狼とかに襲われたんじゃないのか?
 
 問いかけに、サンダウンは首を横に振った。
 確かに、当時、アメリカ西部には狼がいた。白人の入植で数は減らしていたものの、巨大なバッフ
ァローオオカミがいた。
 けれども、それではない。
 いくらなんでも、狼なら狼と、そういうだろう。しかし襲われたならず者は、巨大な犬と言ったの
だ。

 犬と狼なんて、似たようなもんだから、見間違えたんじゃねぇのか。

 しかし、サンダウンはやはり首を横に振った。
 人の首を食い千切るような狼が、いるのだろうか、と。

 犬だって、そんな事、しやしねぇよ。
 それとも、増えてたって言う野良犬の群れが、奴らの眼にはでかい犬に見えたとか?

 なるほど、その考えはなかった。しかし、群れではないだろう。何せサンダウンは、その夜、犬の
鳴き声は一つとして聞かなかった。
 そしてその犬は、その夜から確実にならず者達を最低一人は仕留めるようになったのだ。
 闇に紛れて、多い時は六人のならず者が、仕留められた。そして翌朝、彼らの死体を検分するのが
当時のサンダウンの日課だった。
 奇妙な事に、というか、やはり、というか。犬に襲われて殺されたならず者達は、悉くが首を失っ
ていた。彼らの首は、終ぞ発見されなかったが。

 ………その首ってのは。
 
 しゅっと、燐寸を擦る音が聞こえた。仄かな燐の匂いが鼻腔を擽り、音のない明かりがぽつりと灯
る。その灯りを揺らさぬように、問いかけは静かだった。

 どんなふうにして、無くなっていたんだ?
 ああ、わかりにくいな。首は、斬り取られていたのか?それとも、千切れていたのか?
 
 サンダウンは、一つだけ灯った明かりに眼を一度瞬かせてから、答えた。
 どちらでもない、と。
 頭部を失った首の傷跡は、何かに刎ね飛ばされたかのようだった。けれども鋭利な何かで斬られた
ようではなく、途中からは力任せに引き抜いたようにも見えた。
 要するに、よく分からないのだ。
 ただ、似ているのはやはり、何かの前歯で噛み千切られた痕、だろうか、途中までは鋭く突き刺さ
り、最後は無理やり引き千切る。そういうふうに、見えた。
 そういった死体が二十を超えた頃には、もう、ならず者共は怯えきっていた。当初は犬なんぞ見間
違えだ、何処の誰が仲間を殺したのだ、とあちこちを脅しつけていた。けれどもそんな脅しをした輩
は、次の日に決まって死体になって転がっているのだ。
 犬っころがやったってんなら犬っころを全部殺してやる、と息巻いていた者もいたが、それを実行
する前に、やはり首を失って地面に転がっていた。
 ならず者達の頭目は、なんとしてでも犯人を見つけようと躍起になっていたが、それを嘲笑うかの
ように犯行は続き、そして奴の配下は怯え、意気消沈していった。そうして、少しずつ奴らは瓦解し
始めたのだ。
 頭目は瓦解を食い止めようと、自分を裏切って出て行こうとした男を吊し上げにして、最後は殺し
た。
 それは一時的には瓦解を止めたけれども、人間と言うのは不思議なもので、眼に見えた脅威よりも、
眼に見えぬ脅威のほうを恐れるのだ。人間の首を食い千切るほどの犬など、普通に考えればいないだ
ろうが、しかし現実に死者は増える一方だったという実害があったせいもあるだろうが。
 
 で、あんたはどうしたんだ?ならず者が死んだだけだから、そのまま、放置か?
 
 どうする事も出来なかったのだ。
 サンダウンにしてみれば、ならず者達の死は因果応報でしかない。だが、牙の矛先がいつ誰に向く
とも分からぬ以上、放置する事は出来ない。
 しかし、犯人が何者であるのか、皆目見当がつかないのだ。
 犯人は、一つとして証拠を残していなかったのだ。髪の一房、血の一滴、それら犯人逮捕に繋がる
であろうものは、何一つとして。

 ……………。

 甘ったるい葉巻の匂いがする。
 小さな沈黙の後の問いかけは、やはり静かだった。

 足跡は?

