物音がして、眼が覚めた。
  未だに暗い周囲に、サンダウンは二、三度瞬きをすると同時に、もはや癖となってしまったかの
 ように、物音の所在を確かめる。
  賞金首である自分の身の上を考えれば、いつ何処で誰が襲い掛かって来るとも分からない。故に
 サンダウンは例え眠りの中であっても、一つの物音でもすればすぐに気配を窺い、枕元に忍ばせて
 いる銃に手を伸ばすのだ。
  が、右手を枕の下に忍ばせようとして、右腕が何かに押さえつけられている事に気が付いた。
  何、と自問するよりも早く、ふかふかとしたものが鼻腔を擽った。思わずくしゃみをしそうにな
 ったのを何とか堪えたが、無駄な時間を費やしてしまった。これでは侵入者にとっては格好の餌食
 だろう。
  しかし、サンダウンが餌食になる事は、生憎と起こらなかった。
  何故ならば、サンダウンの右腕を押さえつけているのは、良く見知った賞金稼ぎの頭だったから
 だ。




  Cold Night


  
  

  サンダウンの右腕を枕にして、くぅくぅと寝息を立てている賞金稼ぎを見て、サンダウンは一気
 に力が抜けた。
  力が抜けると同時に、自分が今何処にいて、何をしているのかが、ゆっくりと思い出される。
  今晩は、マッドと一緒にホテルに泊まったのだった。
  いつになく機嫌の良いマッドに、俺の奢りだからと食事に誘われて、そのままホテルまで奢られ、
 ベッドまで共にしたのだ。サンダウンがいつも泊まるような安宿ではなく、都会から仕事できた人
 間が泊まるような、派手ではないがしっかりとしたホテルだった。
  こんな宿に泊まるのは何年ぶりか。
  サンダウンは、ぼんやりと最後にまともな宿に泊まった時の事を思い出そうとして、止めた。そ
 れは間違いなくサンダウンの痛みを伴う場所にある記憶であり、もはやサンダウンにはかすりもし
 ない場所で起きた出来事だからだ。
  だから、サンダウンにとっては今晩が、こうしたホテルに泊まった初めての事となる。
  襲撃の心配をしなくても良い、という事実が右腕の重みからじわじわと広がってきて、なんとも
 奇妙な感覚に陥る。襲撃の心配をしないだなんて事は、それこそ本当に遠い昔――サンダウンが荒
 野に来る前以来の事ではないだろうか。
  荒野に来てからは常に争いが付きまとい、いつだって何処で犯罪が成されるか分からなかったの
 だ。その時に比べれば、今はこうしてそれなりのホテルも出来て、治安も良くなったほうではない
 のか、と思う。
  ただ、その事実の真ん中に自分がいる事が、信じられないというだけで。
  あと、信じられないと言ったら、すぐ傍に賞金稼ぎがいる事もか。
  サンダウンの腕を我が物顔で独占している賞金稼ぎマッド・ドッグは、昼間見せる気の強い表情
 を消して、今はあどけない表情を浮かべて眠っている。
  自他共に認める、西部一の賞金稼ぎ。
  サンダウンの傍で眠ろうとする賞金稼ぎなど、世界広しと雖も、この男だけだろう。
  短い黒い髪が、己の腕の上で散っているのを見て、サンダウンは頭を撫でてやりたくなった。サ
 ンダウンの眼から見ればまだ若いこの賞金稼ぎを、サンダウンは稀にどうしようもなく抱きしめて
 やりたくなる時がある。
  それは、マッドの賞金稼ぎとしての生き方であったり、その歩いてきた道に巻かれた残骸であっ
 たり、もしくはマッドが座っている玉座の色であったりに由来するのだが、一番の理由は、きっと
 マッドが、サンダウンが耐えきれずに捨ててしまったものを、しっかりと抱いてその責務を全うし
 ようとしているからだろうか。 
  マッドの仕事ぶりを見ていれば、如何にマッドが己の立ち位置を理解しているかが、良く分かる。
