満天の星空の下で、賞金稼ぎマッド・ドッグはゆっくりと葉巻の煙を吸い込み、同じくらいゆっ
 くりと煙を吐き出した。
  真っ白な煙は、マッドの吐息と見分けがつかないまま、ゆらりと闇の中で不可思議な影を作り、
 天に登る前に立ち消える。
  その様子には一切の気負った風情はなく、全く以ていつも通りのマッドの姿だった。
  たった今、精神的に退行した少女の額を撃ち抜いた事に対して、些かの気兼ねもないような姿に
 サンダウンは微かにマッドを見失いそうになっていた。




 輔星





  マッドは、サンダウンと対峙した時の躊躇うような戸惑うような表情は、今や一切浮かべていな
 い。少女とサンダウンを見比べていた時の、何が真実かまるで分らないといった様子は、もはや欠
 片も浮かべておらず、相変わらずの皮肉な笑みを湛えて、その良心には些かの傷も負っていないか
 のような風体をしていた。
  あの時の躊躇いは、全く悉くが演技であったと言わんばかりに。
  そして、恐らく、その考えは正しいのだろう。
  賞金稼ぎマッド・ドッグは、その気になればあらゆる表情を浮かべて観客を魅了して、徹底的に
 欺くくらいの事はしでかす男だった。
  そして欺かれた者の一人であるサンダウンは、苦々しく唇を歪めて、マッドの飄々とした横顔を
 睨み付けた。だが、睨みつけられたマッドは、珍しいサンダウンの視線を、おもしろがるかのよう
 な素振りを見せているだけだった。 

 「なんだ?何か不満があるみてぇだな?」 

  サンダウンの視線に、さっき気が付いたと言わんばかりにわざとらしく首を傾げてみせるマッド
 に、サンダウンはますます表情を険しくさせた。しかし、勿論、マッドには効果がない。

 「なんだよ。まさか俺がガキを殺した事が気に入らねぇっていうのか?言っとくけどあのガキは生
  きてたって何の意味もねぇぜ。重度の麻薬中毒で、確かにいつかは元に戻るかもしれねぇけど、
  治療法がねぇ今の段階では、一生あのまんまさ。」 

  虚ろに宙を眺めて、訥々と意味のない言葉を吐いて。
  もしかしたら、その中にも喜びはあったのかもしれないけれども、だがその喜びを得るには彼女
 の悪名高い兄がいて、その兄を喜ばせる為に無数の夥しい血が流れなくてはならない。 
  むろん、賞金稼ぎマッド・ドッグがそんな事を許すはずもない。
  ただ、それでも妹である白痴の少女まで殺さなくても、という意見はあるだろう。だが、マッド
 はそれに対して皮肉たっぷりに首を竦めてみせるだけだ。

 「薬中毒のガキ一人残ってどうなるってんだ。それに、どうせまた誰かに利用されて終わりさ。ガ
  キ一人の為に、また仕事が増えるくらいなら、さっさと殺しておいた方が良い。」

  三人より、二人。二人より、一人。
  犠牲となる命は、少なければ少ないほど、良い。
  少女一人の命で、これから流れる血が止まるのならば、それでいいとマッドは言っているのだ。

