それは、初めての大きな狩りだった。
  ようやく少年の域を出たばかりの自分にとっては、大人達の間で銃を掲げる事は少なくない事と
 は言え、今までに比べて規模が桁外れに大きい。
  街の銀行を襲って大金を奪っていった強盗を捕えるのだと息巻いたのは、その街の銀行家と保安
 官だけではなかった。
  実はあちこちで銀行を荒らしているというその強盗は、一人や二人ではなく大勢が吊るんだ一つ
 の組織なのだという。それを遂に捕えるべく、各地の保安官達が有志を募り、銀行家達が賞金を
 用意した。
  それに惹かれてやってきたのは、ほとんどが正義に駆られた善良な市民ではなく、賞金に眼が眩
 んだ賞金稼ぎ達だった。
  屈強な男達が集まるその中で、少年も頬を紅潮させて銃を掲げていた。




  強盗達に懸けられた賞金を狙って集まった賞金稼ぎ達は、酒場に所狭しと犇き合っていた。

  時折、酒を持って行き交う娼婦達に卑猥な言葉を浴びせかけ、あわよくば一夜を共にしようと舌
 舐めずりしながら騒いでいる。
  本来ならば強盗達を捕える為の作戦会議であるはずのこの集会は、始まって一刻も経たぬうちに、
 烏合の衆がただ騒ぐ為だけに集まったという様相を見せていた。
  そんな酒臭い様子を少年は不服そうに眺めやる。
  少年も僅かなりとも賞金を手にしようと集まった者の一人だ。賞金稼ぎとなった理由について多
 くを語る気はないが、それでも命を掛けねばならない職を選ぶほど、彼がのっぴきならぬ状況に陥
 っていた事は事実だった。賞金稼ぎを今後止める事が出来るかどうかはともかく、とにかく少年に
 は金が必要なのだ。
  しかし、こんな騒ぎを見ていると、果たして本当に強盗達を捕える事ができるのか、不安になっ
 てくる。
  話を聞く限りでは、強盗達はかなり狡猾な部類に入るという。これまで何回も保安官達が取り逃
 してきた事からもそれは明白だ。
  だが、にも拘らず、その強盗達に対峙するはずの賞金稼ぎ達はどうだ。計画を立てるはずが酒を
 かっ喰らい、強かに酔い、もはや冷静な思考も出来ない。そんな状態で強盗達を捕える事が出来る
 のか。狩りの日は、明日だと言うのに。
  少年の不満は、今やはっきりとその瞳に映し出されていた。周囲の眼から見ても明らかなほど。
  そしてそれは、強かに酔っ払った賞金稼ぎ達の眼にもはっきりと映ったらしい。
  酒瓶を片手に、千鳥足でふらふらと近づいてきた中年の男は、少年が着いているテーブルの前ま
 でくると、木目の荒いテーブルの上に勢いよく酒瓶の底を打ち付けた。

 「おうおう、こんな所にガキが紛れ込んでやがるじゃねぇか。くそ生意気な眼をしたガキがよ。」

  アルコールの染みついた息を吐きかけ、口元には粗野な笑みを浮かべた男に、理性がない事は見
 て知れた。
  それ故、少年は口を噤んでやり過ごそうとしたのだが、

 「へへっ、なんだあ?飲んでるのもやっぱり酒じゃなくてミルクかあ?そんな赤ん坊はさっさと家
  に帰っておねんねしてな。」
 「うるさい。僕は賞金稼ぎだ。ちゃんと賞金首を捕えた事もある。少なくとも狩りの前日に酔っ払
  って、計画も何も立てないあんたなんかよりはよっぽどかましだ。」

  執拗に絡んで、しかも身体をべたべたと触って揺さぶり始めた男に、少年も苛立ったようにそう
 返した。
  無論、それが如何に愚かな事か思い出した時にはもう遅い。
  荒っぽい西部の男は、少年の言葉に喧嘩を売られたと思ったようだ。それに、アルコールがそれ
 に拍車をかけた。
  いつもより怒りの導火線の短くなった男のにやけた面の中で、瞳が異様にぎらついたかと思うと、
 男は酒瓶を叩き割った。

 「ああ?なんだと、くそガキが。小物の賞金首を捕まえたくらいでいい気になってんじゃねぇよ。
  こちとら、どんだけ死線を潜り抜けてきたと思ってやがるんだ。」

  飛び散った硝子の破片と酒の匂いに顔を顰めていると、節くれだった手に頭を鷲掴みにされた。
  おい止めよろという制止の声と下品な煽るような笑い声が聞こえるが、それ以上に掴まれた頭が、
 みしみしと音を立てそうなくらい、手に力を込められる。そしてそのまま引き摺り上げられた。眼
 線を無理やり合わされ、血に飢えた獣のような男の眼に、嫌悪と恐怖を抱く。

 「この俺にそんな口聞いた事を後悔させてやらぁ!」

  唾を撒き散らしながら振り上げられたのは、濃い体毛に覆われた男の腕だ。殴られると思い、咄
 嗟に眼を瞑り、その衝撃に耐えようと身を竦ませる。

 「おごっ!」

  しかし、その衝撃は終ぞ訪れず、代わりに眼の前で奇妙な悲鳴が上がった。同時に、鷲掴みにさ
 れていた頭が解放され、思わずよろけそうになった。
  それを耐えて眼の前の光景を見ると、先程まで自分に対して力を誇示しようとしていた男は、ぐ
 んにゃりと床に伸びていた。気がつけば、耳に絶え間なく入ってきていた喧騒も、今は水を打った
 かのように静まり返っている。
  しん、と静寂が通り過ぎる中、まるで何事もないかのような声が男の拳の代わりに振り下ろされ
 た。

