見渡すかぎり、茶色としか形容できない大地が広がっている。
  所々に低い立ち木や草も見えるが、それらを総合して見ても、やはり茶色味が強い。
  鉱石でも混じっているのか赤茶けた土や、一切の水分がない為にかさついた黄色味を帯びた灰色
 の砂がほとんどを占める中では、木々の色など些細な抵抗にすぎない。
  湿気を含んでいるのか焦げ茶に見える地面には草原も広がるが、それらも渋みの強い緑で、暗雲
 が立ち込め光源が少なくなれば立ちどころに地面の色と同化する。
  この色に抵抗できるものといえば、同じくらい全面に広がる青空くらいだ。
  都会でいう空色よりも遥かに青味が強く、むしろ群青に近い。
  複雑な色は細々と存在するが、しかしより強く主張する二つの色の狭間で、きらりと明るい色が
 煌めいた。





  鬱金






  砂地に倒れた金の髪は、酷く鮮やかだった。
  しかし乾いた風に煽られるその髪は、周囲を彩る砂に比べると鋭く光を弾いていたが、同時にく
 すんでもいた。死んで打ち捨てられた動物の毛並みが、よく、こんなふうだったとマッドは思う。
  しかしそれ以上に眼を惹いたのが、倒れた男が身に纏う衣装だった。胸から腹部にかけてを覆う
 のは細かい鎖を幾つも編み込んだチェインメイル――所謂、鎖帷子というものだ。そして鎖帷子が
 及ばない肩や腕、脚は、煮詰めた革で作った保護具が覆っている。
  所々に黒い模様が描かれた鎖に、それは錆びかと思ったが、革にまで侵食しているのを見て自分
 の考えが甘い事を知る。
  どす黒く飛び散った斑点は、それがこの青年の色をくすませる要因の一つとなっている。
  そんな彼の傍らに、まるで墓標のように突き立てられた両刃の剣にも、鞘と見間違うほど黒く乾
 いた模様が分厚く塗り固められていた。
  荒野にあるにはあまりにも場違いな様相に、マッドは眉を顰めた。
  この時代のアメリカ西部で、こんな姿はまずお目にかかれない。仮に見られたとしても、それは
 過去の英雄譚や時代物の演劇を催す舞台の上でだろう。
  思って、いや、と打ち払う。
  舞台の上でなら、俳優達はもっと華美な鎧と剣を見に纏うはずだ。舞台の上では庶民でさえ立派
 な鎧を着ているものだ。こんな、貧相な、本当に庶民が身に着けるような鎧を観客に見せたりしな
 い。
  革で出来た籠手や具足は動きやすさを重視したと言うよりも、所々ほつれが見られるほど使いこ
 まれたのを見れば、庶民が手の出せる範囲の防具である事が窺える。
 そして、刃渡りの短い、幅広の剣。
  騎兵――即ち貴族から構成される兵士は、馬から敵を突く為に、槍か刃渡りの長いロングソード
 を使用するが、突き立てられた剣はどう見ても馬上から敵を攻撃できるような長さはない。
  つまり、これは歩兵――庶民で構成される兵士達が持つ剣だ。
  しかし、これらは現在のアメリカでは見る事はできない。いや、本国でも博物館にでも行かない
 限りは無理だろう。
  鎖帷子はともかく、革の具足と籠手など、用心深い金持ちでも使わない。
  そして幅広の、武骨な剣。
  儀礼用の優美さなど一欠けらもなく、斬る事よりも寧ろ叩き潰す事を目的としたような刃は太く
 短い。
  今、フェンシングなどで使用されているサーベルとは、全く違う。
  どう考えても、年代が今と違うのだ。
  西部の荒野には有り得ない物体達。
  だが、マッドが眉を顰めたのはそれらの所為だけではない。
  倒れる鬱金の影からは、生命の気配が微塵もしなかった。しかし、雨が降る前にも似た、生温い、
 肌に纏わりつくような気配は、確かに眼の前の青年から沸き立っている。
  なんだ、これは。
  それでも後退りしなかったのは、幾重もの視線を潜り抜けたマッドだからこそ。
  そして、何よりもマッドはこの気配を何処かで感じた事がある。
  空っぽの口を開き、底なしの穴を塞ぐ為に真っ赤な舌を伸ばした、その肌触りと同じだ。それは
 一体、誰の舌だったのか。
  マッドはそれの記憶を辿る事を止め、倒れたぼさぼさの頭髪に手を伸ばす。
  思い出せないが、マッドはそれが己が恐れるに値するものではない事を知っている。
  それに、こうした気配に敏感な愛馬が、暴れもせずに佇立している事が、危機的な状況でない事
 をている。
  だから、マッドは特に臆する事なく、青年の身体に手を伸ばした。
  その瞬間、火の棒を背中に突っ込まれでもしたかのように、今まで微動だにせずに倒れていた青
 年の身体が跳ね上がった。それはちょうど、床に落とされた人形がバウンドするような仕草で、だ
 が青年はその跳ね上がりのまま身を起こす。
  人間業とは思えない動作に呆気にとられる暇もなく、マッドは本能のみに従って飛び退った。
  その鼻先を、血糊で鈍くなったとはいえ分厚い刃が通り過ぎていく。どす黒く塗り固めた刃の向
 こう側では、柘榴のように赤い瞳が輝いている。
  痛いくらいに眩しい青空の下だというのに、青年を彩る装飾は悉くがこの空の下には相応しくな
 い。
  憐れだ。
  場違いな服装や、薄気味の悪い気配、そして通り過ぎ去った刃の切っ先を忘れて、マッドが思っ
 たのは、それだけだった。
  彼が何者であるのか、マッドには量りかねるだが、若いながらも幾つもの人間模様を見てきたマ
 ッドには、服装を差し引いても青年が異質である事が分かる。全ての角度から見ても、彼の様相は
 この世界から弾かれている。
  くすんだ色は、数多くの荒み切ったならず者を見てきたマッドも、初めて見る色だ。
  それは、彼がこの世界に相容れない存在である事を否応なしに証明している。

