目の前に、自分の命を狙っているはずの賞金稼ぎが寝転がっている。
  ごく自然に眼を閉じ、微かに開いた口元には笑みを湛えて、頬は赤い朱を差したかのようにほん
 のりと染まっている。よくよく見れば、唇も紅でも差したかのように、いつもよりも赤みを増して
 いる。
  それを見下ろしたサンダウンは、はてどうすればよいのかと途方に暮れた。

  
  

 Night Choices 




  賞金首サンダウン・キッドと賞金稼ぎマッド・ドッグが、二人して酒を煽っていたのは数分ほど
 前だ。
  賞金首と賞金稼ぎが、一体全体どうして一緒に酒を飲むだなんて事態に陥ったのかと問われれば、
 サンダウンも首を捻るしかない。サンダウンはマッドを飲みに誘った事は金輪際一度もなく、酒に
 誘おうと考えた事も一度もない。
  が、サンダウンが酒を飲んでいる場面をマッドが見つければ、十中八九、一緒に飲むと言う事態
 になるのだ。それはもはや西部の定番であると同時に、宇宙の神秘と言っても過言ではない。
  というか、サンダウンが誘っていない以上、マッドが勝手に近寄ってきて勝手にサンダウンの目
 の前の席に座り込んで勝手に酒を煽り始めているのだ。
  別に、サンダウンはマッドが何処にいようが問題はない。地の果てで羊の毛刈りをしていようが、
 目の前でポールダンスを踊っていようが、サンダウンは別に構わない。
  しかし、マッド本人の事を考えれば、賞金稼ぎなのに賞金首と一緒にいても良いのか、と思う。
 仲間の――賞金稼ぎ達の手前、そんな事をしていて良いのか、と。
  マッドが西部一の賞金稼ぎという肩書を持っているからこそ誰も何も言わないのであって、実際、
 少しばかりガラの悪い輩達ならば陰で何を言い合っているか分からない。今日だって、一緒にいた
 数人の男達を放り出してサンダウンが座っているカウンターにやってきた。サンダウンの気配には
 鋭い癖に、連れの男達ががっかりした様子には気づかないあたり、むしろサンダウンの方が男達に
 申し訳なくなってくる。
  が、鋭いくせに何処か肝心なところが鈍い男は、サンダウンを見つけるとボールを見つけた犬の
 ように嬉々としてやってきた。そして、酒場の中で平気で銃を抜いたのだ。尤も、別に銃を抜くく
 らい、西部の酒場では何ともなく、むしろ日常茶飯事なのだが。
  しかし、サンダウンは数週間ぶりの――安い酒とはいえ――酒と食事を楽しんでいた最中であっ
 た。そこに銃を突き付けられたのだ。良い気分はしない。なので突き付けられた銃を無視して食事
 を続けていると、マッドはぶうぶう言いながらも銃を仕舞い込んだ。
  尤も、そのまま隣の席に座り込んで、酒盛りを始めたわけだが。
  なんだかんだ言いつつも、嬉しそうに酒をこくこくと飲み干して、何やらサンダウンに話しかけ
 てくるマッドの尻に、ふりふりと振れる尻尾が見えたような気がしたが、きっと見間違いだろう。
 現に、マッドがけらけらと笑い始めた辺りで、その尻尾は見えなくなっていた。
  そんな事よりも、けらけらと笑うマッドを見て、サンダウンは飲み過ぎたんじゃないのかと心配
 になってきた。賞金首が賞金稼ぎの心配をするのもどうかと思うが、しかし今此処で何かがあった
 場合、その結果と責任を全て蒙るのはサンダウンをおいて他にはいない。
  なまじ、変に必要以上に知り合いであり、そしてそれが周りの人間にも周知されている事である
 から、サンダウンがマッドを放り出して一人何処かに行くという事は、間違いなく許されないだろ
 う。
  それに、とサンダウンは周囲を見渡して思ったものだ。
  ほんのりと頬を染めたマッドは、黙っていれば文句なしに秀麗で、女だろうが男だろうが手を出
 したくなるだろう。
  女ならともかく、男に手を出されたとなれば、マッドがどれほど怒り狂うか。酔った勢いで手を
 出そうとした男に飛び膝蹴りをかました挙句、カウンターにすっ飛ばして、店の備品や売り物に壊
 滅的なダメージを与えそうだ。
  そして仮に、もしもそんな事にならなければ。
  マッドが男に手を取られてホテルに連れ込まれているあたりまでを想像した段階で、手の中にあ
 るアルコールを、グラスごと粉々に砕いて床にぶちまけそうだったので、サンダウンは自分がマッ
 ドの保護者と化している事実を受け入れて、早々にマッドの手を取り、ぐんにゃりとしているがそ
 れを差し引いても端正な身体を引き摺って、ホテルへと連れ込んだ。
  ホテルの――マッドが泊まっているホテルは、サンダウンが泊まろうと考えていたホテルよりも
 二つほど格が上だった――マッドが取っている部屋に入って、マッドの身体をベッドに放り込んだ
 時になって、サンダウンは自分のしている事が、傍目にはもしかしたらマッドに手を出そうとして
 いた輩と同じであるように見えたかもしれないという事に気が付いて、憮然となった。
  しかも、その原因となった賞金稼ぎは、幸せそうにベッドの上で薄く笑みを湛えているのだ。ど
 うやら、完全に酔いが回って夢と現の間を彷徨っているらしい。
  ひとまずマッドの腕からジャケットだけを擦り取って、近くのテーブルに放る。そうしてから、
 改めて真っ白なシーツに埋もれるマッドを見下ろした。
  閉じた瞼を縁取る睫は長く絶妙にカールしており、唇は珊瑚のように赤い。ほんのりと赤く染ま
 った頬を見るに、こうなった出来事――酒を浴びるように飲んだ事――さえ知らなければ、まるで
 何がに恥らっているかのようだ。
  正直なところ、恥らっているマッドというものは、サンダウンには全く想像がつかないのだが。
  取り敢えず、何も知らなければ恥らっているように見えるマッドを見下ろし、確かに黙っていれ
 ば、秀麗で端正で優美な男だと思う。何を間違って西部で賞金稼ぎなんてものをやっているのかと
 思うほど。
  引き摺る時に掴んだ手も、一瞬サンダウンが掴み取る事を躊躇うほど、細やかな肌と形をしてい
 た。その手は銃を扱うよりも、繊細な硝子細工で飾られ、楽器を操るほうが相応しい。
  すぴーすぴーと子供のような寝息を立てて静かに眠るマッドと、普段の罵詈雑言をやたら吐きま
 くるマッドを比較して、サンダウンは小さく溜め息を吐いた。
  シーツに散った黒い髪に手を差しこんで、犬や子供にするように軽く撫でて、独り言のように呟
 く。 

