「お前はあれだけ言ってどうして他人が見たら変態としか思えねぇような態度を取るんだ、ええ?
  何度も言わせるんじゃねぇよ俺はそんな変態連れ回したかねぇぞ。」
 「…………。」
 「分かったら、返事は?」
 「はい………。」

  ぐりぐりと額を押さえつけていた手がようやく剥がされたと思ったら、続いてそんな事を吐かれ
 た。魔王オディオに向かってなんて口を、と思って黙っていると、黒い眼でぎろりと、それこそ背
 後にカーニバルに出てくる悪魔を背負っているような気配で睨みつけられた。
  変態を連呼されたその瞬間、オルステッドの魔王としての意地が砕け、渋々頷いた。




 鈍色





  眼の前に、以前自分が呼び寄せた、別世界の英雄がいる。自分と同じ、英雄と崇め奉られた末に
 地に落とされた英雄だ。その男の心臓の裏側に、おどろおどろしい魔王の舌やら爪やら牙やらが絡
 んでいる事は、オルステッドにしてみれば自明の理だ。大口を開けて、その心臓を呑み込んでしま
 おうとしている魔王はオルステッド自身であり、そして紛れもなくこの男自身である。
  どこまでもどこまでも、オルステッドに似た道を歩いている、かつての英雄。
  オディオとはあらゆる時代あらゆる場所に存在する。そしてそれらは確実に繋がっているのだ。
 人という存在が繋がり巨大な網を世界に張っているように、人が存在する限り憎しみもまた網を張
 る。その憎しみは全てを越えて駆け巡り、一つの情報網として集まっている。
  それ故、各世界のオディオ達は他の次元のオディオの事を感覚として理解している。
  だから、この世界のオディオを潰した英雄が誰なのかも知っているし、その英雄が実は潰したオ
 ディオよりも遥かに深い絶望を腹の底に巣食わせている事も知っている。
  この男なら、きっと、新しい不和の火種となるだろう。
  どれだけそれを拒絶しても、堕ちる時、人は抵抗も出来ずに墜落していくものだ。
  オルステッドがそうであったように。
  そして、孤独は墜落の速度を加速させる。
  オルステッドがそうであったように。
  だから、この砂色の男が、オルステッドのいる深緋の中に沈むのは時間の問題だ。群青の眼が血
 と同じ色に染まるのは、決してそう遠い未来の話ではない。

  ―――その時こそ、オディオが再び現れる時だ。

 「おい、キッド!何処に行くんだよ!てめぇ俺にこんな変態の相手を一人でさせるつもりか!」

  が、オルステッドの心の声を完全に無視する形で、マッドが孤独に立ち去るはずのサンダウンを
 呼び止めた。
  実際、サンダウンはマッドが言っているほど――オルステッドが思っているほど孤独にも――立
 ち去る素振りを見せていない。
  いやそれ以前に何気にさらりとオルステッドの事を、また、変態呼ばわりした。
  というか既に変態呼ばわりする事を止める気はなさそうだ。

 「なんかお前ら知り合いみてぇだし、ちょっとは手伝えよ。」
 「だから知り合いではないと………。」
 「手伝ったら飯くらい奢るぜ?」
 「いいだろう。」

  特に孤独である素振りも見せず、魔王候補であるはずの男は、食事を奢るの一言であっさりと承
 諾した。
  一瞬で崩れ去ったいろんな未来予想図を前にオルステッドが声を失くしていると、マッドがくる
 りと振り返って悪気など一切ない声で、挙句オルステッドの頭をぽんぽんと叩きながら告げる。

「そういうわけだ。良かったな、仲間が出来て。」

  何がそういうわけだ。
  何が仲間だ―――どうせ変態仲間だと思っているくせに。
  いやいやそうではなく、さっきから人の邪魔ばかりして何のつもりだ。
  ふるふると屈辱に身を震わせているオルステッドなど歯牙にもかけず、マッドはひとまずもう一
 回宿に戻ろうかなどと言っている。
  そんな能天気この上ない頭を今この場でかち割ってやりたい。いっそオディオの力で灰にしてや
 りたい。
  だが、何故か奇妙な事に、この男がいると魔王の力はあっさりと身を引いてしまうのだ。それは
 サンダウンも同じなようで、マッドがいると醜く蠢いている魔王達は息を潜め、酷く大人しくなる。

  ―――なるほど。

  波のように引いていくオディオの力を感じながら、オルステッドは歯ぎしりしつつも納得した。
  先程オルステッドはサンダウンを最後の絶望に押しやる為に、この男を壊そうとした。それは無
 残にも失敗したが、マッドがサンダウンの最後の砦である事を間違いがないようだ。
  ならば、やはりマッドは壊しておくべき存在のようだ。
  それを確かに感じ、オルステッドは内心でほくそ笑んだ。
  こうして無防備に自分を従えるつもりならば、いつでもその身体を砕く事はできる。オディオの
 力など借りずとも、その命の一つや二つ掻き消せるだろう。いっそのこと、サンダウンの前で潰し
 てやろうか。
  いや、それとも自分と同じ目に逢わせてやろうか。
  裏切り、壊れる様を見せつけてやっても良い。
  自分の前でストレイボウが裏切り、この手に掛けねばならなかったように。
  暗い欲望を想像し、裂けるような笑みを浮かべるオルステッドの耳には、何も知らないマッドの
 声が愚かしく届く。

