「マッド………機嫌を直せ。」

  オルステッドを、ハリケーンショットというシングルアクションでは些か不可能すぎる技で瞬殺
 したサンダウンは、どうにかしてマッドに追いついていた。
  今一歩の所で人気のない裏通りから大通りへと踏み出すところだったマッドは、その頬をそれは
 見事に膨らまして、文字通り膨れっ面になっている。
  そんな彼をサンダウンは砂で汚れた壁際に追い詰め、その顔の横に手を突いて完全にぶんむくれ
 中のマッドを宥めていた。
  その様子は傍から見れば口説いているようにも見えるが、本人達は至って真面目である。
  そしてその足元には魂が抜け落ちているオルステッドが敗者の有様で転がっており、それらを二
 頭の馬が眺めやっていた。




 栗色





  表情こそいつも通りだがどうやら必死になっているらしいサンダウンは、マッドを追い詰めた壁
 際から逃がすつもりはないらしい。低く掠れた声で無意味に熱っぽく機嫌を直せと嘆願している己
 が主に、茶の毛並みの馬は小さく嘆息した。
  サンダウンがマッドに対して、実はマッドがサンダウンを追う以上の執着を持っている事は気付
 いている。
  だが、にも拘らず、サンダウンはマッドから逃げ、そしてマッドの神経を逆撫でする。
  怒らせてしまうのはしょっちゅうで、その度に追撃が酷くなるのは主人としては別に構わない事
 らしい。
  しかし今のように拗ねてそっぽを向かれるのは駄目なようだ。
  馬である自分には、どちらもマッドが主に対して不機嫌に思っているだけのように見えるのだが、
 主にとっては違うのだろう。
  人間とは実に複雑な生き物だ。
  互いに執着しているのに、逃げる、怒らせる。他の動物のように、寄り添う事は出来ないものな
 のか。尤もサンダウンがそれで良いというのならば、別に良いのだが。
  が、隣に立っているマッドの黒い愛馬――ディオにとってはそうではないらしい。
  苦々しげに鼻息を荒くし、『あのおっさん……。』とこれまた苦り切った嘶きを小さく吐き出し
 ている。一時人間であった彼は、もしかしたら馬としてしか生きた事がない自分よりも、主と若い
 賞金稼ぎの関係を理解しているのかもしれない。
  それにしても苛々と地面を引っ掻いているディオを宥める為、その黒い首筋の毛繕いをしてやる
 と、消炭色の眼がぎろりとこちらを睨んだ。

 『おい、てめぇの主人をなんとかしろ。』
 『何の話だ?』

  意味が分からないというふうに尋ねると、人間のように舌打ちしそうなくらい忌々しげな様子を
 見せた。
  馬なのに。

 『俺の主人に手を出すなって話だ。そりゃあ俺の御主人は美人だからな、恋人もいねぇくたびれた
  おっさんが手を出したくなる気持ちも分かるぜ。けどな、身の程知らずってもんじゃねぇのか、
  あれは。』
 『すまんが、言っている意味が良く分からん。』
 『しらばっくれてんじゃねぇ!御主人に追いかけられて嬉しそうにしてる挙句、隙あらば尻やら太
  腿やら触りやがって!そんなおっさんを止めるのは、付き合いの長いてめぇの役割だろうが!』
 『つがいだから良いんじゃないのか、尻や太腿触るくらい。』
 『つがっ………!?』

  あの若い賞金稼ぎが口走った『恋人』とはそういう意味ではなかったのか。
  しかしディオはその台詞を聞いて絶句している。
  凍りついたディオの足元で、不意に、不穏な気配が立ち上がった。サンダウンのハリケーンショ
 ットにやられ、とりあえず放置しておくのはまずいという事でここまで引き摺って連れて来られた
 オルステッドが眼を開いたのだ。
  乾いた砂地に頬を擦りつけて、馬二頭の間に転がされている姿はこの上なく間抜けではあるが。

