本日未明、サンダウンとマッドは喧嘩をした。

  
  
  
  聖者の贈り物





  切欠は恐ろしい程些細な事だった。
  ただし、サンダウンにとっては些細と言う言葉で済ませてしまうには、重大すぎる事だった。
  マッドが賞金稼ぎ仲間にケーキを贈ったのだ。それも手作りの。しかもワンホール丸ごと。サン
 ダウンだってそんなもの贈って貰った事はないのに。
  そしてその光景をサンダウンにばっちり見せつけるマッドもマッドだ。別にマッドとしてはそん
 な時にサンダウンが通りかかるなんて思ってもおらず、見せつけた記憶もないのだが、生憎と嫉妬
 に狂ったサンダウンにはそんな事を考える余裕はない。
  嫉妬に狂うサンダウンの様子は妻が合コンに行く事を咎める亭主にも見えなくはないが、マッド
 はサンダウンの嫁になった事はないので、その点含めてサンダウンを擁護する事な難しい。
  そもそも、マッドにケーキを贈られた賞金稼ぎが、やっと十代前半を抜け出したばかりの少年で
 ある事にさえ目も向けず、自分か常々マッドの手料理を口にしている事もすっぽりと都合良く無視
 している、年端もいかぬ子供に嫉妬しているおっさんは、鬱陶しいを通り越して見苦しい。
  が、それさえもサンダウンは理解出来ぬ程、嫉妬に狂っている。
  それを指摘したマッドにさえ怒りの矛先を向ける程に。
  マッドに怒りを向けた後は、売られた喧嘩は基本は買って捨てるマッドによる罵詈雑言のオンパ
 レードだった。正直言って、基本的に無口がデフォルトのサンダウンに、口喧嘩でマッドに勝てる
 はずがない。ディオのガトリング砲並の勢いで切れ味の良すぎる罵声を並べ立てるマッドを前にし
 て、サンダウンはいつも以上に黙るしかなかった。
  そして、息つく間もなく一息にサンダウンを罵り倒したマッドは、しかしそれで腹の虫が収まる
 事はなかったらしく、そのまま家を出て行ってしまった。
  後に残されたサンダウンは完全に見捨てられた態で、マッドの塒――間違ってもサンダウンの塒
 ではない――で、いじけた表情でマッドがいつも使っている毛布に包まっていた。
  マッドのお気に入りの毛布は、マッドがいつも使っているだけあってマッドの匂いが染みついて
 いる。それ故にサンダウンにとってもお気に入りの毛布だった。マッドがいない夜は、こうして勝
 手に一人で包まって、匂いを嗅いでマッドの事を思い出すという、何処からどう見ても変態じみた
 事をしているのだ、このおっさん。
  そんなわけで、マッドに出ていかれたその日も、サンダウンは一人毛布に包まっていた。
  大体、マッドが悪いのだ。
  一人、そんな、どうしようもない事を思いながら。
  しかしサンダウンは真剣である。元保安官で凄腕のガンマンであり、その銃の腕が血を呼び込む
 と言って自ら賞金首に堕ちた男は、何故か賞金稼ぎマッド・ドッグが絡むと、際限なく我儘になる。
 その我儘ぶりは、もはや変態と紙一重である。
  だが、至って真面目に変態行為をする男は、自分が変態であるという自覚はない。
  子供に嫉妬をしたという自分の狭量を省みるどころか、マッドが悪いと呟き続ける。

  マッドが悪い。

  自分と言うものがありながら、他の男に甘い顔をして、手作りケーキなんかを渡すなんて。誕生
 日だかなんだか知らないが、そんなもの放っておくか、それか市販の適当なものを渡せば良いだけ
 だ。よりにもよって手作りのケーキなんか渡す必要など、海の底を攫ってみてもあるはずがない。
  そもそも、自分にはそんな事をしてくれた事はない。誕生日だろうがなんだろうが知らん顔をし
 ている。それどころかクリスマスにしてもヴァレンタインにしても、少しも自分に懐いてこない。
 いつも口悪く、皮肉っぽい笑みを浮かべているだけだ。
  別に口の悪いマッドが嫌いなわけではない。どんなマッドであっても可愛らしいと思うし、おい
 しく頂ける自信はある。
  けれども少しくらい素直で恥じらいを浮かべるマッドを見たいと思っても良いじゃないか。白い
 むくむくのセーターを着て、愛くるしくホットミルクを飲むマッドを見てみたいと思って何が悪い。
 一緒に手作りのケーキを食べたいと思って何がいけないのか……。

