マッドの目の前で、サンダウンがぽりぽりと何かを食べていた。

  
  

  Cookie





  正直なところ、見なければ良かった、と思った。
  いや、その前に、この小屋に立ち寄るのを止めればよかったのだ。馬小屋に見慣れた茶色い馬が
 鎮座しているのを見た辺りで、今夜は野宿に切り替えたら良かった。
  それをしなかったのは、マッドも野宿よりも雨風凌げる場所で寝たかったし、実際外は雨風で荒
 れていたからだ。
  けれども、中には茶色い馬の所有者である茶色いおっさんがいる。
  それが、マッドに小屋の中に入る事に二の足を踏ませたのだが、結局吹き荒ぶ雨風には逆らえず、
 結局小屋の中に入った。
  そして、マッドは日が差さない所為で薄暗くなった小屋の中、ぽりぽりと何かを食べている件の
 サンダウンを見つけたのである。
  暗がりの中で、ぽりぽりと何かを食べているおっさんの姿は、只管に不気味であった。薄暗い中、
 二つの青い眼がこちらを向いた時は、正直なところ人間には見えず、何か変な生物が忍び込んで、 
 小屋の中の食糧を勝手に漁っているのかと思ったほどだ。
  その、変な生物――サンダウンの二つの目に捉えれた状態で、しかしマッドはその視線を丸ごと
 無視して、部屋の中に置いてあるランプに一つ一つに明かりを灯していく。
  無精なサンダウンが―――或いはサンダウンは夜行性なのかもしれない――やり遂げなかった、
 部屋の中に明かりを入れるという仕事を終えたマッドは、とりあえずサンダウンに一言文句を言っ
 てやろうとした。
  部屋に明かりも入れないで、暗がりで一体何をしてやがるんだ、てめぇは。
  そう口を開いて、サンダウンを睨み付けようとしたマッドは、サンダウンを睨み付けた時点で、
 一体何がさっきからぽりぽりと音を立てているのかを理解した。
  サンダウンの手には、可愛らしいピンクの紙袋が握られており、そこにはポップな字体で、クッ
 キーと書かれていた。サンダウンの髭に覆われた口はもぎゅもぎゅと動いており、頬も膨らんでい
 る。因みに、今もサンダウンは紙袋の中に手を突っ込んで、クッキーを一つ摘み上げているところ
 であった。
  さっきから、ぽりぽりといっているのは、その音か。
  一体、何を食べているのかと思っていたが――ピーナッツかと思っていたがピーナッツにしては
 音が乾いていた――合点がいった。
  けれども、合点はいったが、サンダウンとクッキーという組み合わせには大いなる齟齬が生じて
 いるような気がする。というか、一緒にいてはならないものではないのか。特にピンク色の紙袋あ
 たりが。
  だが、サンダウンはマッドの視覚の混乱をものともせず、もっしゃもっしゃと、今もジンジャー
 ブレッドマンを取り出して口に運んでいる。
  一体、何処でそんなものを拾ってきたのか。
  はっきり言って、マッドはそんなものをサンダウンがわざわざ購入したとは、あまり想像したく
 もなかった。勿論、現実的に考えれば、サンダウンが買ってきたというのが一番有り得る事である
 し、実際にサンダウンがそういう物体を買ってくる事は良く知っている。ケーキやプリンを購入し
 ている事も知っている。
  髭面の分際で、甘い物が好きであるという、壊滅的なギャップ――男にギャップがある事を可愛
 いという女がいるが、マッドはそんなもの可愛くもなんともないと思っている――を持つおっさん
 は、きっと、平然としてピンクの紙袋を選んだのだろう。
  誰か、それを止めろ。
  というか、店員も売るのを自重しろ。
  クッキーを売りつけた店員にまで責任を求め始めたマッドは、一方でマッドをじっと見ているサ
 ンダウンの視線を無視する。
  さっきから――マッドがぽりぽりとクッキーを食べているサンダウンを発見してから――サンダ
 ウンはマッドをじっと眺めているのである。 
  サンダウンは基本的に無口である。自分で何かを伝えようだとか、理解して貰おうだとか、そう
 いう考えに乗っ取って声を放つという事をしようとしない。つまり極めて面倒臭がり屋のおっさん
 なのだ。ダメ人間の極地だ。
  そして、そんなおっさんを追い続けて数年、腐れ縁の所為で、男の微妙な表情の変化に気づくよ
 うになってしまったマッドは、サンダウンが何を言いたいのかが顔を見ればなんとなく分かる。つ
 いでに、サンダウンもそれを知っているらしく、マッドの前ではますます喋らない。
  結果、こうしてじぃぃっと見つめてくるのである。
  しかし、何が悲しくて、ピンクのクッキーの紙袋を持って、栗鼠のようにぽりぽりとクッキーを
 頬張っている髭面の小汚い茶色いおっさんに、見つめられなくてはならないのか。
  というか、言いたい事があるのなら、普通に喋れ。
  いや、この状態で喋られても、鬱陶しいだけだろうけれども。
  とにかく、サンダウンから微妙に視線を逸らし――だが、サンダウンの髭にクッキーの粉が付い
 ているのは見てしまった――マッドは、サンダウンからじりじりと距離を保つ。なんだか、今のサ
 ンダウンは非常に面倒臭いような気がする。
  いつも面倒臭いおっさんだが、今日は最も面倒臭いサンダウンの一つであるような気がする。
  ご飯はまだかな、とペット――なんて可愛いものではないが――のようにマッドを見て、食事を
 催促する時よりも、きっと鬱陶しい。
  まるで目を合わせたら突進してくるバッファローから眼を逸らすかのように、サンダウンから眼
 を逸らし続ける続けるマッドに、サンダウンのほうが焦れたのだろうか。ぽりぽりとクッキーを食
 べながら、もごもごとサンダウンが呼んだ。

