危険だ、と頭の中で警鐘が鳴り響いている。
  サンダウンからの口付けが、深いものに変わった瞬間に、自分達の関係が、自分達の立場を鑑み
 れば危険極まりない事に変貌しつつある事に、マッドは気付いていた。そして、それはサンダウン
 も気付いているはずだ。
  けれど、奪うように口腔を荒らすそれが、再び掠め去るような淡いものに戻る事はなく、まるで
 情事の際のようにマッドの身体の線を確かめる。
  それは間違っているのだ、と。
  何度も口にしようとして、けれどその度に流されてしまうのは、間違いなく自分に原因があるの
 だ。誰にも媚びず誰にも靡かず、風のように黙って通り過ぎていく男が、自分にだけこうして欲を
 ぶつけてくる事は、その影ばかりを追い掛けていたマッドにとっては、この上なく優越感をそそる。
  そんな、しょうもない理由で、マッドは男からの口付けを甘んじて受け入れているのだ。
  他の男にそんな事をされたなら、きっとその場で撃ち殺している。それをしないのは、相手が他
 ならぬサンダウンだからだ。
  けれど、その考え自体が、危険すぎる。
  それを分かっていながら、マッドには止める事が出来ない。




  Love Bite 4
  





  まるで、望遠鏡で覗いているようだとサンダウンは思った。
  視線の先で繰り広げられている光景は、薄い窓硝子を挟んでいるだけで、その扉を開けば、すぐ
 にでも手が届く場所にあった。けれど、明るい灯と笑い声が漏れ出るその中は、追われる身である
 サンダウンにとっては、宇宙の先にある星の光よりも遠い場所にある。
  大勢の人が椅子に座り、賑やかに食事をしている酒場は、場末の、行く当てのない無法者達が入
 れるような薄暗い店ではない。仕事終わりの健全な人々が、一杯の安らぎを求めて楽しむ為の場所
 だ。
  そこでは沈鬱な色など何処にもなく、穏やかで、時々弾けるような笑い声が溢れ出す。零れ出る
 光には、一片の憂いもない。
  だが、それ故に、そこにはサンダウンの居場所はない。
  もともと、血を呼び込むが為に、保安官の任を返上し、人目を避けて生きる事を選んだのが、サ
 ンダウンだ。血を呼ぶその性質は、こうして放浪するようになった今でも変わらない。賞金と、銃
 の腕に眼が眩んだ賞金稼ぎやならず者が、絶え間なく付いて回る。
  サンダウンが歩いている道は、血の河と言っても良い。
  そんな、血臭の漂う身体を、一滴の曇りもない明りの中に投じて良いはずがないのだ。 
  なのに、とサンダウンは、誰も見向きもしない――彼らから見れば薄暗い外しか映っていない窓
 硝子に、そっと手を這わせる。その指先が辿る場所にいるのは、穏やかなクリーム色の光の中で、
 突き抜けて目立つ黒い影だ。
  サンダウンの賞金と銃の腕につられてやってくる輩の中で、その最たる者である男が、その場の
 中心で、屈託なく笑っている。そういう邪気のない笑みを浮かべていると酷くあどけない表情にな
 る事に気付いたのはいつだったかと、サンダウンは眼を細める。
  女や仲間に囲まれて、ちやほやされて、屈託なく楽しそうに笑う姿は、サンダウンの前ではあま
 り見せない表情だ。サンダウンの前では、いつも彼は何処か皮肉げで強気な笑みを浮かべている。
 だから、なかなか一番無防備な表情を見る事は出来ないのだが。
  窓硝子の上からその表情を撫でて、それでも彼は紛れもなく西部一の賞金稼ぎなのだと、心にも
 う一度深く留め置く。
  そう、紛れもなく彼は、サンダウンが撒き散らす死臭に惹かれてやって来る中の一人だ。
  けれど、サンダウンの首を狙うと同時に、この荒野にあって唯一、サンダウンの生死を気に掛け
 る人物でもある。例えそれが、自分の獲物を誰にも渡したくないという、身勝手な思いからであっ
 ても、それでもサンダウンには、自分の死臭に恐れずに、あくまで対等に向き合おうとする彼だけ
 が、世界でたった一人の相手だった。
  だが、その相手――マッドには、サンダウンだけしかいないわけではない。今も、こうして、仲
 間や娼婦を周りに侍らせている。賞金稼ぎ仲間に肩を触れられ、娼婦達がしな垂れかかり、その身
 体には無数の愛撫が刻まれている。
  その愛撫には、サンダウンのそれも混じっているのだ。
  何度も何度も身体の線をなぞり、露わな項や耳朶に唇を触れさせた。そして、その、形のよい唇
 にも吸いついた。最初は掠める程度で満足していたのに、いつの間にか唾液さえ奪うようになって
 いた。
  それもこれも、他ならぬマッドが、それをサンダウンに許しているからだ。本気でマッドが嫌が
 ったなら、サンダウンも止めただろう。だが、マッドは戸惑うような視線を向けるだけで、サンダ
 ウンを本気で止めようとはしなかった。
  だから、サンダウンも止める事が出来ない。
  なのに、マッドはそんなサンダウンを置き去りにして、仲間達から愛撫を受けている。女達が頬
 や唇に口付けて、その身体を撫でている。
  それは、サンダウンのものなのに。日差しを受ければ銀に輝く黒髪も、宇宙と同じ色をした黒い
  眼もしなやかな獣のような身体も、その柔らかい唇も。それらはいつも、サンダウンの腕の中に投
 げ出されている。
  だが、今はサンダウンの手が出せない明りの中で、サンダウン以外の誰かに引き寄せられている。
 その様子に、思わず、窓硝子に置いた手に力を込めた。
  このまま、この硝子を叩き壊してやれば、あの男はどんな顔をするだろう。そして、大勢の眼の
 前でいつものように口付けて、身体の線をなぞってやれば、どうなるだろう。彼が、サンダウンの
 ものだと、皆に知らしめる事が出来るだろうか。それとも、身の程知らずの夢を抱いたサンダウン
 を嘲笑うだろうか。

 「……………っ。」

  転瞬、不意にマッドの黒い眼が何かを感じ取ったように、薄暗い夜しか映し出していない窓硝子
 へと向けられた。そして、はっきりとサンダウンを捉える。
  その瞳が何か言いたげに歪む前に、そこに割り込むように派手なドレスが割り込んで、マッドの
 唇を奪っていく。
  マッドの視界が遮られて、サンダウンは、はっと窓硝子から身を離す。  
  サンダウンの手の届かぬ所で、サンダウン以外の人間に触れられているマッドを見て、嫉妬をし
 たなんて。そしてそれが堪え切れず、知らず知らずのうちに、いつもは隠している気配を放ってい
 たらしい。
  制御できなかったその思いに、マッドは正しく気が付いたのだ。

  何て事、だ。

  喉の奥から乾いた笑いが上がりそうだ。まさか、マッドに気付いて貰う為に、無意識のうちに気
 配を放っていたなんて。
  何て事、何て事。
  まさかここまで、欲深かったなんて。
  笑いに引き攣れそうになる喉を押え込み、サンダウンは足早に明りのもとを離れる。このまま此
 処にいたならば、きっとマッドの前で何よりも無様な姿を見せてしまいそうだ。
  けれど、サンダウンの求めを引き裂くように――応じるように――酒場の扉が慌ただしく開く音
 が聞こえた。