こんな話を、サンダウン・キッドは知っている。
 それは、サンダウンがまだ保安官に成り立ての頃の話だ。だから、随分と前の話になる。
 サンダウンの初めての赴任地は、西部の中でも最も荒くれた場所で、サンダウンがそこに飛ばされ
たのは、単純にサンダウンの銃の腕が抜きん出ていたからだけだ。サンダウンにその町に行く事を命
じた上役が、銃で銃を支配する以外の何かしらを求めていたという話は、サンダウンは聞いたことが
ない。
 まあ、そんなものか、とサンダウンは自分の役目に納得し――別に若い時分に夢や希望がなかった
わけではないが、それを求めるにはそれなりの段取りが必要な事は分かっているぐらいには老けてい
た――その地に赴いたわけである。
 街については、まあ、噂通りの場所だった。
 通りを一歩でも歩けば、荒くれ者共がいちゃもんをつけてくる。そんな街で、銃声が響かない日は
ないというような有様だった。
 よくもまあ、街という態を保てていたものだ。今にして思えば、そう思う。ならず者共が商売の売
り上げの一部を要求するような土地で、駅馬車やら店やらが、良く成り立っていたものだ。娼婦達が
顔を腫らして歩くような街が、存在している事が驚きではあった。

 サクセズ・タウンだって似たようなものだっただろう。
 声が、言った。

 サンダウンは頷く。
 その通りだ。サクセズ・タウンの状況と似ている。が、大きく違う。サクセズ・タウンほど、あの
街は荒廃していたわけではない。
 なんというのだろうか。
 破滅の手前の喧噪が、あの町には漂っていた。サクセズ・タウンは既にそれを通り越していたが、
あの町は、まだそこまでは行っていない、騒ぐ事でまだ抵抗できると信じている節のある状態だった。
サクセズ・タウンのように、ならず者でさえ何かに沈められたような騒ぎ方をしているわけではなか
った。

 ああ、と頷き返された。
 馬鹿のする馬鹿騒ぎが、残っているような街か。

 そう、それがいつかは倦み疲れたようになるのを知りながら、必死に先延ばしにしようとする騒ぎ
だった。
 騒ぎの真ん中にいたのは、街を牛耳る男だった。その男のために取り巻き連中が、騒ぎ、機嫌を取
り、男の気に入らないものを片っ端から潰していた。
 赴任したその日のうちに、サンダウンは男の気に入らないものに認定されたのか、早々に襲撃され
た。当然の事ながら、物陰に隠れている輩含めて全員返り討ちにしてやったが。
 絶対に見えないであろう位置から撃ったにも拘わらず、撃ち返されて、さぞかし胆を潰した事だろ
う。引き摺り出した時の、呆けた顔は今でも覚えている。
 着任早々がそんなだったから、サンダウンは眼を付けられた。
 ならず者を纏める男は、あの手この手でサンダウンを始末しようと手を打ってくる。路地裏から突
然発砲された事もあるし、息のかかった女がナイフを懐に忍ばせて忍び寄ってきた事もある。一番面
食らったのは、食べ物の中に毒を仕込んできた事だ。
 結局それらは全部、失敗に終わったのだが。
 
 でなけりゃ、あんたは此処にいないものな。
 
 突然の発砲と言っても殺気は読めるし、女に迫られてころりといくような性格でもないし、得体の
しれない食べ物に手を出すほど食い意地がはっているわけでもない。
 サンダウンは、飄々と男の手を振り払い、ただしその度に男の小飼の連中を削り取っていった。お
まけに男の注意がサンダウンに向いているのだから、必然的に街の治安は落ち着き始めていた。
 だがそれは最初の頃だけの話だ。
 そんな生温い男なら、ならず者の頂点には立てなかっただろう。いや、立てたかもしれないが。
 サンダウンだけを標的にしていたのが、ふと周りの人間も巻き込むようなものに変わり始めた。簡
単に言ってしまえば、周囲の人間を人質に、サンダウンを脅し始めたとでも言えばいいだろうか。
 サンダウンが近くにいる時は良い。サンダウンがその場で、そんな不届き者を撃ち落せば良いだけ
だ。けれども、サンダウンがいない間に、誰それが攫われたとなると、少々話はややこしくなる。そ
れでも、ある程度まではどうにかしていたのだけれども。
 ある日、サンダウンが買い物をしていた店の娘が、攫われて凌辱された挙句に殺された。

