最初こそ暴れたものの、慣れてしまえばそれは特に問題ないことだった。
  マッドは別にサンダウンが嫌いなわけではないし、基本的に根がお人好しのマッドは、例えそれ
 が普段から追いかけている賞金稼ぎであっても、本心から懇願されてしまえば、弱い。
  だから、サンダウンがマッドを抱きかかえて夜を明かす事も、サンダウンに切実に懇願され、そ
 してそれが何度も繰り返されれば、それをあっさりと受け入れてしまう。犯される事に比べれば、
 抱き締められる事など大したことではないし、マッドはこうしたスキンシップに慣れている。男同
 士で抱き合う事は確かにないが、肩を寄せ合う程度ならば何度でもある。人と触れ合う距離が怖い
 など、マッドは一度も思った事がない。それくらい、他人と接する事に慣れていた。
  サンダウンが、その接し方の中でも一番近しい触れ方をしてきたのには驚きだったが、抱き締め
 られて夜を越えているうちに、それは何でもない事になってしまった。




  Love Bite 2





  腕の中にいるマッドは、少しうとうとしているようだった。
  恒例となった銃の撃ち合いの後、これまた恒例となったこの触れ合いは、最初こそ抵抗が激しか
 ったものの、いつしかマッドは大人しくサンダウンの腕に閉じ込められるようになっていた。
  それが、マッドの人の良い部分に付け込んでいる事だと、サンダウンは理解している。
  基本的に真っ当な人間の心根をしているマッドは、例えそれが長年追いかけている賞金首であろ
 うとも、切実に懇願されれば心を傾ける。そこに付け込んだのだと、狡賢いサンダウンは気づてい
 る。
  しかし、それをどれだけ非難されても、サンダウンはマッドに触れる手を止める事は出来なかっ
 た。
  何せマッドは、人から逃れて生きるサンダウンにしてみれば、唯一対等に会話が出来る相手だ。
 サンダウンが失った物の欠片達を、その熱と共に零していく男に、手を触れないという話にはなら
 ない。
  ましてサンダウンの腹の底には、形容し難いほどに醜い魔王が巣食っている。サンダウンと同じ
 色をしたそれは、紛れもなくサンダウン自身で、それはサンダウンが人の熱や形を忘れれば忘れる
 ほど強大に膨れ上がって、サンダウンを飲みこもうと口を開く。
  それを押え込む為に、耐え切れずにマッドに縋りついた。男女子供大人かかわらず、誰かを抱き
 締めたのは、本当に久しぶりだった。抱き締めた身体は温かく、凍りついた身体が綻んでいくよう
 な心地良い倦怠感に襲われた。
  その心地良さを忘れる事が出来ず、サンダウンは自分の中にいる魔王を言い訳にして、マッドを
 何度も腕の中に引き寄せる。

 「ん…………。」

  夜露が降り積もる中、サンダウンの腕に閉じ込められたまま、まどろんでいるマッドが小さく声
 を上げる。だが、眼を覚まそうとはしない。普段の彼からは想像もできない無防備な姿に、サンダ
 ウンは苦笑して、その身体を抱え直すと眼の前でふらふらと揺れているマッドの黒髪に誘われるが
 ままに顔を埋める。
  米神に、触れるかどうかの唇を寄せれば、マッドは子供のように唸って身じろぎした。

 「う、ん……くすぐってぇ……。」

  マッドは夢現で、それでもサンダウンの髭がくすぐったいと訴える。信じられないくらい可愛ら
 しい訴えに、サンダウンはむずがるマッドの頬にも薄い口付けを落とす。
  途端に、ぴくん、と跳ねる身体。むーっと唸って、マッドが身じろぎする。そして薄っすらと開
 く黒眼。ぼんやりと霧を張ったようなマッドの視線は、のろのろと動いてサンダウンを見上げると、
 数回瞬きをした。

 「ん、俺、寝てたのか?」
 「…………まだ、寝ていろ。」

  まだ夜は明けていない。暗にそう言ったつもりだったが、マッドは寝ぼけまなこでサンダウンに
 閉じ込められている身体を起こす。その身体を慌てて抱き締めると、マッドが眠たそうな声で、し
 かし呆れたように、まだ行かねぇよ、と告げた。

 「それより、あんた、俺が寝てる間になんかしなかったか?」
 「していない。」
 「嘘吐け、髭が当たってたぞ、髭が。」

  ち、と舌打ちすると、マッドはサンダウンの腕の中で僅かに空間を作り上げ、サンダウンと距離
 を作る。それを埋めようと身を寄せれば、マッドの手によって押しとどめられた。

