どうやったらそんなふうに生きれるのか。サンダウンには全てが不可解で、謎だった。
  酒や女に溺れる男は多い。荒っぽく生きる西部の男の中では、銃で生死を競い合うような生き方
 をする者も少なくない。
  そしてその頂点に君臨するのは、まるで西部の色とは別の、繊細で白い指や声を持つ男なのだか
 ら、実に奇妙な生き方をしているとしか思えない。
  尤もそんな生き方を真似ようにも、まずその型からして違うサンダウンには、どだい無理な話で
 あったが。




  稲妻






  五千ドルの賞金首サンダウン・キッド。その名は、破格の賞金と銃の腕により西部一帯に轟いて
 いる。
  そのサンダウンが、実はかつて名保安官であった事を知る者は、彼が己の銃の腕が血を呼びこむ
 と言って自らの首に賞金を懸けたという水面下の工作を知り得るごく少数――つまり保安活動に従
 事している者に限られており、従ってその事実を知る者はほとんどいない。
  それ故に、その首を狙い、昼夜問わず賞金稼ぎだけでなく、無法者達もサンダウンの影を追いか
 け続けている。
  そんな賞金稼ぎの一人であったのが、マッド・ドッグと名乗る狂気の名を冠した青年だった。
  その頃、ようやく大人の域に達したばかりの身体は、少し力を込めればぽっきりと折れてしまい
 そうだと思ったものだ。
  けれど、今や彼は西部の名だたる賞金稼ぎ達の筆頭で、そして次々と脱落していくサンダウンを
 追いかける賞金稼ぎ達の中で唯一、今でもサンダウンに追い縋る賞金稼ぎでもあった。
  マッドの性質は、苛烈とさえ言っていい。
  楽しければ臆面もなく笑い、気に入らない事があれば烈火の如く怒り狂う。かと思えば、誰より
 も冷徹に物事を見据えて、その本心を悟らせないように薄く微笑む。
  あまりにもころころと変化する表情は、まさに空模様と同じだ。
  推し量ろうとして上手く行く場合もあれば、あっさりと裏切られる事もある。
  見ていて飽く事のない姿は、その華々しさに相応しくいつも物事の中央に座して、周りの人間に
 跪かれて。
  それは、サンダウンには眩しすぎる。
  自分に追い縋るマッドは、いつもその背に、降りかかるような世界を従えている。
  暗雲立ち込め今にも稲光を発しそうな空も、全てが曖昧にぼやけて許されてしまいそうな夕焼け
 も、無情なほど強い日差しを抱えた青空を肩越しに覗かせ、サンダウンが避けるようにしている熱
 を逸らした眼線の先にまで容赦なく突き付ける。
  惜しみなくばら撒かれたそれらは、サンダウンが腕に抱えるには熱すぎて、直視すれば眼を潰し
 てしまう。
  誰からも愛されて、それに答えるように熱をばら撒くマッドが、サンダウンを見つけた瞬間にそ
 れら全てを放り出して、己の中にある全ての熱を集束させてサンダウンにぶつける様は、それだけ
 でサンダウンの何もない世界を満たしていく。
  けれど本気でそれらを見据えれば、眼で捉える事が出来るのは残像ばかりで、腕に残るのも残り
 香だけで、きっとマッド自身ははぐらかすかのように逃げてしまうだろう。
  追いかけられて逃げているのは自分なのにマッドに逃げられるというのもおかしな話だが、しか
 しサンダウンにはマッドがこうして自分を追い掛けているのは、火花のようなマッドの気紛れに他
 ならないと知っている。

