「マッド。」
 
  荒野のど真ん中の、砂風が少し激しい何もない場所で、マッドは突然呼び止められた。
  油の切れた銃のような、掠れた声は低く、もしかしたらそのまま風音に掻き消されて、通り過ぎ
 去ってしまうのではないかと思うほど聞き取りにくかった。
  にも拘らずマッドが立ち止まったのは、その声が良く見知った人間の声のものであると理解した
 からだ。
  かといって、聞き慣れた声というわけでもない。
  その軋むような声の持ち主は、よほどの事がない限り自分から話しかけてきたりはしないからだ。
 言葉を惜しむかのように、ほとんど離さない男は、もしもマッドが時折見つけなければ、人間の言
 葉を忘れてしまうのではないかと思うほど、寡黙だった。
  そんな寡黙な男が、わざわざこうしてマッドに話しかけてきたという事は、よほどの事があった
 に違いない。




 Blazing Sun






  砂に埋もれてしまいそうなほど、荒野に溶け込んだ男は、普段の寡黙な眼差しでマッドを見つめ
 ている。珍しい事に、最初から馬からも降りてマッドが振り返るのを待っていたようだ。
  砂色の髭と髪の間で、青い眼だけが信じられないくらい鮮やかだ。
  見間違えるはずのない賞金首の姿に、マッドは眼を細めて薄く笑った。
  マッドに執拗に追いかけられている賞金首であるサンダウンは、基本的にマッドを見れば逃げる
 か無視するかの二択の行動をとる。自らマッドに関わろうとする事は、まず、ないと言っていい。
  かといって、嫌われているわけでもないようだ、とマッドは思っている。本当に嫌いならば撃ち
 殺しているか、或いはマッドの手の届かない場所に逃げ込んでいるだろう。
  尤も、サンダウンの感情が読み取れた試しは一度もないのだが。
  だから、今現在、急に呼び止められた事についても、なんら思い当たる節はなかった。それより
 も呼び止められるまでサンダウンに気づかない自分がどうかしている。もしかしたら、これまでも
 サンダウンはマッドの存在に気づいていながら、マッドが気づいていないという状況があったのか
 もしれない。
  おもしろくない事実に気づいたマッドは、しかしいつもの皮肉めいた笑みを口元に張り付けたま
 ま、自分を呼び止めた男を振り返る。

 「なんだ?てめぇが俺に話しかけるなんざ、天変地異でも起こる前触れか?それとも、遂に逃げ回
  る事に疲れて、俺の腕の中で眠りたくなったか?」

  うっとりとした声音でそう囁いてやれば、しかしサンダウンは顔色一つ変えなかった。眉一つ動
 かさない。
  代わりに、かさついた声を地面に這わせた。

 「噂に、なっている……。」

  酷く断片的なサンダウンの台詞に、マッドは冷やかに首を傾げた。

 「俺とあんたの事が?でもそれはあんたが悪いんじゃねぇのか?あんたがさっさと俺の物になれば、
  そういう変な噂も立たなくなるぜ?」
 「……違う。」

  わざと間違った方向の話をしてやれば、サンダウンが少しばかり苛立ったような声を上げた。そ
 の声音にマッドはほくそ笑む。サンダウンがこうも感情を出す事は、滅多にない。
  しかし、だからこそ、一体何があったのかと思う。

 「だったら、ちゃんと話せよ。断片的に話して、俺が間違った方向に向かったって、あんたには俺
  を責める権利はねぇぜ。」

  サンダウンの言葉少なさを詰ってやれば、サンダウンは尤もだと感じたのか少し口を閉ざした。
 砂が飄々と待っている間、青い眼を少し険しくしてマッドを見ていたが、それは別にマッドを睨ん
 でいるのではなく、サンダウンの拙い言葉の中から適切なものを選んでいるからだろう。
  サンダウンが紡ぐ言葉を捜している間、マッドはそれを急かすつもりはない。青い眼が言葉を捜
 して瞬く様を眺めるだけだ。それだけでも十分に楽しい。
  だが、やがてサンダウンが言いたい言葉を見つけたのか、一つ溜め息を吐いて口を開く。

