ひょっとして、自分はこのまま死んじゃうんじゃないだろうか。
  治まらない耳鳴りと頭痛を抱えて、マッドは情けない気分でそう思った。
  別に、普通に考えればこんなのはただの風邪で、しばらく眠っていれば治るようなものだ。けれ
 ども、流石に何一つとしてない荒野のど真ん中で倒れ、朽ちかけた小屋の中で身を横たえるしかな
 いとなれば、ほんの少しとはいえ不安になるというものだ。
  毛布を掻き寄せて、ぶるぶると悪寒に身を震わせて、なのに骨の中は熱い。身体の中は熱が籠っ
 ているのに、表面は凍り付いているようだ。その所為か全身がだるくて、動きたくないし、動く力
 もない。こんな埃っぽい小屋からさっさと抜け出して、何処かのホテルで熱い風呂に入って、すっ
 きりしたいのに。そういえば、ディオに何日餌をやってないだろう。もしかしたら餓死してたりし
 ないだろうか。
  碌でもない事を延々と考えるのは、恐らく熱に浮かされている所為だ。頭の中で特に渦巻いてい
 る熱はとても重くて、頭を動かそうとしただけでも鈍い痛みが走る。
  熱の所為で潤んだ眼をしているマッドは、弱々しい吐息しか吐き出せない自分の姿に憮然とする。
 毛布に包まって、ふるふると震えているだけの身体は、襲われれば一溜まりもない。そんな無様な
 姿を、よりにもよって、

 「………水でも、飲むか。」

  低い声が気遣うように静かに響き渡り、マッドは死にたくなった。





 Chicken Soup








  思えば、体調はずっと悪かった。時折頭痛がしたり、寒気がしたりと兆候はあった。けれどもそ
 れを押して仕事をしてきた。それでも、どこかで休息を挟めば良かったのだろうが、生憎とその暇
 もないくらい忙しかった。
  とにかくそれらの仕事を全て片付けて、小さな安宿でも豪華なホテルでも何処でも良いから、一
 人小さく身を丸めたかった。娼婦達にちやほやされても良かったし、仲間達に傅かれても良かった
 のだけれど、今回は一人で獣が傷を癒すように大人しく身を丸めていたかった。

  そう思っていた矢先に、また、仕事が舞い込んできた。

  乾いた大地の化身のような、草臥れたポンチョと帽子に身を包んだ長身の獲物が、乾いた風と一
 緒に到来した。荒野の悪魔の喉笛をかっ捌くのはマッドの役目だ。だから、後先考えずに飛びだし
 た。その時は確かに、頭痛もだるいと思っていた身体も忘れたのだ。
  けれども、それは所詮はマッドの気分。
  身体の方は完全に限界に来ていたらしい。
  その銃撃で、手にしていたバントラインを弾き飛ばされた。たったそれだけの衝撃に、耐えられ
 なかった。マッド自身が驚くほどあっさりと、限界だった身体は地面に倒れ伏した。
  だが、おそらく、マッドよりもサンダウンのほうがもっと驚いただろう。何せ、銃を跳ね飛ばし
 ただけと思っていた男がいきなり倒れたのだ。誤って撃ち殺してしまったくらいに思ったかもしれ
 ない。
  その時のサンダウンの顔をマッドは見る事は出来なかったが、駆け寄ってきた足音とそこから漂
 ってきた焦った気配から想像するに、よほど間抜けな顔をしていたに違いない。
  しかしその間抜け面を想像して嗤う事は、マッドには出来なかった。何故なら、マッドには分か
 っていたからだ。決闘直後に体調不良で倒れた自分のほうがよっぽど間抜けである事を。しかもそ
 の後、その決闘相手にお姫様抱っこされて、とりあえず朽ちかけた小屋に連れていかれ、そしてそ
 こで看病されている。その事実は、悶え死ねるほど、恥ずかしい。

    「まだ、下がらないか………。」

  ひたりと額に手を当てられてきょとんとしていると、そう呟かれて熱を計られたのだと分かった。
 賞金首に甲斐甲斐しく世話を焼かれているマッドは、止めろ、と言いたくても、こんな状況ではそ
 れも出来ない。悔しそうにサンダウンを睨みつけても潤んだ眼では、どうした、と頓珍漢な返事が
 返ってくるだけだった。

 「………何か、食べるか?」

  何か食べないと体力が落ちるだけだ、という言葉に、それは賞金首が賞金稼ぎに言う台詞なのか
 と、痛む喉の奥だけで突っ込む。そもそも、マッドが倒れた時点でその場に放置しておけば良かっ
 たのに、どうしてそれをしないのか。そう問い掛けたくても、喉が痛む現状ではそれは困難だった。
 そして、やはり潤んだ眼では、訴えは非常に歪曲される。

