「待てよ、キッド!」

  慌てたような声と足音が、背中を打つ。たった今までいた、光溢れる場所から抜け出したマッド
 は、信じられないくらい無防備にサンダウンの背を追い掛ける。いや、もしかしたら、いつもそん
 なふうに、子供が親を追い掛けるように無邪気にサンダウンを追っていたのか。
  けれど、それは危険すぎる。
  賞金稼ぎが、何の疑いもなく、賞金首の背中を追い掛けてどうするのだ。せめて、その銃把に指
 先を掛けていたなら。しかしマッドの指は、銃を抜く事など忘れたかのように、サンダウンの腕を
 取ろうとしてかサンダウンに伸ばされている。

 「キッド!」

  もう一度、歌うような響きでマッドが叫んだ。
  それに心臓が割れるように鳴り響くのを抑え、サンダウンは振り返らずにマッドを振り切ろうと
 する。今、その指先に触れられたなら、きっと、いつものように抱き締めるだけでは許してやれな
 い。それほどに、サンダウンの中では嫉妬を食い潰して膨れ上がった魔王が、まだ足りないと言わ
 んばかりに大口を開いている。
  だが、

 「てめぇ、無視するたぁ、良い度胸じゃねぇか!」

  怒鳴り声と共に、一気に気配が距離を詰め、細い指がサンダウンの硬い腕を掴んだ。




  Love Bite 5
  





  去り行く気配に気付いて慌てて追いかけたのは、そこに得体のしれない何かが孕んであったから
 だ。絶筆し難いそれは、いつもサンダウンがマッドを抱き締める時に、確かに漂っていた。腐臭の
 ような不快感を煽る気配は、サンダウンの中で蠢いて、それの存在が大きければ大きい時ほど、マ
 ッドを掻き抱く激しさも増した。
  そして、今、立ち去るサンダウンの中からは、これまでとは比べ物にならない圧倒的な死臭がし
 ている。
  その様子に、警鐘が鳴らなかったわけではない。
  ああいった、奇妙に捻じれ歪んだ気配を放つ人間が、まともな状態であるわけがない事は、マッ
 ドは重々承知している。
  それでも放っておけなかったのは、やはりそれがサンダウンだったからだ。破滅の道さえ顔色一
 つ変えずに進んでいきそうな男が、マッドを抱き締めるのは、そこに向かう歩みをマッドに止めて
 欲しいからではないのか。
  言葉に出来ず、何かに頼る事が出来ない男が、最後の綱としてマッドを選んだのなら、マッドは
 それに答えなくてはならない。マッドの手の届かぬ所に行ってしまうというのなら、その首に罠を
 掛けてでも連れ戻さなくてはならない。
  それは、サンダウンを長年追いかけているマッドの責務であり、マッド自身が選択した事だ。
  だからマッドは、いつもよりも思い気配を放つサンダウンを追い掛ける事に、些かの戸惑いもな
 かった。
  呼んでも振り返らない男に苛立ち、薄暗い路地裏に消えようとする手前で、その腕を捕えた。
  そして、振り返ったサンダウンの青い双眸を見た瞬間に、マッドは己の警鐘が正しかった事と、
 自分の選択が誤りであった事を悟った。
  ぞっとするほど、冴え冴えとした青い瞳は、はっきりとマッドを見据え、そのままマッドの視界
 にはそれだけで満たされる。同時に感じる熱と、凄まじい息苦しさ。
  サンダウンを掴んだマッドの手は、掴んだと思った途端に逆にサンダウンに掴み取られ、もう一
 方の腕は背中に回されてマッドの身体を荒々しく引き寄せている。そして、噛みつくように唇を奪
 う口付け。無防備だった身体は抵抗する暇もなく、サンダウンの舌の侵入を許し、蹂躙される。そ
 して、逃れないように、腕を掴んでいた手を解いて、サンダウンはマッドの短い髪に手を差し入れ、
 更に唇を押し当てる。

 「んっ……!ふぁ………っ!」

  角度を変えて更に深まる性急な口付けに、マッドは身を捩る。だが、マッドがサンダウンから逃
 げようとする動きを見せれば見せるほど、サンダウンはマッドの身体を更に強く引き寄せ、拘束を
 強めていく。

 「んっ、んっ、んっ………!」

  歯列をなぞられ、舌を絡め取られ、口腔内は全てサンダウンに触れられて支配されてしまう。呼
 吸さえも奪い尽くされ、マッドは余りの苦しさに眼元を滲ませた。呼吸困難に陥って、慄き始めた
 マッドの身体を見て、サンダウンはようやくマッドの唇だけは解放した。
  呼吸を許されたマッドは、はぁはぁと短く荒い息を零し、新鮮な空気を肺に入れ込む。激しい口
 付けに力を奪われた身体は自力で立つ事もままならず、まるでサンダウンに縋りつくようにして震
 えている。
  それを拘束したまま、眼を細めて見おろし、サンダウンは喘ぐマッドの額や頬に口付けを一つ一
 つ丁寧に落としていく。