 「………マッド。」 
 「嫌だからな、俺は。」 

     とりあえず、先手を打っておいた。
  しかし、先手を無視するのがサンダウンという男である。

 「クッキーが食べたい。」 
 「てめぇ、今食ってるだろうが、ああ?」

  その手に持っているのがクッキーでなければ、一体何だというのか。ビスケットです、なんて意
 味不明な台詞を吐くつもりか。アメリカではクッキーもビスケットも同じだ。
  けれども、サンダウンはめげない。めげるような男ではない。めげたところなど見た事がない。

   「お前の作ったクッキーが食べたい。」
 「なんで、てめぇの為に、この俺様がクッキーを作ってやらないといけねぇんだ。」

  既にサンダウンの為に弁当まで作ってやった事がある人間が言う台詞ではない。だが、これはマ
 ッドの矜持の問題である。サンダウンの言われた通りにしてやるなど、賞金稼ぎの沽券に関わるの
 だ。賞金首の言いなりになるなど、まっぴらだ。普段の食事は、あれは施しである。マッドはそう
 いう事にしている。
  しかし、サンダウンはしつこい。実はしつこい男なのである。しつこい鳥もちである。

   「お前の作ったクッキーが食べたい。」

  同じ台詞を繰り返すサンダウンは、ぽりぽりとマッドから見て二つ目のジンジャーブレッドマン
 を口に入れている。

 「てめぇは、人と喋る時くらい物を食うのを止められねぇのか。」
 「止めたらクッキーを作ってくれるのか?」
 「そりゃ、一体どういう取引だ。」

    クッキーを作るまで食べるのを止めない、という、わりとどうでもいい交換条件を出すおっさん
 に、頭は大丈夫なのだろうかとマッドは少し心配になった。

 「つーか、なんでクッキーなんだよ。」
 「お前は私に作った事がないだろう。」
 「あんたに限らず、誰にも作った事はねぇけどな。」
 「……それなら、私がお前のクッキーを食べる一番最初の人間だ。」
 「大層な台詞を吐いてるけど、別にそんな大袈裟に言うもんじゃねぇから。大体、だったら俺の作
  った弁当食った初めての人間もあんただろうが。それより、あんた食い終わった弁当箱出せよ。」

  クッキークッキーと、何に目覚めたのか騒ぐ男は、弁当の一言でようやく押し黙り、のっそりと
 弁当箱をマッドに差し出した。