  神が眼を瞑るような輩には平手打ちを、神が最後の審判で慈悲を垂れるであろう輩に銀のは銃弾
 を、そして神さえ眼を背ける輩には荒縄を。
  おそらくこの荒野で、誰よりも裁きに詳しいのは、マッドだろう。
  ただ、そんなマッドを見る度に、抱きしめたくなるのだ。
  しかし今そんな事をすれば、マッドは眼を覚ましてしまうだろう。だからサンダウンは、伸ばそ
 うとした手を握り締める。
  くぅくぅと子犬のように眠るマッドを邪魔するのは、サンダウンの本意ではなかった。その為な
 らば右腕くらいいくらでも枕代わりに貸し出そうというものだ。
  だが、サンダウンは、おや、と気が付いた。
  いつもよりも、随分とマッドが近くにいる。
  これまでもベッドを共にする事はあったが、マッドはサンダウンに近寄りすぎる事はなかった。
 むさ苦しいだのなんだの言って、拳一つ分の距離は必ず空ける。その隙間について、サンダウンは
 無理やり埋めるつもりはなかったのだが。
  どういうわけだか、今日は完全に埋まりきっている。マッドはサンダウンにぺったりとへばりつ
 き、片頬をサンダウンの胸に埋めているほどだ。サンダウンとしては、マッドの髪が鼻を擽って、
 なんともむずむずするのだが。
  尤も、そんな事くらいでマッドを引きはがすつもりはないが。
  しかし、何故今日に限って、こんなにぺったりとへばりつくのか。
  そう思ったサンダウンは、マッドの髪が擽る鼻腔に感じる空気が、つんとした冷たさを帯びてい
 る事に気が付いた。そして、物音を聞きつけた耳に入ってくる、窓をガタガタと揺らす風の音に。
  なるほど、今日は寒い。
  冬に近づくこの季節、日を追うごとに空気からは熱が薄れていき、冷気を帯び始めている。そし
 て今夜は、もしかしたら木枯らしが吹いているのかもしれなかった。そんな寒さに落ちていく夜だ
 から、マッドは暖を求めて自然とサンダウンに近づいたのだろう。
  身体を毛布に包めて、顔もほとんどを毛布と羽根布団に沈めている。見えているのは睫に縁取ら
 れた瞼と黒い髪くらいだ。
  その様子に喉の奥で笑い、寒がりなのかな、と思う。
  確かに、マッドの身体は細い。
  別に、痩せているわけではなく、必要な筋肉はしっかりとついているが、しかし荒野の男として
 見れば確実に細い部類に入るだろう。ましてや無駄な脂肪などなさそうなものだから、もしかした
 ら本当に寒がりなのかもしれない。
  普段の、堂々として身を竦めたり縮めたりする事のないマッドが、こうして身を丸めて毛布に包
 まっているのを見ると、サンダウンは笑いは喉の奥で押し殺したものの、口角が上がる事は止めよ
 うがなかった。
  それは、サンダウンが置き去りにしてきた過去を、微かに思い出させる光景だった。
  けれどもサンダウンは、その考えをすぐに打ち払う。
  マッドはマッドだ。過去にある何者でもない。だから、こんなまともなホテルに泊まるのも、誰
 にも命を狙われずに夜を過ごすのも、こうして腕の中で誰かが身を丸くしている事も、今夜が初め
 ての出来事だ。
  マッドが小さく身じろぎした。
  その動きに、サンダウンは思わず息を詰める。起きたのだろうか。
  けれどもその心配は杞憂に終わった。マッドはもぞもぞと収まりの良い場所を見つけると、再び
 寝息を立ててしまった。
  その様子に、やはり口元を綻ばせながら、こういう事が冬の間は続くのかな、と思った。
  ぴったりと身体と身体を寄せ合って、肌と肌を隙間なく埋めて。互いの温もりで暖を取りながら。
  春が続くまで、ずっと。 
  こうした初めての事が、もっとたくさんあれば良い。