 「っ……てめぇ………!」

  拘束は解かないものの、それでも落ち着きを取り戻したサンダウンの様子に、マッドは怒りの唸
 り声を上げた。

 「なんのつもりだ、急に!」
 「…………お前こそ、何故、来た?」
 「ああ?!なんだよその言い草は!まるで俺が来たのが悪いみてぇな言い方じゃねぇか!」
 「そうだ………お前が、悪い。」

  サンダウンの呟きに、マッドは眦を決した。サンダウンの青い眼が、常よりも深い色に染まって
 いる事に気付かず――気付いていたとしても無視して――睨み上げる。

 「んだと?!てめぇの様子がおかしいと思ってきてやったのに!大体、俺が邪魔ならこんな事しな
  くても良いだろうが!」

  怒鳴って、サンダウンの身体を押しやろうと腕を突っぱねれば、その腕を掴まれ、マッドは路地
 の壁に背中を押しつけられる。顔の両側で手首を拘束され、そのまま再び熱い口付けを迎え入れさ
 せられた。

 「んんっ………!」

  身を竦めるようにして逃げてみても、サンダウンは何処までも追いかけてくる。それに逃げよう
 と思っても、サンダウンと冷たい壁で造られた檻はマッドが思い以上に強固で、マッドは何処にも
 行く事が出来ない。

 「んふっ……あ……。」
 「何故、今、来たんだ………。」

  唇に触れる間際で囁かれた声は、苦渋に満ちていた。マッドがそれを見上げると、サンダウンの
 眼は深い紺色に染まり、そして苦いものを浮かべている。

 「お前が、来た所為で………。」

  ゆっくりとサンダウンの唇は、マッドの唇を離れ顎を辿り、頤をねっとりと舐め上げる。喉仏へ
 と這っていき、そして首を守るタイに阻まれたサンダウンは、シャツの襟脚周辺をなぞっていたが、
 遂に、耐え切れないような低い唸り声を上げた。

 「私は、お前を、放してやる事が、出来ない………。」

  言うや否や、サンダウンの手はマッドの手首を解く。が、マッドが解放された腕を以て反撃に出
 るよりも早く、サンダウンの手がマッドのジャケットに掛かる。そしてマッドが顔色を変える暇さ
 え与えず、ジャケットとシャツを纏めてボタンを引き千切って、前を大きく寛げた。
  途端に、サンダウンの眼の前に、日に曝されていない所為で白味の強い肌が広がる。その中で、
 薄く色づいた、小さな突起が。

 「おい………っ!」

  マッドは驚きの声を上げるが、しかしサンダウンの手は再びマッドの手を掴み、抵抗を封じる。
 そして、身体の線に沿って頼りなく揺れる、シャツとジャケットを頬で掻き分け、隠されそうにな
 っていた乳首を舌先で捉える。

 「止めろ……っ!」

  その瞬間、マッドは世界が閉じたような気がした。サンダウンが何を求めているのかが、はっき
 りと分かったからだ。
  抱き締めたり、口付け程度ならば、まだ親愛で片付ける事が出来る。
  けれど、この愛撫は、それを越えた欲望を意味している。そしてマッドはそこまで許した覚えは
 ない。尖りに吸い付いて、離れないサンダウンに、マッドは首を打ち振るって拒絶を示す。

 「キッド、嫌だ!止めろ!」

  だが、マッドの色づきを弄ぶサンダウンは、マッドの制止など聞かない。硬くしこってきたそれ
 を優しく舐め上げ、カリと甘噛みする。

 「んぁっ!」

  ぴくん、と反応するマッドの身体。マッドには、それが信じられない。だからこそ、余計に身を
 捩って、賞金首の行為を止めようとする。しかし、サンダウンはそんな抵抗をものともせず、マッ
 ドを攻略していく。
  両の乳首を舐めて吸われ、マッドは首を打ち振るいながら身悶え、眼元を潤ませる。すると、サ
 ンダウンの片手がマッドの片方の手首を解放する。その腕でマッドはサンダウンを押しのけようと
 肩に手を突く。
  しかし、マッドが必死にサンダウンを引き剥がそうとしている間も、サンダウンはマッドの胸に 
 顔を埋め続け、マッドを解放したばかりの手は新たな獲物を求めてマッドの身体の上を這い回る。

 「ぅあっ!」

  ベルトの下にある、一番敏感な部分を布越しに握りこまれ、マッドは思わず声を上げた。男なら
 ば、そこを愛されて感じない者はいない。しかもサンダウンの手は的確に、感じるところに触れて
 くる。しかし、マッドにしてみれば、それは凌辱であり身を委ねる事など出来ない。