 「なあ、キッド。お前、あいつと何処で知り合ったんだよ?」
 「…………マッド。」
 「なんだよ。」
 「あまり、あの男に関わるな………。」
 「んだよ、そりゃ。俺だって好き好んで連れ回してるわけじゃねぇよ。けどな、荒野のど真ん中に
  ほっぽり出しとくわけにもいかねぇだろ。知ってるかあいつ馬に乗れねぇんだぜ、そんなの放っ
  ておいたら死ぬだけだろうが。」
 「どうしてお前はそう…………。」
 「ああ?!」

  溜め息交じりのサンダウンの声に、気分を害したようにマッドが声を荒げる。
  膨れ上がる、負の感情。
  それはオディオにとって心地良いもの………。

 「人が行き倒れてるのを助けて何が悪いってんだ!大体てめぇはいつもは俺の事になんか興味なさ
  そうな顔してる癖に、なんだって今日に限って俺のやる事に口出すんだよ!」
 「手伝えと言ったのはお前だろう。」
 「ああそうだよ!俺が言ったよ!でもな、てめぇはどうしてこう突然、人の意見をぶった切るよう
  な言葉しか吐かねぇんだ。もうちょっと言いようってもんがあるだろうが。」
 「私はお前の為を思って………。」
 「どのへんが俺の為だってんだよ!説明もなしに適当な事ほざいてるだけじゃねぇか!そもそも俺
  の事なんかどうだって良い癖に何が俺の為だ!」
 「マッド、私は…………。」
 「言い訳なんか聞きたくねぇな。あんたなんか、いつもみたいに俺の事見て見ぬふりして、どっか
  行っちまえばいいんだ!」

  あんたの事なんかもう知らねぇ!と怒鳴って、サンダウン――とオルステッド――を放置してマ
 ッドはかっかと頭から湯気を立てて何処かに行ってしまう。
  先程までの空気からは一転、あっと言う間に沸騰した姿は、正に瞬間沸騰湯沸かし器である。
  その後ろ姿を引き止めようとした格好で置き去りにされたサンダウンの姿は、孤独以外の何物で
 もない。
  それはオルステッドの望んだ状態ではある。
  が…………。
  確かにこれはオルステッドが原因で齎された不和である。争いの火種であり、不幸の始まりかも
 しれない。
  しかし、これはどう考えても絶望の芽吹きというよりも、痴情の縺れだ。
  要するに痴話喧嘩である。
  オルステッドは、自分が望んだとおり争いを生み出した事は分かったが、こんな争いは正直予想
 していなかった。自分が予想し企てていたのは、裏切りと不信、そして絶望によって花開く憎しみ
 だった。
  が、実際に花開いたのは、ただの痴話喧嘩だった。
  あんまりにもおかしな形で花開いた争いの火種に、オルステッドは今度こそ灰になった。
  そんなオルステッドの耳に、今まで黙りこくっていたディオが小さく囁くのが聞こえた。

 『だからこんな変態達に近付かない方が良いって言ってるのに。御主人はお人好しなんだから。』

  溜め息交じりの声でディオはそう呟くと、『待って、御主人!』と嘶きながらマッドの後を追う。
 後に残されたのは、マッドを引き止める事が叶わなかったサンダウンと、もはや何度オディオを突
 き崩されたのか分からないオルステッドだけである。
  小さく砂塵が舞う路地裏で、ぎぎぎぎ、と音がしそうなぎこちない動きで、サンダウンがオルス
 テッドを振り返った。
  青い双眸がオルステッドを捕捉した瞬間、オルステッドはストレイボウに裏切られた時よりもア
 リシアに眼の前で自殺された時よりも、目の前が真っ暗になった。
 いや、冗談抜きで自分の存在存亡の危機を感じた。
  それほどまでに、眼の前で乾いた風を散らして滾々と青い目に静かすぎる怒りを灯している男の
 気配が、恐ろしい。擦り切れたポンチョの欠片でさえ、魔王の鬼火のようだ。
  それは、魔王オディオと化したオルステッドが後退るほどだ。
  その迸る肥大化した気配の原因が、絶望とか憎しみではなく、単なる八つ当たりであったとして
 も。
  そう、オルステッドには分かっていた。
  眼の前のおっさんが、マッドを怒らせてしまった事について、年甲斐もなく――実に年甲斐もな
 く、八つ当たりをしている事に。
  しかし、その事実を差し引いても、怖い。
  そして悟った。
  どうやら、この男に自分と同じ境遇に合わせる事は、どだい無理な話だという事に。
  この男とマッドの関係は、あれだ。自分とストレイボウのように清く正しい関係ではなかったの
 だ。ああそうだ、この二人と自分達が同じ関係だなんて思ったら、ストレイボウが可哀そうだ。
  遠ざかる意識の中、オルステッドはかつての友に、一瞬でもこの二人を重ねた事を謝った。