 「………寝ていれば、それなりに見られるんだがな。」
 「何寝ぼけてやがる。俺は起きてても見られるナリをしてるだろうが。」

    幸せそうな形を描いていた唇が突然歪んだかと思うと、そんな台詞が音楽的な響きで発せられた。
 唐突に吐き出されたその言葉にサンダウンが驚くよりも早く、眠っていたはずのマッドがむくりと
 身を起こした。
  頬はまだ赤いが、恥らっているようには全く見えない。
  そんな思いが驚きよりも先に這い上がり、結局、サンダウンの中に驚きの念は湧き上がらなくな
 ってしまった。残ったのは、なんだかとても残念な感情だけだ。
  無表情でマッドの頭から手を引っ込めたサンダウンに、マッドは引っ込める手を追いかけるよう
 に頭をぐりぐりと押し付ける。

 「で、てめぇは俺の何が見れねぇナリだってんだ?え?つーか、そういうのは自分のナリ見てから
  言えよ、茶色。」

  茶色ってなんだ、と思ったが、いちいち突っ込むと面倒なので黙っておく。
  肩口にぐりぐりと頭を擦り付けてくるマッドを、とりあえず抑え込む事で止めると、それがなん
 だか抱き締めているような如何わしい恰好である事に気が付いた。が、抑えるのを止めると、マッ
 ドはまたぐりぐりと頭を擦り付けてくるであろうから、サンダウンはマッドを抱え込むような形で
 立ち尽くすしかない。

