次の日、眼を覚ますと、家の中にいるにも拘らず恐ろしい緊迫感に全身を突き刺された。安っぽ
 い作りとはいえ、家の外装をを突き抜けて漂ってくる外からの気配に、少年は飛び起きて着替える
 のもそこそこに家から飛び出す。
  こんな気配が噴き上げるなんて、思い浮かぶのは原住民が襲撃してきたか、それか無法者達が大
 挙して押し寄せてきたくらいしか思い浮かばない。
  しかし、そのいずれかならば、何故こうも外の世界は静寂に満ちているのか。まるで、声一つ立
 てた事で、空が降り落ちてくるのだと言うように。
  路地を横切って、その緊張の真っ只中に近づくと、大通りに人垣が出来ていた。しかしその人垣
 からも、一言も言葉が発せられない。
  近づくにつれて、足取りが重くなるような気がするが、それを叱咤して人垣を掻きわけていると、
 不意に視界が開けた。結界でもあるのか、そこだけまっ平らな大地の上に、二人の男が立っている。
  一人は古ぼけた帽子を目深に被った砂色の男。顔は良く見えない。
  もう一人は、マッドだ。白い顔は、いよいよ氷のように鋭く、怜悧さを増している。
  ぞわぞわと足元から這い上がる重度の緊張感は、紛れもなくこの二人から発せられていた。
  決闘だ。
  何があって、どうしてこうなったのかは知らないが、今、息をする事さえ憚られるような空気の
 もと、決闘が行われようとしている。
  そして瞬く暇もない。
  耳に、銃声が木霊した。




  酒場の中は苦笑いに包まれていた。
  溜め息交じりのものもあれば、困ったようなものもある。いずれにしてもそれらは苦笑い以外の
 何物でもなかった。そしてその苦笑いを巻き起こした張本人は、不貞腐れて酒場のカウンターに突
 っ伏している。その姿は昨夜見せた、冷然とした様子からはかけ離れており、少年はうろたえて救
 いを求めるように周囲を見回した。
  けれども、誰一人マッドのそんな姿をフォローするものはおらず、少年はマッドの背中を眺める
 だけに留まるしかなかった。
  賞金首との決闘で、銃を弾き飛ばされて負け、しかも殺される事なく放置されるというこの上な
 い屈辱を味わったのだ。それだけならば、彼の膨れようも分かると言うものだ。
  銃を弾き飛ばされ、賞金首に背を向けられたマッドは、昨夜一度も上気させなかった頬を、かっ
 と紅潮させて、冷徹な色を消し眼に怒りを灯して叫んだ。

 『毎回毎回、なんで俺を殺らねぇんだ!他の賞金稼ぎは殺ってるくせに!俺は殺す価値もねぇって
  言うのか!』

  初めて聞いた西部一の賞金稼ぎの怒号は、けれども少年の意に反して、身を竦み上がらせるよう
 な威圧感はなかった。寧ろ、駄々を捏ねる響きのようなものがあり、その後も賞金首の背中に散々
 投げつけていた言葉は、全部何処か子供が地団太踏みながら叫ぶような色があった。
  そして散々人目も気にせず怒鳴り散らした後、マッドはこうして酒場でしけ込んでいるわけであ
 る。その酒場でも、一人ぶつぶつと賞金首の悪口を呟いている。終いには、キッドのアホ、という
 子供しか使わないような悪態が飛び出してきて、耳を疑った。
  馬鹿、アホ、と連発する西部一の賞金稼ぎからは、あの嫣然とした姿は完全に消え去り、子供の
 ような膨れっ面だけが残っている。そしてそれを、周りの賞金稼ぎ達は苦笑いで見守っているのだ。
  少年は、引き攣った顔でもう一度救いを求めるように、彼らを見回す。すると、返ってきたのは
 肩を竦める仕草だった。
  そして、

 「放っとけよ、いつものことだから。」
 「いつもの?」

  その台詞に少年は顔の引き攣りをいっそう酷くした。
  賞金稼ぎのマッド・ドッグは、常に冷然としていて、それが彼の本質だったのではないのか。
  すると、賞金稼ぎ達は困ったように顔を見合せながらも頷く。そして彼らはカウンターで膨れて
 いるマッドを気にしつつ、彼に聞こえないようにと声を押さえて言った。