 残念だが、良くある話だな。
 恨まれたか。

 問われて、サンダウンは首を横に振る。
 店主はサンダウンを恨まなかった。ただ、殺した人間に対して恨み言を吐き捨てた。
 どうして守ってくれなかったのか、と叫ぶ遺族もいる中、まだこちらを慮ってくれたほうだと、そ
う思えば良いのだろうが、そうは思えなかった。
 その店主は、実はインディアンの血を引いていた。なんでもインディアンの中では高名な呪術師で
あったとか。人の未来を視て、吉兆を告げるのだと。
 彼はこう告げた。人の不幸ほど、視えやすいものはない。

 そいつは、自分の娘の不幸は見えなかったのか。

 問いかけにサンダウンは、店主はこうも言ったのだ、と答える。
 だからこそ、私は未来を視なかったのだ、と。不幸というのは、視えた瞬間、十中八九、事実にな
る。それは人の闇がそこに凝り固まり、些細なことでさえ不幸と呼ばれて広がるからだ、と。

 それで、と声が促す。

 彼は、だから、と言った。
 だから私は未来を視る、と。奴らの――娘を殺したならず者共の未来を視てやろう、と。
 未来を視て、不幸は現実になると言う呪術師のその言葉は、確かに呪いの言葉だった。娘を殺した
輩に対して吐き出された、呪いだった。
 当時のサンダウンには、彼に対して、ささやかな慰めの言葉を吐く以外にはできなかった。
 犯人は一目瞭然だった。けれども、証拠がなかった。あのならず者共がやったのだという、決定的
な証拠がなかった。証拠がないままに奴らを断罪すれば、それは正義の星の下からは外れる道理にな
る。
 だから、サンダウンには何も出来なかった。
 そうこうしているうちに、ならず者共の動きは再び活発になり始めた。安穏に傾きかけていた街の
気配は、再び破滅目前の喧噪を帯び始めた。
 表立って何かを仕出かす連中を、サンダウンは裁く事はできるが、けれども裏で蠢く者共は尻尾が
なく、サンダウンにはどうする事もできない。
 そんな折に、こんな話を聞いたのだ。

 どんな?

 野良犬が、増えてきた、と。

 犬?

 野良犬だ。
 街の人々は、不安そうに、呟いていた。
 最近、どうも犬があちこちをうろつき回っている、と。ゴミが荒らされたり、土を掘り返したりし
ている。まだ家畜を襲うような事にはなっていないが、いつか自分達に噛みついてくるのではないか、
と。
 サンダウンには、街の中をうろつく犬が増えているようには思えなかった。けれども、確かに、見
回ってみればゴミが散らかっていたり、畑の土が掘り返されていたりするのを見かけた。
 コヨーテでもいるのだろうかとも思っていたのだが、それにしては随分と人慣れしているのか、民
家のすぐ傍まできているようだった。
 ただ、サンダウンはその姿を見る事はなかった。というか、サンダウンは街の人々の声を聞いても、
やはり犬が増えているようには思えなかったのだ。 
 けれども、ある夜、保安官事務所に一人の男が駆け込んできて、事態はサンダウンが思うよりも重
い方向に向かっているのだ、と分かった。
 男は、あのならず者の取り巻きの一人だった。本来ならばならず者の頭の元に行くべきだったのだ
ろうが、それ以上に気が動転して命の危険を感じて、何よりも安全だと思う場所に――強い人間がい
る場所に――逃げ込んできたのだろう。
 男は喚いた。
 巨大な犬に、襲われた、と。
 そして一緒にいた弟が、そいつに食い千切られた、と。
 サンダウンには、男の言っている意味が分からなかった。或いは、そんな事を言って、またサンダ
ウンを誘き出そうとしているのだろう、と思った。誘き出されたところで、サンダウンはびくともし
ないのだが。
 けれども、泡を食っている男が演技をしているようにも見えず、そして男は執拗に喚いた。
 犬だ、犬だ、犬だ。黒い犬が、やって来た、と。
 あまりにもやかましいのと、巨大であるかどうかはともかく野良犬の話は聞いていたので、それが
とうとう人間を襲ったのかと考え、サンダウンは男が言う場所に向かった。そこは、男の弟が置き去
りにされた場所だった。

 で、何があったんだ、そこに?

 男の弟の死体があった。
 サンダウンは、短く、なんの抑揚もないままに答えた。
 ただし、首はなかったが。