の撃ち合いはおかしいだろ。絶対に。それってあれじゃねぇ
  のか。今はやりのドメスティック・バイオレンスじゃねぇのか。」

     バイオレンスと言ってしまえばそうなのかもしれないが、サンダウンにしてみれば西部での日常
 そのものがサバイバルなので、件の賞金稼ぎとのやりとりは別にバイオレンスだとかそんなふうに
 は感じない。せいぜい犬のじゃれ合いである。

 「良いのかよ、あんたは。嫁が怒るたびに銃を突き付けてくんのは!」
 「可愛いから良い。」
 「良くねぇよ!あんたそれはマゾ、いや共依存って奴か!たまにドラマなんかで出て来るぞ!暴力
  振るわれても彼氏彼女と別れられないってやつ!」
 「別に暴力は振るわれてはいない。」

  どうせ自分のほうが強いのだし、ちょっとした暴力ならばあっという間に組み敷ける。
  それに、銃を構える仕草も、ぽかぽかとサンダウンに拳をぶつけてくる仕草も。

 「可愛いから良い。」

  サンダウンは、もう一度、きっぱりと言い放った。