邂逅はいつだって突然だった。
  そしていつだって見つけるのはマッドからだった。無防備に命そのものような凶暴な気配を隠し
 もせずにやってくるマッドから、サンダウンが逃げる素振り一つ見せないのもいつもの事で、そ
 の後、銃声が轟くのは約束事のようだった。
  けれどその日、マッドはそこにサンダウンがいると確信して酒場の扉を開いた。気配も酷く落ち
 着いていて、寧ろ、今にも吹き消されてしまいそうな蝋燭の炎を思わせた。
  その気配にサンダウンは少しうろたえたような素振りを見せ、そしてその後二人はしばらく黙り
 こんだまま互いの様子を探り合っていた。




  水の月





  いつもとは様子の違うマッドに、サンダウンは自分以外客のいない、うらぶれた酒場で柄にもな
 く戸惑った。
  恐ろしいくらい静まり返ったマッドの気配は、こちらが彼の本分なのではないかと思うくらいだ。
 事実、微かな噂で聞くマッドが獲物を追い詰める瞬間は、凍りつくほど冷徹なのだという。
  ならば、熱を持ったその手で追いかけられている自分は、もしかしたらとてつもなく幸運なのか
 もしれない。
  そんな想像に一瞬特別扱いを感じたのも束の間、マッドは表情の欠いた顔で、サンダウンに近付
 いてくる。喜怒哀楽のないそれに、サンダウンは何か嫌な予感がした。
  どうにかして未だ押え込む事に成功している、胸の底の魔王が冷たい瞳を開いて瞬きもせずに動
 向を見守っている。隙あらば、サンダウンを呑みこもうとでも言うように。

 「よう…………。」

  形の良い唇から吐き零されたのは、何処か硬い色を成した声だった。そんな声が紡ごうとする言
 葉が、いつものように甘い響きを湛えているはずがない。きっと、不吉な形をしているはずだ。
 サンダウンの中から、魔王を引き摺り出してしまうような。
  思わず身構えそうになったサンダウンに、マッドは気配の変調には気付いたらしく表情を強張ら
 せたが、しかしその心の中までは解さない。ゆっくりと息を吐くように、口を開いた。

 「あんた、死にたがりの人間を助ける方法って知ってるか?」

  紡がれた言葉はサンダウンの予想を越えた場所にあるもので、虚を突かれて眼を見開いた。
  そんなサンダウンに対して、いつもならからかいの言葉か皮肉な笑みを浮かべるはずなのに、マ
 ッドの表情はやはり無い。ただ、言葉を探そうとでも言うかのように少しの逡巡を見せた後、考え
 ながらゆっくりと言った。

 「俺の知ってる奴に、死にたがっている奴がいるんだ。俺が眼の前にいても、死ぬことばっかり考
  えてやがるみたいで、まるで何もかもを諦めたような眼をしてやがる。かなり長い付き合いにな
  るんだけどよ、ちっとも良くならねぇ。寧ろ悪くなってる気がする。」

  マッドの口から語られる他人。
  その声には、その他人に対する心配と焦燥が満ち溢れている事に気がついて、サンダウンはマッ
 ドから眼を逸らして、グラスに視線を戻した。
  そしてそんな言葉を自分に聞かせるマッドに向けて、硬い声が出てしまったのは仕方がない事だ
 った。

 「…………それを私に聞かせて、どうするつもりだ。」
 「あんたなら、知ってるんじゃねぇかと思っただけだ。」

  死にたがりの人間の眼を、こちらに向けさせる方法を。
  臆面もなくそう言い放ったマッドに、サンダウンは腹の底で魔王が大声で笑い飛ばしたのが聞こ
 えた。
  人一倍矜持が高く、サンダウンに対しては特に負けん気を発揮する男が、それを折り曲げてサン
 ダウンに請うている。それだけで、マッドがどれほどその相手に心を砕いているのか分かるという
 ものだ。
  魔王の嗤いは、サンダウンの表面にまで浮き出ていたらしい。
  本当に微かに嗤いを含んで、サンダウンは呟く。

 「私に希うほど、大切か。」
 「ああ。」

  答えは間髪なく返ってきた。
  そこには屈辱も恥辱もない。それが最善の方法であると理解し、納得しきっているかのようだ。

 「あれは俺のものだから、死神なんぞに渡してやらねぇ。何が何でも俺をその眼に映させてやるん
  だ。」

  まるで、愛の告白のような言葉に、サンダウンはぼんやりと、これが最後の邂逅になるかもしれ
 ないなと思った。
  マッドがそこまで思う人間がいるのなら、今後、サンダウンに気を回すほどの余裕もなくなるだ
 ろう。
  これまでサンダウンを追いかける為に、それ以外の事は投げ出してきた男だ。自分の中で一番上
 だと思ったものには、全てを捧げている。そんな彼が、そこまで大切なものが出来たというのなら、
 この先サンダウンに構ったりしないだろう。

  そうなる前に、その心臓を撃ち抜いてやろうか。

  それを思い留めたのは、まだ、マッドの視線がこちらを向いていたからに他ならない。
  きっと、背を向けられた瞬間に、その無防備な背に銃弾を叩きつける。
  はっきりと湧き起こり始めた魔王の気配を噛み殺しながら、サンダウンは腰に帯びている銀のピ
 ースメーカーを親指の腹でなぞった。
  そんなサンダウンの様子など、もはやどうでもいいのか、それとももう気付く事もできないのか、
 マッドは冷酷に言葉を繋いでいく。