 「まさか、風呂に入りたいとか言うつもりじゃないだろうな………。」

  言ってない。確かに風呂にも入りたいが、そんな事は言ってない。

 「………身体を拭くくらいの事はしてやるが。」

  呟いて、かさついた手を伸ばしてくる男から、マッドは思わず身を退く。何が悲しくて、賞金首
 のおっさんの手によって全裸にされて身体を拭かれなくてはならないのか。
  身を退いたマッドを見て、サンダウンは首を傾げる。やっぱり潤んだ眼の訴えは全然通じていな
 い。
    とりあえずマッドの求めるものが何なのか分からないサンダウンは、のそのそと作り置きしてい
 たらしいチキンスープの準備を始める。チキンスープと言ってもブイヨンから作り上げた上等のも
 のではなく、干し肉やら何やらで味付けした簡素なものだ。尤も、今のマッドにはそんな簡単なも
 のも作れないのだが。
  意外と手際よくチキンスープを用意した男は、縁の欠けた深皿にそれを注ぎ、のそのそと戻って
 くる。ほわほわと湯気の立ったそれが、おいしいのかどうか、実を言うと舌も少しおかしくなって
 いるマッドには分からない。ただ、それの温かさだけしか分からない。
  味気ない食事をじぃっと見つめているマッドを見て、なんと思ったのか、サンダウンは少し汚れ
 たスプーンでスープを掬うと、マッドの口元にそれを運んだ。何考えているんだ、と思ってサンダ
 ウンを見れば、その表情は真剣そのものだった。真剣にスープを差し出す賞金首は、どうやらふざ
 けているわけではないらしい。本気で、賞金稼ぎに、あーん、をしようとしているようだ。
  無言でスープを勧めてくる賞金首の圧力は、いっそ清々しささえ感じる。その圧力に屈して、マ
 ッドはしぶしぶ口を開いた。そこに流し込まれるスープ。ただし、味覚音痴になっている現在では、
 やはり味は感じない。
  それでも、その温かな物を喉に通すと、サンダウンの表情がふっと緩んだ。


 「……良い子だ。」

  そうして、頭を撫でられた。
  完全に子供扱いされている。だが、マッドがそれを悔しがって、頬を膨らますよりも先に、サン
 ダウンは再びスープをスプーンに掬って、マッドの口元に運んできている。それに黙って口を開け
 ば、良く出来たと言うように、何度も何度も頭を撫でられた。





  味気ないが温かい食事を終えた後、マッドはうとうとと眠りの世界と現実世界の狭間を漂った。
 耳鳴りと頭痛も少しだけ治まって、身体は休みを取る体勢に入っている。その状態で、現実世界の
 気配を探れば、サンダウンが何が動いているような物音がした。
  微かなその音は、衣擦れのように囁かだったが、眠りに落ちる前の敏感なその一瞬には酷く大き
 く聞こえた。
  何をしているんだろうかとぼんやりと思っていると、何かがすぐ横に置かれる音がした。その中
 に水音が混ざっていたから、恐らく熱冷ましか何かの為の水を準備してくれていたのだ
 ろう。
  その事実に、感謝を述べるべきなのだろうかと迷っていると、不意にサンダウンの気配が濃くな
 った。どうやら酷く近くにいるらしい。と、マッドの眼を覆うようにかさついた手が触れるか触れ
 ないかのところに翳された。

 「………眠れ。」

  サンダウンの声は、穏やかだった。

 「すぐそこにいる……。だから、安心して、眠れ。」

  いつもなら、幾つかの憎まれ口が思い浮かんだだろう。どうしてお前と一緒にいて安心できるん
 だだとか、お前と一緒にいて寝れるわけがないだろ、だとか。
  だが、今に限って何一つとして言葉は思い浮かばず、マッドは翳された手に従って瞼を閉じる。
 すると、眼を覆っていた手はゆっくりと額に移動し、そっと頭を撫でる。
  やっぱり、子供扱いされている。けれどもその手つきに、どうしようもなく安堵してしまうのは
 熱に浮かされている所為だろう。

 「マッド?」
    額に置いてある手に顔を擦り寄せたら、サンダウンが少し驚いたような声を上げた。だが、すぐ
 にそれは苦笑に変わる。額に置いていた手を動かし、そっとマッドの手を掬いあげ、握り込んだ。
 かさついた手はごつごつしていて触れられていても何の楽しみもない。
  けれどそっと握り締められた事で、その手がすぐ傍にある事を保障されたような気がして、マッ
 ドは今度こそ、瞼の裏で誘い続けている睡魔に身を委ねた。

   「…………そばにいてやるから。」

  眠りに落ちる瞬間に聞こえた声は、果たして夢だったのか現だったのか。そしてその声が、微か
 に焦がれを孕んでいたのは、気の所為だったのか。
  それを拾い上げる術は、何処にもない。

  ただ、手の中に温もりを感じながら、マッドは眠りの坂を転がり落ちて行った。