 「で?俺をホテルに連れ込んで、何かするつもりか?」

  笑い含みのマッドの声に、サンダウンは顔を顰める。冗句にしても、笑えないからだ。事実、あ
 のまま放置されていたら、間違いなく何処の馬の骨ともしれない男に如何わしい店に連れ込まれて
 いたはずだ。それが分かっていないのか、それとも分かっているのか。もしも分かっているとした
 ら、最大級に性質が悪い。
  分かってやっていて、更にサンダウンがマッドを連れて帰ると分かっていたのなら、尚更。
  そしてきっと、マッドは何もかも分かってやっているのだ。

 「…………。」

  マッドにかける旨い言葉も見つからず、サンダウンはさっさとこの場を立ち去った方が賢明だと
 思った。
  どうせ口喧嘩はマッドのほうが有利だし、いい歳して口喧嘩なんぞしたくもない。
  なので、立ち上がろうとしたのだが。サンダウンの古びたポンチョの裾は、マッドの手の中に握
 り締められていた。

 「………何の真似だ。」
 「いやいや、俺の頭抱え込んだあんただって、傍目に見れば何の真似だ、だろ?」 

  それは傍目に見れば、の話であって、当事者であるマッドはそれがどういう意味であったのか分
 かっていたはずだが。
  しかしそれを指摘する前に、マッドは上目遣いでサンダウンを見ている。けばけばしい女がポス
 ターなどで良くする仕草だ。が、マッドがすればそれは絶大な効果を誇る。むろん、マッドもそれ
 を分かっている。
  一体、何処で覚えてきたのか。
  きっと、いつでも何処でも、そして現在進行形で、マッドは自分の身体が映える瞬間と方法を覚
 え続けている。

 「なあ。」

  マッドが、その声だけで数人の人間を落とせそうな、ぞくりとする甘い低い声を上げた。

 「寝てる俺は、あんたの好みだったのかよ。」

     随分じろじろ見てたけど。
  その台詞に、サンダウンは溜め息を吐きそうになった。一体いつから眼を覚ましていたのか。も
 しくは、嫣然と微笑んでいるこいつは、まだ酔っているのか寝ぼけているのか。
  広い額を指で軽く突いて、サンダウンはわざわざマッドの気に障るような台詞を吐いた。

 「……自惚れるな。寝ているだけで誰かを引っ掛けられるなど。」

  マッドなら出来なくはない芸当かもしれないが、それにサンダウンが引っ掛かるなど、自惚れる
 どころかサンダウンを見縊りすぎている。どうしようもない輩ならば、寝ている人間に手を出そう
 とするだろうが、生憎とサンダウンはそこまで堕ちてはいないし、そもそも寝ている人間に手を出
 して何が楽しいのかと思う。
  すると、マッドは喉の奥で小さく笑った。

 「つまりあんた、寝てる俺よりも起きてる俺の方が良いってか?」
 「………どうやったらそういう話になる。」
 「あん?じゃあ、寝て、喋りもしねぇけど、あんた曰く見られるナリの俺のほうが良いってか?そ
  れであんた満足出来るって?」

  黙って銃を抜いて、返り討ちにされても黙っていて。

 「ふむ……気味が悪いな……。」
 「そりゃ喧嘩売ってんのか、ああ?」

  確かに、そういう返しがなければマッドではないだろう。黙っている時のマッドは、きっと何か
 企んでいるに違いないのだ。サンダウンはお目に掛かった事はないが、一応マッドも、静かにして
 いる時はあるらしい。何かの作戦を練っている時、狩りの計画を立てている時などは、嵐の前の静
 けさを体現するという話を聞いた事がある。
  それを、サンダウンの前でしないのが、どういう事なのか、までは考えた事はないが。

 「で?」

  眠っているマッドという形で、黙っているマッドを見たサンダウンに、マッドは先を促す。

 「眠ってる俺と、起きてる俺、どっちが好みだ?」

    寝ていれば見れると言ったのが、そんなにまずかったのか。
  サンダウンは、口にしてしまった自分が悪いのだと言い聞かせて、マッドの耳元で囁いた。

 「どっちでもかまわん。」

    どうせ、マッドである事に一切の変わりはない。