凄まじい銃声が飛び交う中、少年は尻もちをついたまま後退った。
  最初のうちは、全てが計画通りに進んでいた。後は、強盗達に気付かれぬように近づき、そのま
 ま一網打尽にするだけだったのだ。
  けれど。
  自分の所為だ、と一人の名も知らぬ賞金稼ぎが血飛沫を上げて倒れるのを見て、少年は思う。自
 分が、あの時物音を立てなければ。一寸先も見えぬ闇の中、上擦った自分の足がもたつき、つまず
 き、転ばなければ。
  あっと言う間に緊張を孕んだ賞金稼ぎと強盗と。
  先陣を切ったのが一体どちらの銃声だったのか、少年は覚えていない。




  戦慄く身体を抑える事が出来ぬまま、眼の前に銃口が突き付けられる。ずりずりと這って逃げる
 少年を甚振るかのように、陰を深くして迫る強盗の一人は、熱に浮かされたような表情をしている。
 まるで、この場の炎と腐臭に酔っているかのよう。
  けれども、その強盗は突如として横倒しに倒れた。狙い過たずに米神に銃を撃ち込まれた男に、
 少年がひっと息を詰めていると、何の前触れもなく強い力で腕を取られて引き摺られた。

 「やる気がねぇんなら、どっかに隠れてろ。そこにいても邪魔になるだけだ。」

  些かの揺らぎもない、むしろ冷然としてさえいる声にはっとして顔を上げると、そこには上気も
 息を荒くもしていない白い顔があった。黒い瞳には全くの酔いが見られない。
  そんな西部一の賞金稼ぎは、少年殻手を放すと、立て続けに銃を撃ち払う。
  何処かで確かに呻き声が上がり、喧騒が若干弱まったのを聞いて、しかしそれでも少年の身体は
 動かなかった。それを一瞥したマッドは、軽い舌打ちをする。

 「仕方ねぇなぁ。おいお前、ちょっとこっちに来い。」

  もう一度、マッドの白い指が少年の腕を取り、そのまま戦場の中にある物陰に連れて行かれた。
 そこで手を放され、思わず尻もちをついた少年の眼線に、マッドは自分の眼を合わせる。
  その声音には冷然とした色はなく、何かを言い聞かせるかのような甘さがまどろんでいた。

 「いいか、これから俺が言う事をよく聞けよ。このままだとこの狩りは泥沼になるだけで、あんな
  連中の為に犠牲者が増えるばかりだ。お前も家には帰れない。お前だって早く家に帰りたいだろ?
  それで、だ。ここに火炎瓶がある。俺は今から奴らのリーダーを撃ち取ってくるから、その火炎
  瓶で奴らの眼を惹きつけておけ。それができなきゃ、お前はここで腰抜かしたままで放っておか
  れる。言っとくが、いざ退却って時には誰も助けてくれねぇぜ。みんな、俺だって自分が一番可
  愛いからな。」

  頬を軽く叩かれ、少年はがくがくと頷く。それを見て、マッドは口元に笑みを浮かべた。

 「火炎瓶の使い方は分かるな?一分だ。一分後に火炎瓶を投げろ。」

  もう一度頷いた少年に、マッドは満足したようだった。疲れなど微塵も見せぬ動きで身を翻すと、
 再び混沌とした闇色の戦場へと立ち去っていく。
  その気配が宙に溶けるかのように、あっと言う間に消え去ったのを見て、少年は手渡された瓶を
 握り締めた。
  それは、今までの人生の中で一番長い一分だった。
  震える手で火を付け、オイルの重い瓶を放り投げる。何の反応もない周囲に、それは失敗したの
 かと思うほどだった。
  けれども、一拍置いた後に、ぱっと広がる橙色の光は、闇の中では十分に驚きだったらしい。敵
 も味方も、突然湧き上がった炎に、確かにうろたえ、戸惑ったようだった。
  一瞬、はっきりと銃声が鳴り止んだその中、一発の銃声が静寂に物怖じする事なく響き渡った。
  直後、うねるように湧き上がったのは、歓声だったのか、罵声だったのか。しかし確かに、強盗
 達の統率が、ばらばらと解けていく音がした。

  その後、何発か銃声が轟いたが、それは瓦解する強盗達に追い打ちをかけるもので、いつしか声
 も命乞いをするものに変化していた。それを物陰で聞いていた少年は、徐々にそれらが弱まる中、
 恐る恐る顔を覗かせた。

 「おい。」

  低い声が背後から降りかかり、少年は文字通り飛び上がる。弾かれたように振り返ると、そこに
 は壮年の――マッドと計画を練り合わせていた賞金稼ぎが立っていた。

 「もう出てきていいぞ。大体のところは片付いたからな。」
 「片付いた………?」
 「ああ、マッドの奴がおいしいところを攫っていっちまったがな。ああ、そういえばあの火はお前
  がやったんだってな。よくやったな。あれがないと流石のマッドでも、もう少し時間が掛かって
  ただろうよ。多分、マッドから後で賞金を分けて貰えるだろう。尤も今は、怪我人の手当てが先
  だが。」