  サンダウンの思考回路は、概ねこんなところである。
  マッドにしてみれば、鬱陶しい事この上ない。
  が、このおっさん、大真面目である。大真面目で、マッドが白いセーターを着て手作りケーキを
 差し出して一緒にホットミルクを飲んでくれるようにするにはどうすれば良いのかを、考え始めて
 いる。マッドには迷惑な事に。
  が、時折冷静さを取り戻す時があるらしく、サンダウンは、はっと己の現状を思い出した。
  怒ったマッドに出ていかれたという、完全に見捨てられた亭主の状態にある己を思い出し、自分
 の見ている夢が、あまりにも甘過ぎる夢であると気付く。気付いて落ち込んだ。
  マッドは怒っているのだ。
  マッドが怒っても別に怖くはない。サンダウンが怖いのは、怒ったマッドが遂にはサンダウンか
 ら興味を失ってしまう事だ。マッドに見捨てられたら、生きていけない自信だけはある。
  だったら、マッドが怒るような事――今現在もマッドの毛布に包まるというマッドの怒りを買い
 そうな行動をしているわけだが――をしなければ良いわけなのだが、同時にマッドに関する事に対
 しては非常に狭量なのである、このおっさん。

  別に、マッドに優しくしたくないわけではない。出来る事なら子犬のように甘やかして、ずっと
 抱き締めていたい。
  が、それ以上にマッドには甘えたくなるのだ。それはマッドの生来の気質が成せる技なのかは、
 分からない。ただ、サンダウンはマッドに対してのみ、非常に我儘になる。他の誰かに自分の顔色
 から何かを読み取れだなんて期待はしないが、マッドには自分のささやかな変化を、きっちりと見
 極めて欲しいのだ。
  だから、年甲斐もなく小さな子供に嫉妬したサンダウンを、呆れたようにみるマッドが許せない。
  そもそも、マッドはもてるのだ。男だろうが女だろうが、老若男女問わず、もてる。子供だろう
 がなんだろうが、マッドの魅力にやられた以上、それはサンダウンにとっては殲滅すべき対象だ。
 大体、マッドの手作りケーキを貰った時の子供の顔といったら、どう考えても恋する男のそれだっ
 た。それに気付いていないマッドに、本当の――自称だが――恋人であるサンダウンが心配に思っ
 て何が悪い。
  が、一応、自分が恋人らしい事を何もしていない事についての負い目もある。それを忘れ去るほ
 ど突き抜けてはいなかったらしい――恋人と言いきっている時点で色々突き抜けているかもしれな
 いが。。
  マッドを怒らせてしまった手前もある。一度くらい、恋人らしく何かプレゼントなりなんなりす
 るべきかもしれない。
  そんな事をぶつぶつと考えたサンダウンは、ようやくマッドの匂いのする毛布から抜け出した。






  マッドは苛々としながら塒に帰ってきた。
  塒は暗く、誰もいなかった。少しだけ――本当に少しだけ、サンダウンがいる事を期待したのだ
 が。

  サンダウンがまた馬鹿な事を言い始めた。
  なんであんな子供に手作りケーキをやるんだ私にはくれた事なんかないくせに、と愚痴り始めた
 男は、まるで子供だった。挙句の果てに、私はお前にとってなんなんだ、とまで言い始めたおっさ
 んに、この上ない鬱陶しさを感じて――ついでに日頃の鬱憤も兼ねて――マッドも怒鳴り返した。
  大体、なんで手作りケーキ一つであんなにむきになれるのか。確かにサンダウンに手作りケーキ
 を――ホットケーキを除く――を作った事はない。だが、マッドの手作り料理を誰よりも一番良く
 食べているのはサンダウンだ。今更、ケーキの一つや二つくらいで騒ぐ必要もない。
  しかし、サンダウンは嫌だという。
  まるで、マッドの全てを自分のものにしないと気が済まないのだと言わんばかりに、マッドの匂
 いがするというだけの理由でマッドの毛布に包まる。
  一体、何様だ。
  自分はいつもマッドから逃げてばかりのくせに、マッドには何も与えないくせに、マッドからは
 何もかも奪っていこうと言うのか。