 「ま、俺はそれを正当化するつもりはねぇけどな。気に食わねぇならそれはそれでかまやしねぇ。
  尤も、あんたにそれ以上の結論が付けられるかは疑問だがねぇ。」

  一人の少女の命に対して、サンダウンが何からの決着を着ける事が出来るのか。
  マッドの問いに対して、サンダウンは自信を持って頷く事は出来なかった。サンダウンのような
 荒野を彷徨う賞金首に、少女一人とはいえ、その命を背負い込むほどの力はない。
  しかし、サンダウンは別に、マッドの手による少女の処遇について口を出したいわけではなかっ
 た。
  確かに、少女の処遇については些か冷酷すぎるとも思うが、しかし兄が凶悪であり、理由はどう
 あれ自分も薬物中毒になっている以上、あれ以上の処断は出来なかったのではないかと思う。荒野
 において、親類縁者でもない以上、薬物中毒者――しかも兄は密売人だ――を受け入れる者はいな
 いだろう。そして、サンダウンにも少女を受け入れる隙間などありはしない。それはマッドとて同
 じ事だし、そもそもマッドには受け入れる義理すらないだろう。
  だから、サンダウンはマッドの処遇が完全に見当はずれではないと思っている。
  ただ、サンダウンが知りたいのは、マッドが今回の少女とそれを巡る物事、サンダウンも含めて
 の物事について、一体どこまで知っていたのかを知りたいのだ。
  少女が荒野を歩くその目的は、密売人の兄の差し金であると分かっていたのか。
  密売人の兄が、サンダウンに対して復讐を誓っているのだと知っていたのか。
  そもそも少女の兄が密売人であると知っていたのか。
  その兄のうち、七人をサンダウンが撃ち落した事にも、気が付いていたのか。
  サンダウンの過去に。
  いや、そんな事よりも。
  マッドは、今でこそ、皮肉な笑みを湛えている。
  が、サンダウンと少女を見た時――サンダウンが誘拐犯であるという依頼人の言い分を聞いた上
 でサンダウンと少女を見つけた時、本当にあれは疑った表情だったのか。それとも、やはり演技だ
 ったのか。
  依頼人からサンダウンが誘拐犯であると聞いた時、それは真実ではないと思ったという。だが、
 それはサンダウンと少女を見ても、そう思い続けたのか。それとも、サンダウンに向けて口にした
 ように、その瞬間に疑いが芽吹いたのか。
  サンダウンを、僅かなりとも、疑った瞬間があったのか。
  すると、マッドの表情から皮肉な笑みが消え、何か仕方がなさそうな光がその黒い双眸に宿った。
 葉巻を咥えた口元は、微かに弧を描いているものの、笑みというほどではなく、いつでも掻き消え
 てしまいそうな曲線だった。

 「疑うも何も。」

  マッドの表情に、今度こそ明確に困惑が浮かび上がった。
  が、すぐに消えて何かに挑むような眼差しでサンダウンを見つめる。

 「俺達の間に、疑いだのなんだの、そんな湿っぽい話ってあったか?」

  賞金首と賞金稼ぎでしかない間柄に。
  二人の間に流れるのは、乾いた風と銃声と、もしかしたらいつか訪れる流血以外有り得ない。そ
 してそれは、暴力じみているかもしれないが、決して泣きぬれた睫のような湿っぽい感傷はなく、
 一つの物語が終わったという事実しか残さないだろう。
  少なくとも、マッドはそのつもりのようだ。
  おそらく、マッドはサンダウンをサンダウンとしてしか見做さないだろう。これまでそうであっ
 たように、サンダウンの過去には興味も示さないはずだった。もしかしたら、知っているのかもし
 れない。ただ、それはサンダウンという人間の前ではどうでも良い事だと、マッドは解釈している
 のかもしれなかった。
  だから、マッドはサンダウンに対して疑いだの信用だの、そんなふうに揺れ動く概念を抱いてい
 ないのだろう。そういう意味で、先程の台詞を口にしたのではないだろうか。
  そして、それは、サンダウンがマッドに向ける想いも同じだろう。
  サンダウンはマッドに対して、信頼だの疑いだの、そんな感覚は持ち合わせていなかった。その
 はずだ。少なくとも、意識した事はない。マッドはマッドだった。しかもマッドは、いちいち眼を
 凝らしてその形を確かめなくてはならないほど、うすぼんやりとした光しか持ち合わせていないわ
 けではなかった。
  あの、白痴の少女のように、月光と日光の下で被っている仮面が異なっているわけではない。
  何処にいてもマッドはマッドで、闇夜であっても激烈に閃くだろう。
  疑いを挟む余地は、何処にもない。
  そして、マッドが何処まで知っていたのか――少女の事、売人の事、そしてサンダウンの事――
 はどうでも良い事だった。
  結果として、マッドはサンダウンを誘拐犯と見做さずに、結論に辿り着いた。
  そして、最後の一撃を過たずに放ってみせたのだ。
  サンダウンが、過去、一人逃がしてしまった密売人の末弟と、その妹を。