  そう言われて、改めて周囲を見回すと、そこには燻った火の跡と、あちこちで呻く声に満たされ
 ている。血の臭いが砂の乾いた匂いに混ざり、それに顔を顰めていると、誰かを呼んで来いと賞金
 稼ぎは言った。

 「流石に俺達の手だけじゃ、これだけの人数の手当ては難しいし、時間が掛かるだけでそんな事し
  てる間に助かるもんも助からなくなっちまう。だから、街に行って誰か呼んできな。」



  急げ、と言われて、少年はようやくまともに動くようになった脚を動かし、混乱の中から自分の
 馬を見つけ出し、その背に飛び乗った。




  カランカランとグラスの中の氷が音を立てている。
  それを横目で見ながら、少年は水をちびちびと飲んでいた。酒が飲めない少年は専ら食事をする
 事に専念していた。
  少年から少し離れたテーブルでは、多くの娼婦や賞金稼ぎ達が集まり、強盗達の狩りの話で盛り
 上がっている。その中心で、女達を侍らせているのはマッドだ。
  手の中でウイスキーの入ったグラスを弄び、先程からカランカランと氷の音を楽しみながら、賞
 金稼ぎや娼婦達の話に相槌を打っている。時折零れる声音は、狩りの後の奇妙な高揚感を一切見せ
 ず、相変わらず音楽的な響きを湛えていた。食事はもう良いらしく、葉巻を取り出すと、ナイフで
 吸い口を切り開けて火を灯している。その一連の動作が見惚れるほど鮮やかで、少年はその輪の中
 に入れない幼い自分を呪わずにはいられなかった。
  やがて、そっと場の中心がぶれた。
  マッドの視線が一人の娼婦を見上げている。二言、三言囁きを交わして、うっとりするような笑
 みを浮かべると彼女の腰に手を当てて立ち上がった。まるで淑女にするような立ち振る舞いに、娼
 婦の方も満更ではなかったらしい。マッドの肩口に指を立てて、嫣然と微笑んでいる。
  二人が立ち上がった事で、その場はお開きとなったらしい。
  羨ましそうに消えていく二人を見守っていた娼婦と賞金稼ぎも、一人、また一人とばらけていく。
 そのうちのほとんどが、口元に苦笑いを浮かべていた。

 「やれやれ、今回もマッドの奴においしいところを持ってかれちまったなあ。」
 「仕方ねぇや。あの騒ぎの中、強盗のリーダーを撃ち取ったんだ。誰にも文句は言えねぇ。」
 「ああしかし、あの娼婦良い女だったよなぁ。良い女もあいつのものかぁ。」
 「悔しいんだったら、お前も西部一の賞金稼ぎになりゃあいいだろうが。」
 「それができりゃ苦労しねぇよ。」
 「けど、あいつ、あんなに女をとっかえ引っ返して、恨まれねぇのかね。」
 「馬鹿、あいつが買う女はそんなくだらねぇ事するような安い女じゃねぇよ。」
 「にしてもあいつ、特定の恋人とかいねぇんだな。何人かいても良さそうなのに。」

  軽口を叩き合う男達の、その軽口を聞くともなしに聞いていると、ぬっと眼の前に陰が落ちた。
 見るとそれは、戦いの終わりを知らせに来てくれた、あの壮年の賞金稼ぎだった。

 「マッドに賞金は分けて貰えたのか?」

  その台詞に頷いて、金の入った袋を手で押さえる。
  マッドに放り投げて寄こされたそれは、少年が想像していたよりも遥かに多い金が入っていた。
 あの惨状を引き起こしたのは自分なのに、と言えば、西部一の賞金稼ぎはあっけらかんとした表情
 で、そうだったっけ、と首を傾げただけだった。

 「貰えるもんは貰っておけ。あいつに突き返してもどうせ酒か煙草になるだけだ。」

  壮年の賞金稼ぎは少年の言葉にそう返した。それを見上げて、

 「あの人は、いつもあんななの?」
 「あれが賞金稼ぎマッド・ドッグの本質だ。あいつは、賞金首と賞金稼ぎの絡む事に関しては、何
  一つ間違えた事がない。今回の狩りでの判断が間違っていなかったように。お前に対する扱いが
  そうであったように。」

  常に冷徹で冷然として。
  女を抱いている時でさえ、そうだろう。

 「それは…………。」

  まるで、彼が人でなしか何かのような口ぶりだ。彼の行動全てが計算され尽くされたかのような。
  しかし、賞金稼ぎは首を竦める。

 「あれが人でなし?とんでもない。あれはれっきとした人間だ。俺は先程何一つ間違えないと言っ
  たが、あれが間違えた時の事も実は知っている。あいつの間違えた時のそれは、もはや救い難い。
  一度見たら分かるだろうし、お前がこの荒野で生きるのなら、嫌でも眼にするか耳に入ってくる。
  もしかしたら、案外、明日辺り、眼にするかもしれない。」

  賞金稼ぎならば、必ず、西部一の賞金稼ぎの唯一にして最大の誤りを知るだろう。
  それだけ言い置いて、壮年の賞金稼ぎは去っていった。
  そしてそれは、図らずとも言葉通りの事となる。