 「止せっ!………くぁっ!」

  制止の言葉を吐き、手をどけようとすると、痛いほどそこを掴まれ、マッドは仰け反り痛みによ
 る涙を薄く盛り上げた。痛みに怯える身体にサンダウンは擦り寄り、そっと囁く。

 「痛いのは……嫌だろう?」
 「う……あ……。」

  痛めつけたそこを優しく撫でる指に、マッドは小さく喘ぐ。嫌だ、と小さく首を振っても、サン
 ダウンはあやすように股間をなぞり上げるだけで、マッドを解放してくれない。しかも、時折痛み
  を感じる手前の強さで握り込み、マッドに痛みの恐怖を思い出させ、抵抗を奪っていく。

 「嫌だ……キッド、もう、止めろ………。」
 「大人しくしていろ。」

  マッドの懇願にも似た制止を、サンダウンは丸っきり無視し、マッドの身体を反転させて、壁に
 手を突くような体勢で押し当てる。その身体に背後から覆い被さって動きを封じてから、かさつい
 た手がゆっくりとベルトに引っ掛かる。
  ベルトの金具を外そうとする音に、マッドは肝が冷えた心地になった。

 「駄目だ、キッド!それだけは!」
 「マッド。」
 「ぐあぁっ!」

  後に引けないところまで進もうとするサンダウンに、マッドは無茶苦茶に身を捩り、逃げ出そう
 とする。だが、その瞬間に敏感で弱い部分を握られ、与えられる痛みに苦鳴を零した。痛みに悶え
 るマッドに、サンダウンは呟く。

 「今更、お前が、逃げるつもりか………?」
 「ううっ………。」

  苦痛に慄くマッドの肩に引っ掛かっているジャケットとシャツを払い落し、それを手首の位置で
 絡め、両腕の動きを封じる。マッドが抵抗を封じられているその隙に、サンダウンは中断していた
 作業を再び開始する。マッドは、それを甘んじて受け入れるしかない。

 「あ………。」

  ベルトが外れると、マッドの下肢を覆っていた物は全て膝までずり下げられる。それらもまた、
 マッドの脚に纏わりついてマッドを拘束する。手足を自分の衣服で捕縛されたマッドは、自分の情
 けない姿に目を閉じて奥歯を噛み締める。
  屈辱に耐えるようなマッドの身体を、サンダウンの手は余すところなく触れていく。肩から胸へ、
 脇から腰骨へ、臍から脚の付け根へ、そして太腿から尻の隙間へ。

 「止めろ………。」

  双丘を割られる感覚に、マッドは弱々しく首を振って、嫌だと呟く。その様子に、サンダウンは
 項に一つ口付けを落とし、形の良いその割れ目へと武骨な指先を滑り込ませていく。片方の手はマ
 ッドを脅すように、彼の雄を握り込んでいる。
  いや、いや、と子供のように怯えるマッドに、しかしサンダウンは容赦なくマッドの秘部を探り
 当てると一気に二本の指でそこを貫いた。

 「あっ、がぁああああっ!」

  途端にマッドの背中が撓り、喉からは獣のような声が上がる。はっきりと苦痛を訴える悲鳴に、
 しかしサンダウンは突き入れた指を、その中で捏ねるように掻き回す。その度に、マッドは金切り
 声を張り上げ、よろけるくらいに身体を跳ねさせる。
  そんなマッドを見て、サンダウンは雄に添えていた指先で、先端を弄り始めた。

 「あ……ああっ、止め……っ。」

  欲望を刺激され、無理やり感じさせられる。けれど、後ろには二本の指が突き刺さっており、壮
 絶な違和感を生み出している。相反する二つの感覚は打ち消される事なく、マッドは引き裂かれそ
 うだった。

 「っう、ぐ、かはっ………。」
 「マッド…………。」
 「くぅあっ………もう、や………っ。」
 「………寒い。」

  そっと囁かれた言葉に、マッドは薄っすらと涙で霞む眼を開いて、定まらぬ視線を背後に向ける。
 その視線がサンダウンを捉える事はなかったが、代わりに後ろにあった圧迫感が失せた。抜け切っ
 た感覚と、痛みから解放された安堵感で、マッドは身体から力を抜く。
  ともすれば、そのままくずおれそうだったマッドを、サンダウンの腕が支え、そして耳元で囁か
 れる。

 「マッド、寒いんだ…………。」
 「…………な、に?」
 「だから、」

  すまない、と初めての謝罪が耳に届く。同時に、熱い昂ぶりが。

 「っ――――――――!」

  悲鳴は、声にならなかった。