 「ああ、悪ぃな。足が滑った。」

  誰も本気にしないであろう事を、しかもその事が分かっているというように笑い含みの声は、し
 れっとして告げる。そしてそれを告げられた本人は、あっさりと意識を飛ばして床と熱い口付けを
 交わしていた。
  鋭い蹴りを背後から男に浴びせかけた細い影は、その様子をやはり笑みを浮かべたまま眺めやっ
 ている。
  倒れた男に比べれば、まだまだ若く、身体付きは西部の男と言うには頭を抱えるほど細い。その
 身体の線の中で、まるで宇宙をそのまま切り取ったかのような黒い眼と黒い髪が、酷く印象的だっ
 た。

 「てめぇ!」

  静寂が通り過ぎた後、呆然としていたテーブルのあちこちで、どうやら伸びている男の仲間らし
 い男達が、がたがたと椅子をひっくり返さんばかりの勢いで立ち上がる。
  今にも発砲しそうなごつい男達を前に、しかし若い彼はその赤い唇に煽情的な笑みを湛えたまま、
 己の身体が引き千切られるかもしれない瀬戸際である事を理解していないかのように、その様子を
 一瞥しただけだった。
  代わりに動いたのは、別の賞金稼ぎの一団だ。

 「止めとけ。」

  喧騒の中、ひっそりと酒を呑んでいた彼らは、厳つく酒の匂いを放つ男達と、細身の身体を見比
 べながら、ほんの少し溜め息交じりに呟く。

 「お前達が敵う相手じゃない。」
 「んだとぉ?」
 「見た事がないのか、そいつは賞金稼ぎマッド・ドッグだぞ。銃の腕は西部の賞金稼ぎ随一だ。お
 前達が銃を構えた時には、もうあの世に行っている。」

  呆れたような声と共に吐き出された名前に、その場がどよめいた。
  ある者は息を呑み、ある者は顎を落とし、またある者は信じられないと叫んでいる。少年も、い
 っそ優雅な仕草で葉巻を燻らしている姿を見て、呆気にとられた。
  賞金稼ぎのマッド・ドッグと言えば、この西部では知らぬ者がいないほど、名実共に西部一の賞
 金稼ぎだ。その姿は知らねど、名前くらいは一度くらい聞いた事はあるだろう。まして、同じ賞金
 稼ぎであるならば尚更
  少年もその名は耳にしている。
  しかし、それが、まさかこんな若い、しかも線の細い男だったとは。
  だが、マッドはと言えば周囲の反応に慣れているのか、口の端に笑みを浮かべるばかりだった。
  甘い匂いのする葉巻を咥え、飄然として酒場を見回すと、彼は歌うように言った。

 「で、俺は狩りの計画を立てている賞金稼ぎがいるっていう酒場にきたつもりなんだが?一体何処
  の誰が狩りの準備をしてやがるんだ?」

  冷ややかでさえある声に、マッドの名を聞いて絶句していた男達が再び吠える。

 「てめぇ、後になってのこのこ出てきやがって何様のつもりだ!」
 「後になって?てめぇらこそ、強盗を捕まえたわけでもねぇのに勘違いしてるんじゃねぇのか?」

  しかし、マッドの声はいっそう冷徹だった。霜を張ったような刃の声音は、それだけで屈強な男
 達を黙らせる威圧がある。それは、彼が伊達に西部一の賞金稼ぎの名を冠しているわけではない事
 を存分に知らしめる。
  たじろいだ男達を、マッドは特に厳しい口調ではないが、やはり氷のような鋭利さで打ち払った。

 「それとも、お前らが俺よりも早く、連中を撃ち取れるってか?だとしたら、お前らはもっと有名
  でもいいんじゃねぇのか?少なくとも俺はてめぇらの名前を知らねぇぜ。でかい口叩くだけで、
  ガキに向かってムキになるようなおっさんの名前なんかな。」

  そう言い放つと、で、と辛うじて理性の残る残りの賞金稼ぎ達に向き直る。

 「明日はどうするつもりなんだ、お前らは?まさかあの悪名高い強盗の真っ只中に飛びこんで終わ
  りじゃねぇだろうな?だったら俺は今日此処には来なかった事にするぜ?一人でやったほうがま
  しだからな。」
 「一応計画は立ててある。」

  ひっそりと酒を呑んでいた一群が、テーブルに広げていた紙を指し示す。
  手荒く文字が書き込まれたそれを見て、マッドは冷然とした表情を消して、口角をくっと持ち上
 げた。どんなだ、と言いながらそこに近寄り、身を乗り出して文字を追う。
  そしてふと思い出したかのように振り返り、絶妙の角度で首を傾げて嫣然と笑う。

 「おい、俺についてくる気がねぇ奴はどっか行きな。俺はくだらねぇ足の引っ張り合いなんざごめんだ。そん
 
  なもんで無駄死したくねぇからな。」

  ひらりと振られた端正な白い王者の手に、誰も動く者はいなかった。



















各章のTitleはMr.Childrenの『Love is Blindness』から引用