 西部の砂は水はけが悪く、さらさらとすぐに風に乗ってしまう。足跡もすぐに消えてしまうだろう。
けれども、少なくとも一番最初の事件――襲われたならず者の凶行を逃れたほうが襲われた直後に保
安官事務所に駆け込んできた時ならば、まだ、足跡は残っていたはずだ。その夜が、余程風の強い時
でもない限り。
 なかった。
 サンダウンは答えた。なかったのだ、と。足跡は何処にもなかった。あったのは、襲われた者達の
ブーツの跡だけで、それ以外は何もなかった。
 当然、犬の足跡も。
 やがて、妙な噂が飛び交うようになった。
 あれは、呪いだ、と。
 黒い犬の形をした、呪いだ、と。
 そしてもう一つ。あれは、インディアンの呪術師が古来から伝わる儀式で呼び出す魔物だ、と。そ
れを呼び出したのはインディアンの血を引く、あの、娘を殺された店主だ、と。
 足跡も音もなく、鳴き声一つ立てる事無く忍び寄り、人間の首を引き千切る化け物を、あの店主が
呼び出したのだ。復讐の為に。
 噂には尾が付き鰭が付く。
 あの店主が犬の骨を大事そうに持っていただとか、夜に墓を徘徊しているだとか、根も葉もない言
ばかりが飛び交った。
 その噂に飛び付いたのは、ならず者共と、他ならぬ店主であった。
 ならず者共が飛び付くのは分かる。恐怖の対象が――嘘か本当かはともかく――ようやく形のある
現実のものとなったのだ。奴こそが元凶だと叫び、そうして瓦解を防ぐ狙いがあった。
 けれども店主は。
 彼は、自分こそがあの犬と契約した、その人である、と豪語した。深い闇で蠢く悪霊に祈りを捧げ、
復讐を成就させるのだと。インディアンの言葉の訛りの残る声は、恐怖に縮み上がる人々の耳には、
より真実味を増して聞こえた事だろう。
 だが、そんな事をしてなんになるのだ。それで改心するような、大人しい心の持ち主が、彼の復讐
の相手ではないだろうに。
 そしてサンダウンの予想通り、その店主は殺された。ならず者達の襲撃を受けて、拷問を受けて殺
されたのだ。サンダウンがいたなら、その悲劇は避けられただろうが、サンダウンは朝から留守だっ
た。サンダウンの留守を狙って行われた凶行の最期に、火を点けられた店主は、しかし、それでも嗤
っていたという。
 その、二日後だ。
 ならず者の頭領は、死んだ。

 どうやって?
 やっぱり首を食い千切られて?

 違う、とサンダウンは答える。
 眉間に一発。鉛玉を受けて。
 まだ子供と言っても過言ではない、若い賞金稼ぎに、殺された。

   ……………。

 お前か、とサンダウンは抑揚なく問いかける。
 あの、一連の凶行を行ったのは。
 黒い影がゆらりと揺れる。身動ぎしたのだ。影の形が、獣に似ていたのは気の所為か。ちらちらと、
葉巻の火が瞬く。
 ふっと。
 笑った。
 影は、人の形をしている。

 ならず者の頭目というのを殺したのは、俺だなぁ。
 その、殺されちまった店主に頼まれてな。

 まだまだ子供の頃の話。
 けれど、

 それ以外は、俺じゃねぇな。
 確かに俺は犬の名前を持っているけれど、人間だぜ?
 そもそも、首を千切るなんてやり方、俺のじゃあねぇよ。

 その通りだった。
 最後の、ならず者の頭目殺しだけは、この男のやり方だ。真正面から、撃ち殺したのだろう。
 では、他の、あの獣のやり方は。
 まさか本当に、あの店主の呪いではないだろう。
 ちらり、と何か思案するように、葉巻に灯る火が揺れた。

 ………なあ、俺は、こんな話を聞いたことがあるぜ。