 「ふ………憐れなものだ。オディオの一端であった者が、そのような姿に変わり果て、己を弑した
  人間からの屈辱を甘んじているとは。」
 『おい、この男はお前の知り合いか?』
 『ちげぇよ。むしろこの変態ぶりはあんたの主人の仲間だろうが。』
 『失敬な。私の主人はお前の主人とつがいである事以外は至って普通だ。』
 『てめぇも自分の主人の何処がおかしいのか分かってんじゃねぇか!ってか俺の主人とてめぇの主
  人はつがいじゃねぇ!』
 「おい、お前達、私の事を無視するな!」

  いや、話に割り込んできたのはお前だろうに。
  放置されかけて慌てて叫んだオルステッドの声に、馬二頭は内心で盛大に突っ込む。
  馬の突っ込みを受けたオルステッドの叫び声は、先程の立ち上がりで見せた囁きよりも遥かに大
 きい。
  痴話喧嘩の真っ最中だったつがい、もとい、サンダウンとマッドがこちらを振り返るくらいには。
  突然、馬に向かって叫んだオルステッドを何だと思ったのだろうか。二人とも、かなり非常に怪
 訝な顔でこちらを見ている。
  マッドに至っては、なんだかとても可哀そうなものを見る眼をしている。その眼をサンダウンが
 そっと遮る。

 「…………なあ、あいつ、馬に向かって何を叫んでるんだ?」
 「放っておけ、眼を合わせるな………。眼が合うと襲ってくるぞ。」
 「それって、バッファローと同じじゃね?」
 「あの男はそれと似たようなものだ。特に何をしたわけでもないのに、眼に付いた己にとって受け
  入れがたいものを引き寄せ、言い掛かりをつけ、壊そうとする。そして恐らく、奴の次の獲物は
  お前だ。お前が一度、奴を否定する素振りを見せれば、一気に襲いかかってくるぞ。」
 「はっ、俺はあんな変態に殺られるほど弱くねぇよ。見縊んじゃねぇ。」
 「見縊ってはない。だが、万一の事もあるだろう………?だから、余り関わるなと言っているんだ。」
 「…………ってか、あんたやっぱりあいつの知り合いだろ。でなきゃ、なんでそんなに詳しいんだ
  よ。」
 「詳しくはない………。ただ、知っているだけだ。お前にもそういう人間はいるだろう?」
 「ん……まあ、いるけど………。」
 「私はお前よりもあの男の事を知っている。それだけだ。だが、それだけでもお前に警告するには十
  分だと思うが。」
 「だから、なんで………。」
 「マッド………。」
 「なんだよ。」
 「今回のところは、大人しく、引き下がってくれないか………?」

  ひそひそと主人二人が痴話喧嘩を止め、顔を突きあわせて囁きあっている。その姿は、仲睦まじ
 い恋人同士に見えなくもない。
  いや、しかしなんだか途中から話の路線がずれ始めた。
  というよりもオルステッドをネタにサンダウンがマッドの機嫌を直そうとしているのか。
  ただ、それに伴って路地裏の空気が薄っすらとピンク色になり始めた気がする。
  つがい特有の空気の醸され具合に、ああやっぱりつがいじゃないか、と言うとディオが『違う!』
 と反抗した。
  そんな中、もはや不和の欠片も見られなくなった――しかもそれも自分の所為で、しかも世界が
 ピンク色になり始めた――二人を見たオルステッドは、彼らの会話の内容も相まってか、再び地面
 に顔を埋めてしまった。
  そして、心の底から捻りだすように呻く。

 「もう嫌だ………!帰りたい………!」
 『そうしとけ。』

  いちゃつく西部のガンマン二人に当てられ心の根底からぽっきりとオディオを打ち砕かれた魔王
 に、馬二頭はゆっくりと頷いた。
  それ以前に、色々と気付くのが遅い。

『どれだけ不和の種をあの二人に植え付けても、痴話喧嘩にしかならないから。』