 「愚かな。この私を憐れむのか。」

  マッドの心を呼んだかのような青年の言葉。
  酷く堅苦しい言葉遣いとは裏腹に、声はまだのびしろがある低さだ。

 「我が名はオディオ。あらゆる争いの火種。憤怒、悲哀、憐憫。それらは私の庭に咲く花のような
  ものだ。私はそれらを与える者。故に私に憐れみを与えるのは愚か者のする事だ。」
 「大丈夫か、お前。」

  青年の声に、空虚と混沌と、相反するものが含まれている事に気付かぬわけではなかったが、マ
 ッドはひとまず青年の芝居がかった口調を一蹴する事にした。

   「ひとまず、御大層な言葉を並べたてる前に、てめぇが何者で何をしたいのか言ってくれねぇか?
  でなきゃ俺はてめぇを、舞台俳優になり損ねて、意気揚々と出てきた故郷に帰るに帰れなくて、
  結局追剥で食い扶持稼いでる負抜けたガキだと認識するぜ?」

  殊更面倒臭そうに言うと、超然とした表情を浮かべていた青年は、一瞬虚を突かれたような顔を
 した。僅かに覗いた素顔を再び隠し、青年は独り言のように呟く。

 「まあ、良かろう………。」
 「良いのかよ。ちょっと劇を褒められたくらいでいい気になって、母親が止めるのも聞かずに都会
  に飛びだしてきて、劇団に入ったものの眼が出ずに雑用ばっかりやらされて、とうとう逃げ出し
  た揚句に追剥になって、でもまだ俳優になる夢を諦めきれてないって認識で、良いんだな?」
 「黙れ!私は、魔王オディオ!」
 「わかったわかった。俺は勇者マッド・ドッグ様だよ。参ったか。」

  青年の纏う、くすんだ気配が割れ始める。
  能面のように無表情で、瞳だけが異様に輝いていた顔にひびが入り、先程垣間見えた素顔が覗い
 た。所謂、『大人』と言い切るにはまだ幼い表情が見え隠れしている。