 「やっと俺を見たと思ったら、その眼は死にたがりの眼と同じだったんだぜ?腹立つだろ?だから、
  何が何でも俺を見るようにしてやらなきゃ、気がすまねぇ。俺はずっとそいつだけを見てきたん
  だ。」

  マッドの言葉は銃弾よりもずっと生々しく、鋭い。
  サンダウンの喉から胸を切り裂く為だけに放たれたと言っても過言ではない台詞に、サンダウン
 は喉の奥だけで低く嗤った。同時に、マッドにこれほどまで思われておきながら、気付かない者を
 嗤い、罵りたくなった。
  そして、自分の事など何も分かっていないマッドを。

 「…………お前が、愛していると一言言えば良いだけだろう。」

  より平坦になるように努めながら、サンダウンはそう告げた。
  マッドに愛されて喜ばぬ者が、この荒野にいるというのならお目に掛かりたい。
  マッドに思われて、且つその手を振り払う者がいるならば、サンダウンはその脳天を撃ち抜くだ
 ろう。
  ひりひりと震える空気に、けれどマッドは気付かぬふうで、それどころかきょとんとした様子で
 呟く。

 「それだけで…………?」

  それだけ。
  マッドにとってはそれだけでも、その言葉を求める者は多い。
  舞台の中心人物に愛される事を望まぬ登場人物がいないように、この荒野でマッドの熱を欲しが
 らない者はいないだろう。
  あらゆる全てがその足元に身体を投げ打って、求めているのだ。手に入らぬと分かっていながら
 も、せめてその一滴の光を欲しいと願って。それが与えられると知ったなら、きっと狂喜乱舞する
 だろう。
  そして、ありとあらゆる嫉妬を湧き起こすのだ。
  いや、もしかしたらそれが荒野を席巻する前に、サンダウンがマッドを撃ち抜いて、舞台に幕を
 下ろすのか。
  その時、自分は二度と救われる事はないのだろうなと、確信めいてそう思った。
  マッドがいなくなれば、誰もこの魔王の牙を止めてくれはしないだろうから。
  代わりがいない、とは、正にこの男の為にあるような言葉だと思った。

 「そんな言葉一つで、死神を打ち払えるってのか?」

  相手はずっとこの俺よりも死神ばっかり見てきた奴だぜ?
  そう疑問を口にするマッドに、それはお前が眩しすぎるからだろうと思う。空っぽの人間にとっ
 て、マッドのような人間は直視に堪えない存在だ。自分の矮小さを突きつけられてしまう。
  だが、そんな人間であればあるほど、マッドに愛されていると知った時の歓喜は果てしないだろ
 う。身に余る光栄に、箍が外れてしまう事だろう。
  しかし無自覚な男は、けっと吐き捨てる。

 「くだらねぇ。そんなしょうもない事で、どうにかなるようなもんなのかよ。あれか、愛情に飢え
  てるから死にたいんですっていう、どっかの小説でも読んでその気になった馬鹿か。」

  本当にくだらなさそうに告げるマッドは、まあ分かったよ、と首を竦めている。
  どこまでも面倒見の良いマッドの事だ。くだらないと言いながらも、告げに行くのだろう。
  サンダウンに背を向けて、今にもこの酒場から出て行こうとしている。
  その細い背に向けて、狙点を合わせれば、振り返るだろうか。最後に、その眼にサンダウンを映
 すだろうか。
  なぞった銃把は冷たく、サンダウンの腹の底と同じ温度を保っている。

  マッドが動く気配がした。
  ぎい、と床を踏み直す音が、誰もいない酒場に強く響いた。

 「愛している。」

  予想に反して、マッドは足を踏み出さなかった。
  遠ざかる足音も、当然の如く聞こえない。
  いや、それよりも。
  背筋が粟立つくらい、峻烈に吹き上がったマッドの気配。

 「愛しているんだ。」

  先程までの落ち着いた気配など吹き飛ばす勢いで、マッドはそう告げた。
  その台詞の意味が分からず、振り返る事さえ出来ないサンダウンを殴りつけるようにマッドは誤
 魔化し一つせずに言う。

 「てめぇが言ったんだろ。俺がこう言えば、死にたがりの奴は俺を見るだろうって。だからわざわ
  ざこの俺様が、言ってやってんじゃねぇか。てめぇの為だけに。分かってんのか、え?」

  なあキッド、と。
  マッドは躊躇一つ見せずにサンダウンに近付いてきた。
  硬質なブーツの音が、高く響く。

 「俺の事を今までずっと見ずに、見たと思ったら死にたそうな目つきしやがって。俺がどれだけシ
  ョックを受けたか分かるか?俺はあんたに振られたと思ったんだぜ?俺のものだとずっと思って
  たのに。」

  何もかもを飛び越える勢いで背後に近づいてくるマッドに観念し、サンダウンは振り返った。
  ぶつかったのは何もかもを呑み込む黒い瞳。
  そこに映る自分の顔が、嗤いたくなるくらい情けなかった。
  そしてマッドは、その声音とは裏腹に、酷く切羽詰まったような表情をしていた。

 「…………なあ。」

  秀麗な声が震えた。
  誰もいない安っぽい寂れた酒場が、闇夜の神殿のような濃い空気を描き出す。それを叩くのは、
 マッドの声だけだ。
  黒い瞳の縁が、怯えたように震えている事に気付いた。
  それでもなお、マッドは眼を逸らさない。
  そして彼の繊細な白い指が、サンダウンが眼を逸らさぬようにとサンダウンの頬を包み込む。

 「愛してる。」