  火花、稲妻、嵐。

  激しくその威力も甚大であるそれらは、しかし決して長くは続かない。
  同じ気質を備えたマッドも、その熱をサンダウンに向けて惜しみなく迸らせるのは、きっと一時
 的なものだろう。マッドの変質は、荒野の砂の変化の様に少しずつ起こるのではなく、一瞬で終わ
 る。
  だから、マッドが銃を掲げて心底嬉しそうに笑みを湛えサンダウンを見つける時、サンダウンは
 安堵と同時に覚悟をせねばならない。
  きっと、次はないだろう、と。
  激しやすい彼は、この次は別の賞金首のもとへ向かい、サンダウンには眼もくれない。
  そんな未来を思い描き、諦めを覚悟する。
  そもそもサンダウンは諦める事に慣れている。
  保安官だった頃から、ならず者達の中に微かな情を見出しては、けれども次の瞬間には裏切られ
 る事が多々あった。サンダウンの銃の腕に惹かれて勝負を挑む連中が増えてからは、サンダウンが
 守ろうとしてきた町の人々でさえ、サンダウンに向ける眼差しを翻すようになった。
  人とはそういうものだ。
  己のとって都合の良いものには惜しみなく微笑み、己の意に沿わぬものには幾らでも悪態を吐き
 貶める。
  サンダウンはそんな人間の代わり身を、嫌になるほど見てきた。
  だから、マッドが眼差しをいつか逸らす事も、それを認めて諦めてしまう事にも慣れている。
  しかし同時に、本当は心臓の裏側の何処かで、見捨てないでくれと叫んでいる。
  だが、それを認めてしまえばマッドがいなくなってしまった時に耐えられない事は分かり切って
 もいる。
  いっその事、マッドの熱く脈打つ心臓を撃ち抜いてしまって、その熱い血潮で全てを染めてしま
 えば良いのだろうか。
  そう考えた事は幾度となくあった。
  燃え上がるような身体を地に落とし、その時になってようやく触れる事が出来る瞬間を、何度も
 想像した。そうすれば、マッドが裏切る、何処かに行ってしまうという恐怖はなくなるのかもしれ
 ない。
  だがその瞬間、マッドが二度とその熱を灯さなくなる事は――サンダウンの息づく世界からいな
 くなってしまう事は、人間なら誰でも分かる事だ。
  そしてその時、サンダウンの中で蟠っていた諦めは、全く別のおぞましいものに変貌して、サン
 ダウンの内側から食い荒らしていくだろう。
  マッドに対して、怯えたまま何の結論も下す事が出来ず、ただただマッドがサンダウンに追い縋
 る現状に甘えて、ずるずると此処まできている。
  今日も地団太踏みそうな勢いで、怒声を上げるマッドの声は、まるで歌でも歌うような旋律を孕
 んでおり、風と馬蹄の音ばかりに曝されていたサンダウンの耳には心地良い。
  けれども、眩しい色を放つ黒い眼が余りにも眩しすぎて、サンダウンは僅かに眼を逸らした。
  今までサンダウンは、マッドの眼を直視した事はない。いつだって遠目に見やるか、マッドが自
 分から眼線を逸らした時に盗み見るくらいだった。
  直視すれば、きっと、眼が潰れてしまう。
  不毛の大地でそこだけ切り取ったかのように脈打つ命は、触れれば焦げ付きそうなくらい、離れ
 ていても分かるほどに熱い。

  初めて共闘した時、常よりも遥かに近くに存在するマッドの熱が、それだけで寂れた町を鮮やか
 な舞台に変えていた。
  不服を訴えるマッドの眼線だけでも、これほどまでに熱を帯びているのに、もしもその肌に触れ
 たなら火傷だけで済まされるのだろうか。
  その身体に、触れる事が許された者が、いるのか。
  想像しただけで生々しく蠢いた感情は、酷く冷え込んでいた。
  マッドとは完全に真逆を向いたそれは、突然放り出された、くすんだ中世の世界にとてもよく似
 ている。
  裏切りと滅びの腐臭に満たされた世界は、まるで見捨てられた自分のようだと思った。或いは、
 自分自身の心の中に迷い込んだのかと。
  そう思うくらい、そこに漂う怨嗟と呪詛の声は、いつだったか自分に向けられた失望の声に良く
 似ていた。
  それが更にサンダウンの中にある諦めを舐めつくして絶望へと翻させる。

  憎しみと絶望の羽ばたきで世界を席巻しようとしていた魔王を撃ち抜いた後も、胸の内に染みの
 ように広がる冷たさは止まらなかった。暗い斑紋は、瞬きをする間にも増えていく。
  呼吸をするたびに、臓腑の裏側から切り込むようにして染み込んでいく冷たさは、もはやサンダ
 ウンの手では止める事が出来ない。
  無理やり押さえ込んで鎖掛けていたそれは、大口を開いてサンダウンさえをも飲み込み、荒れ狂
 う奔馬のように暴れ立てようとしている。
  それを、撃ち抜いて欲しかった。
  他の誰にでもなく、今までずっとサンダウンの中にいる絶望を縛る為の熱の鎖を形作っていた、
 マッドに。
  何よりも、マッドでなくては無理だ。
  サンダウンをいつも通りに見つけてみせた男は、サンダウンの中で湧き起こっている黒々とした
 牙に気付いたのだろうか。微かに表情を強張らせた。
  その顔を、初めて、真正面から見据える。
  貪欲に全ての光を呑みこんだ黒い髪と、黒い瞳と。全てを受け入れる事が出来るその黒い瞳には、
 サンダウンさえもちゃんと映っていた。

 「キッド?」

  微かな警戒音を発しながら、けれども甘い声で名を呼ぶ。
  サンダウンを拒絶するような素振りはなく、まだその眼はサンダウンを捉えている。

 「おい、てめぇ、なんとか言えよ。また、ずっとだんまりかよ。」

  むっつりと不満そうな声。駄々を捏ねる響きのあるそれが、微かに身構えている。久しぶりに会
 ったサンダウンの中で渦巻くそれに、マッドは気付いているのだ。
  それでも、まだサンダウンを追い掛けている姿に安堵すると同時に、酷く凶暴な牙がその身体を
 貫きたいのたと欲望を孕んでいる。
  だが、その願いが叶わない事は、サンダウンが良く知っている。
  ひらりひらりと躱していくマッドに、この鈍い牙を突き立てる事は出来ないだろう。
  マッド自らがその身を投げ出さなくては。
  途方もない願いは、当然叶うはずがない。
  くっきりと網膜に焼きついた身体を、もう一度一瞥し、サンダウンは眼を逸らした。