 「それで、魔王様は何をしにきたんだ?何処かの姫を攫ったから取り返しに来いとでも?それとも
  今から世界征服をするから止めに来いとでも?てか、本気でやる気なら、黙ってやれよ。わざわ
  ざ言いにくるんじゃねぇよ。どう考えても本気じゃねぇだろ、それ。やるんなら本気でこねぇと
  相手にしてやらねぇぞ。」

  それだけを言い放ち、未だ眼の前に掲げられたままの剣を軽く指先で弾くと、みるみるうちに青
 年の赤い瞳が燃え上がった。

 「良かろう、それならば本気で相手をしてやろう。この世界が消炭になってから嘆くがいい。」
 「どうでもいいけど、その鎖帷子、絶対に蒸れるぞ。空気が乾いているからって舐めんなよ。変な
  臭いがしてから泣いても遅いぜ。」  「やかましいわ!」
 「自分で洗えよ。俺は知らねぇからな。」
 「鎧の手入れぐらい自分で出来る!」
 「魔王のくせに鎧を自分で手入れしねぇといけねぇのか。しけてんな。」
 「ぬぐぅ………!」

  拳をふるふると握り締め悔しそうに歯ぎしりする青年に、マッドは鼻先で軽く笑い続けて言う。

 「それと、その格好だと熱中症で倒れるぜ。あと、馬がねぇと移動もきついだろうな。それとも、
  あれか。魔王だから空でも飛べんのか。」

  馬鹿にしたように言ってやると、青年の声に危険なものが混ざり始めた。
  瞳の色が、黒ずんだ剣の刃先と同じような、どす黒い色に変化する。

 「その数々の減らず口、二度と叩けぬようにしてやろう!見るがいい、人が生み出した魔王の姿を、
  その力を!そして身を以て知るがいい!オディオの真の意味を!」

  暗雲を戴いたかのような姿がぶり返した事に、マッドは失敗したかと思った。
  生命としての鼓動がないながらも、あのくすんだ気配が薄れたと思ったのだが、少し加減を間違
 えたらしい。
  ねっとりとした空気が荒野を覆う様子に顔を顰めるマッドの眼の前で、青年は金の髪を茨の冠の
 ように頭に掲げ、天を振り仰ぐ。胸が裂け、背が撓り、何がか出てくるのかというくらい。
  が、それだけだった。
  彼の周囲は異様な空気が漂っているが、空は相変わらず群青だ。
  青と茶色の間を、一陣の風が吹き抜ける。

 「くっ、何故だ!何故、力が出せぬ!?」

  打ちのめされたかのように地面に膝を突く青年は、本気で打ちのめされているようだが、纏う気
 配がなければ一人で勝手に盛り上がっているナルシストである。
  生命ではないくせに気配がある事に異常を感じ、こうして此処にいるが、別にそんなに心配しな
 くてもよいのかもしれない。
  というか、一人荒野で何もできないくせに悶絶している自称魔王にかまっている自分があほらし
 くなってきた。

 「なあ、俺、もう行っても良いか?」

 「待て!」

  引き止めるのか。
  魔王のくせに。
  見れば、青年の額には汗が浮いている。
  それはそうだ。こんな日差しの強い中、そんな恰好をしていたら暑いだろう。しかもさっきから
 テンションがおかしな方向に高い。そんな状況で一人にされては、さすがにまずいと彼自身思って
 いるのだろう。

 「分かった分かった。町まで連れてってやるよ。」

  唇を引き結んで震えている鬱金の人影に、マッドは宥めるように告げた。
  そして、背後に佇んでいるディオを引き寄せる。
  さて二人乗りになるがディオは嫌がらないだろうかと思いつつ、むすっとしている魔王に何の気
 なしに訊いた。

 「で、お前、名前は?」

  まさか本気でオディオが名前だなんて言う気じゃないだろうな。
  憎しみを意味する言葉を。
  すると、青年の眼に逡巡するような色が浮かんだ。

 「坊主?」

  子供扱いの口調を滲ませ、それでも有無を言わせぬ声音で促すと、諦めたのか彼は耐えるような
 声で言った。

「オルステッド。」