 「お前が、あの賞金首を殺すのか。」

  サンダウンが考えの果てに紡ぎ出した言葉はそれだった。
  あれだけ考えて、と思うよりも先に、マッドはぴくりと片眉を上げる。それは、サンダウンが考
 えた末にそう言うより仕方がなかった事実と、そしてその事実に思い当る節があったからだ。
  昨年の末辺りから続けて発生している殺人事件。
  別にそれ自体は、この荒野においては珍しい話ではない。ただ、そのうち6件の射殺事件と、4
 件の絞殺事件、及び2件の撲殺事件が、たった一人の男の手によって成されたものであるならば、
 それは決して珍しくない事はでなかった。
  しかし正直なところ、マッドは一人の人間がそれほどまでの人間を殺せる事については、何の疑
 念も持っていない。マッド自身、自分の手で何人もの賞金首を撃ち取ってきたからだ。そこには正
 当性以外には大して差はない。
  ただ、男が殺したのは無辜の人間であり、しかもそのうち5人は子供である事が判明していた。
 男は、10にも満たない子供を銃で撃ち抜き、石で頭を殴りつけ、その手で首を絞めたのだ。
  朝早くから露店の手伝いをしている子供達を、男は襲撃したのだという。3人の子供だけで露店
 の準備をしているところに、ふらりと近づき、いきなりそのうちの一人を石で殴りつけた。悲鳴を
 上げた別の子供の首を捻り上げた。
  もしも最後の子供が逃げおおせなければ、男の姿かたちは誰も知らないままであったかもしれな
 い。
  そして、子供の証言から男の姿かたちが分かり、そこから男が何者であるかが分かり、そしてこ
 れまでの不審死の周辺でも男の影があった事が分かった。
  むろん、結果として男に賞金が懸けられた事は言うまでもない。
  殺された者の遺族は勿論、次は己ではないかと怯える者達が次々と保安官に訴えを出したのだ。
  何せ、男の動機が分からない。いや、殺された者達は一様に僅かな金目の物さえも奪われていた
 から、恐らくは金が動機であろう。一番シンプルで、一番わかりやすい動機だ。
  しかし、だからこそ、余計に遺族の怒りは深く、また恐怖も強い。
  金を持っていれば――僅かな金でも持っていれば、殺害の対象になり得るという事が。
  怯える彼らが、保安官以外に、そう、例えば賞金稼ぎにも、男の処理を命じても、おかしくはな
 かった。
  だが。
  サンダウンが眉を顰めている。

 「なんだ?あんたまさか、この俺がそんな殺人狂に殺られるとでも思ってんのか?」

  笑い含みに聞いてやると、違う、というかさついた返事があった。
  そして、一拍の躊躇いの後、サンダウンは問い返す。
  
 「撃ち落すのか?」

  だがそれは、あまりにも慈悲深い判決だ。
  だからマッドは、鼻先で嗤ってやる。

 「縛り首が一番だろ?」
 「……生け捕りか?」

  しかし、それも。
  サンダウンの表情に、微かな苦渋の皺がある事をマッドは見て取った。サンダウンは、もしかし
 たらマッドの知らない情報を持っているのかもしれない。

 「……例えば、死ぬ事を望んでいたら?」
 「あんたみたいに?」

  すると、サンダウンは黙り込んだ。マッドはその様子に首を竦めてみせる。

 「冗談だよ。大体、しぶとく逃げ回ってる奴が、死にたいなんて思うもんか?それと同じで、金を
  奪って逃げる奴が、死にたいなんて思うもんかね?天国でも地獄でも、金なんかあっても意味ねぇ
  だろう。」
 「だが。」

  そういう人間も、この世にはいるのだ。
  金を奪って女を犯して、遂には殺されても笑っているような人間が。
  まるで知っているように呟くサンダウンを、マッドは思わず見つめる。しかしそれは別にサンダ
 ウン本人の事を言ったわけではないようだ。事実、過去にサンダウンはそういう人間にあった事が
 あるのだろう。
  それに対する嫌悪が、わざわざマッドへの忠告という形でやって来ているのか。

    「でも、俺が生け捕って保安官に突きだせば、誰が何といおうと縛り首になるだろうよ。」
 
     誰もがそれを望んでいる。
  だが、もしもそれを犯人自体も望んでいるというのなら、それは罰になり得るのだろうか。

 「なる必要なんざ、ねぇだろ。」 

  マッドはもう一度、鼻先で嗤う。

    「キッド、俺をなんか勘違いしてねぇか?俺が他人の命を金に換える賞金稼ぎだって事は、あんた
  も良く知ってるだろうが。そんな賞金稼ぎが、なんでわざわざ賞金首の罪と罰まで考えてやらな
  きゃならねぇんだ。」

     ましてマッドは気紛れだ。
    その時の機嫌によって、賞金首に対する態度は違う。
  機嫌がよければ一撃で撃ち落すだろうし、そうでなければ死の漸近線を漂うくらいの痛い目を見
 せる事もある。

    「俺は俺の気が済むように、そいつを捕えるだけさ。」
 
     マッドは保安官ではない。正義の御旗の下に集まったわけではない。他人の嘆きによって生み出
 された金を拾い集めるだけだ。
  それで誰かの気が済むというのなら、それはそれで結構な話である。
  だが、人殺しが自分が死ぬ事を望んでいると言うのなら。
  そこまで考えてやる義理は何処にもないのだが。

    「死にたくなくなるような事をしてやるか、それに勝る絶望でも感じさせてやりゃあ良いだけだろ
  う。」

     痛めつけるでもなく、獣に襲わせるでもなく。
  というか、そんなに金が欲しいのなら、

    「金に埋もれさせて、殺してやるか。」
 
  腐るほどの金貨で、けれども決して使う事が出来ない。使おうとするぎりぎりのところで、邪魔
   をしてやれば良い。

    「それ以上、考えてやる必要なんかねぇだろう。」 
  
  俺は法の番人じゃねぇんだ。
  マッドはそう言って、笑った。