 「ああ、その通りさ。この荒野で、あいつほど冷然としてる奴はいない。そうでなければあいつは
  西部一の賞金稼ぎの名を与えられなかったし、そして今後あいつほど冷然とした賞金稼ぎは現れ
  ないだろう。」
 「でも、それなら、あれは?だって彼は『マッド・ドッグ』でしょう?」
 「そうだ。けれどもさっきあいつが対峙したのは『サンダウン・キッド』だ。」

  張り合うように返された賞金首の名前に、少年は黙る。
  その沈黙を特に深くは考えず、賞金稼ぎ達は口々に言う。

 「マッドは確かに、賞金首と賞金稼ぎについてその判断を誤った事はない。賞金首を撃ち抜く方法
  から、賞金の取り分まで、あいつは全て上手くいくように考えて、そしてそれは間違われる事は
  なかった。サンダウン・キッドという例外が現れるまでは。」
 「サンダウンに関してはマッドは間違い続けている。接し方、撃ち取り方、その態度。でなければ
  一人で決闘なんて方法を取らないだろう。」

  その告げられた事実に、その意味を理解する時には少年は呆気に取られてしまっていた。
  つまりそれは、マッドの中でサンダウンという賞金首が如何に特別であるか、と言う事だ。
  賞金首相手に決闘をする必要はないし、一人で立ち向かう必要もない。手に余ると判断したなら、
 仲間を募り、罠を仕掛けて闇打ちでもなんでもすればよいだけなのだ。マッドもその事は分かって
 いるだろうし、昨夜の事からもマッドはそうした仕掛けに慣れている。
  なのに、それをサンダウンにしない。
  冷静な判断を狂わせるくらい、マッドはサンダウンを他の賞金首には有り得ない扱いをしている
 のだ。
  けれどもそれが、更に救い難い事実がある事を賞金稼ぎ達は語る。

 「しかもマッドの奴は、その誤りに気付いていない。自分が、サンダウンに対して如何に例外的な
  行動を取っているかなんて、思いもしてないだろう。だから今でも間違い続けて、ああして、あ
  いつらしくもない脹れっ面を曝すのさ。」

  西部一の賞金稼ぎの、救い難い状況に、彼らは一堂に肩を竦めて苦笑いを浮かべる。それはまる
 で、マッドの救われる方法が何処にもない事を知っているかのようだ。

 「サンダウンのほうがどうにかしようと考えたなら、まだ動きようがあるんだろうけどな。でも、
  サンダウンもまた間違っているときたもんだ。」

  怪訝な表情を浮かべると、マッドがサンダウンに向かって言っていただろうと苦笑いと共に思い
 出さされる。   他の賞金稼ぎは殺してるくせに、と。

 「サンダウンは、性質の悪い賞金稼ぎはみんな撃ち殺してる。そりゃあ賞金首なんだから、当り前
  だ。なのにマッドだけは、それこそしつこく追いかけてる西部一の賞金稼ぎマッド・ドッグだけ
  は殺さない。マッドを殺してしまえば、その逃亡生活は格段に楽になるのに。何故か。」

  結局のところ、サンダウンもマッドに対する判断を誤っているのだ。

  執拗に追い縋るその身体を撃ち抜かず手を振り払うだけで、命を奪おうとする人間に追いかける
 に任せるなんて、まるで追いかけられる事を求めているかのようだ。しかもその餌は自分の命なの
 だから、それが事実だとしたらどれだけ恋焦がれているんだという話だ。
  マッドにしても、冷然としていられないほどその姿を追うなんて、恋に狂って親兄弟を殺してし
 まった神話の魔女と大差ない。
  挙句、それに自分自身で気付かないなんて。
  西部一を冠する賞金首と賞金稼ぎが二人して、何をしてるんだか。
  いまだにカウンターに突っ伏している西部一の賞金稼ぎが、そのうち耐え切れなくなって賞金首
 を追いかけに行くのだろうと、賞金稼ぎ達はこっそりと溜め息を吐いた。