 「あのなぁ、いくらあんたが寂しいおっさんでも、これはおかしいとそろそろ思えよ。心の広い俺
  じゃなきゃ、気違い扱いされてるぜ?」

  男を抱き締める事は数少ない事とは雖もあるだろう。だが、頬や米神に口付けを落としていくの
 はどうなのか。
  そう咎めるマッドに、サンダウンもこれがマッド以外に対してならばおかしいだろうと思う。サ
 ンダウンは性的嗜好はごく普通だし、これまで男を抱き締めたいと思った事も、例え頬や米神であ
 っても口付けたいと思った事もない。それを、何故マッドにするのかと言えば、マッドだからと言
 うしかない。
  マッドが何度か口にしたように、女にでもすればとも思うのだが、女を抱いて腹の底で牙を見せ
 つけている魔王が押し込められるかと言えば、そんな事は有り得ない。
  サンダウンの中で冷たく広がる、無数の牙で縁取られた黒々とした空洞は、それを埋め尽くす熱
 でなければ埋める事が叶わない。
  サンダウンが知る限り、それが出来るのは、サンダウンのもとに様々な世界を背負って突きつけ
 るマッドだけだった。
  だが、サンダウンはそれをマッドに告げるつもりはなかった。告げたところでマッドのような健
 全な魂には、サンダウンの奥深くで横たわる醜い蠢きなど理解できないだろうし、何よりも告げた
 瞬間にマッドが離れて行く事が恐ろしかった。
  だから、口を閉ざして代わりにマッドを抱き締める。
  そんなサンダウンに、マッドが溜め息を吐く。呆れたような音に、サンダウンは咄嗟に身を強張
 らせた。そうすれば、サンダウンの欲深な魔王はすぐに顔を出し、そうする事でマッドはサンダウ
 ンの腕の中に忽ちのうちに戻ってくる。
  我ながら、小賢しい。
  マッドの身体の線をなぞりながら、サンダウンは自嘲する。マッドは確かに魔王を押え込む唯一
 の手段だ。けれど、そのマッドを手放さない為に魔王を利用している。まるで、魔王がマッドを欲
 しているのか、サンダウンがマッドを欲しているのか、分からない。
  そう思ってサンダウンは更に自嘲を深めた。その問い掛けが、如何に意味のない事であるかに気
 付いたからだ。サンダウンの中に蟠る薄暗い魔王も、所詮サンダウンの一部であり、結局はサンダ
 ウンがマッドを求めているに過ぎないだけだ。

 「キッド?」

  サンダウンの意識が転調した事に気付いたのか、マッドが怪訝な声で問い掛ける。その頬に口付
 けると、マッドが少し眉根を寄せたのが気配で分かった。

 「マッド………、嫌、か?」

  嫌だと言うわけがない事を知っていて、サンダウンは問い掛ける。切実さを滲ませれば、マッド
 はすぐに陥落する。他の誰に対しても、これほどに無防備なのだろうか。サンダウンは、マッドの
 肩を引き寄せる手に少し力を入れた。
  痛みを感じたのだろうか、マッドの表情が小さく歪むのが見えた。しかしそんな事は口にせず、
 マッドは口を尖らせて、呟く。

 「別に、嫌ってわけじゃねぇけど。キスの一つや二つで、ぴいぴい言うようなガキでもねぇし。」

  ぶつぶつと何か言っている身体に、ぴったりと身体を寄せて、閉じ込める。肩口に顔を埋める形
 となったマッドの髪をゆっくりと撫で、サンダウンはすぐ傍にある形の良い耳に口付ける。

 「わっ!何すんだ、てめぇ!」
 「ぴいぴい言わないんじゃなかったのか?」
 「い、言わねぇけど、でも、時と場所と相手によるだろうが。」
 「特に問題があるようには思えないが。」

  今は夜で、周りは誰もいない荒野で、問題となるものは何一つとして見当たらない。

 「嫌、ではないんだろう………?」

  耳朶を唇で挟みながらそう囁くと、びく、と腕に掻き抱いた身体が跳ねる。それが楽しくて、サ
 ンダウンは何度もマッドの耳を唇でなぞる。

 「てめぇ、楽しんでるだろ!」
 「………………。」
 「くそ、だったら俺はもう行くぜ。」
 「…………駄目、だ。」

  此処にいる用はないと身を捩るマッドを、サンダウンはひやりとした気分になって、抱き締めた
 まま地面に押し倒す事で、完全に動きを封じる。

 「まだ、夜は、明けてないだろう………?」

  見上げてくる黒い瞳にそう云い募って、腕の中にある顔のそこかしこに、口付ける。触れるそこ
 は、一番皮膚の薄い唇で触れている所為だろうか、とても温かく、サンダウンは最後に一番熱を持
っていそうな、震える赤い唇に掠めるように触れた。