     だが、それに優越感を覚える自分がいる事を、マッドは知っている。
  孤高の賞金首であるサンダウン・キッドが、何よりもマッドを欲しているという事実に、途方も
 ない優越感を覚えている。
  サンダウンはマッドを求めている。だから、どれだけマッドが口汚く罵っても、マッドの手が届
 かない所に行ってしまう事はないのだ。
  そう思っていたし信じていたから、マッドがいれば何処で嗅ぎつけたのかカサカサとやってくる
 塒の中に入った時、そこに誰もいない事に憮然としたのだ。
  そして、どれだけ待ってもサンダウンは現れない。いつもなら、マッドがいれば匂いでもしたの
 だろうかと思うくらい、すぐにやってくるのに。あてがはずれて、マッドは、なんだよ、と思う。
  せっかく、賞金稼ぎとしてではなくマッドが逢いに来たというのに。
  勿論、逢う約束なんてものはしていない。そんなものした事は一度もない。いつだって、二人は
 出会うべくして出会うのだ。そういう巡り合わせだ。けれども今は出会わない。つまり、そういう
 時期ではないという事だろうか。
  マッドが逢いたいと言っているのに。

  座り込んだソファの上で、マッドはぎゅっと手を握り締める。視界に映る袖は、むくむくと白い。
 現在、マッドは白いセーターを着こんでいる。以前、サンダウンが自分の前でも着て欲しいと言っ
 ていたセーターだ。抱き締めたくなるほど可愛いかったと真顔で言い募る男に、何を言っているん
 だと思った。
  けれどもサンダウンは物凄く真面目だった。
  真面目な顔で、どうして私の前ではあんなふうに笑わないのだとも言った。
  そんな事言われても困る。その時一体どんなふうに笑っていたのかなんて、マッドには分からな
 い。マッドは自分の表情にそれほど気を払った事はない。それは、サンダウンだって同じだろうに。
 だが、サンダウンはマッドが自分の知らない顔をしているのは嫌だと言うのだ。サンダウンにだっ
 て、マッドの知らない顔は山ほどあるだろうに。
  けれど、マッドはそんな愚痴は言わない。それにマッドはなんだかんだでサンダウンには非常に
 甘い。それはマッドの優越感を擽るサンダウンの所為かもしれないが、少なくともマッドは、サン
 ダウンがどれほど無体を働いても、結局は許してしまうのだ。
  そして今も、サンダウンのどうしようもない言葉に従って、わざわざ白いむくむくのセーターを
 着て、サンダウンの帰りを待っているのだ。

    だって、サンダウンが可愛いって言ったから。
  けれども、せっかく着ても、サンダウンが来ないのなら意味はない。
  もう、脱いでしまおうか。

  ころん、とソファに転がってマッドはそんな事を思う。
  町では、マッドがこんなふうに一人きりで放り出されてしまうなんて事はないのに。必ず、賞金
 稼ぎ仲間やら娼婦やらが構いにやってくる。マッドが一人きりになる事なんて、マッドが本気で孤
 独を望まなくてはやってこない。
  けれどもマッドが望まなくても孤独を齎すのは、たぶんこの世にサンダウン唯一人だけだ。

  ころりとソファに転がったマッドの耳には、まだ馬蹄の音は響いて来ない。
  セーターで包んだ肩を悄然と落としながらマッドは、眼を閉じた。





  一時間後。
  めぼしい物を見つけられなかったおっさんが、のそのそととりあえず酒と葉巻と、一輪の薔薇だ
 けを持ち帰る。
  そして、自分にとってのお目当てだった、白いむくむくの賞金稼ぎを見つけ、無表情で狂喜乱舞
 する事になる。
       サンダウンが、マッドを美味しく頂く前に、マッドの前に跪いて薔薇を差し出したのかどうかは
 本人達だけが知っている。