コロラドの州境にある小さな町に、黒い賞金稼ぎはやって来ていた。黒い馬と、その馬の背に一
 人の少女を乗せて。
  黒い賞金稼ぎほどではないが、同じく黒い髪と黒い眼をした少女は、馬に揺られても表情一つ変
 えず、何も見えていない眼を虚空に彷徨わせるだけだった。
  そんな少女には全く興味を見せず、ただ仕事だからというだけで馬に乗せている賞金稼ぎは、軽
 やかな足取りで一件の家の前に立つと、その家のドアをノックした。ささくれ立った粗末な木の扉
 に、賞金稼ぎの手は繊細過ぎたが、当の本人はどうでも良いのか、中にいるであろう家人の言葉も
 待たずにさっさと扉を開けている。
  それは、少しばかりマナーに小うるさい者が見れば、眉を顰めるような行動であっただろうが、
 そんな行動をとっても許されるような雰囲気が、黒い賞金稼ぎにはあった。
  しかし、黒い賞金稼ぎ――マッド・ドッグは自分が稀有な許しの星の下にあるなどとはまるで思
 いもしていないかのような、微かに硬い表情で昼間の逆光を浴びて薄暗い家の中を見回し、家の中
 で一人蹲る男を見つけ、ますます表情を硬くした。




 破軍





 「ほら、約束のもんだ。」

  マッドは硬い声のまま、少女を男の膝の元に突き出した。背中を強く押された少女は、流石によ
 ろめき、家の中にぽつんとある椅子に座る男の足元に膝を折った。尤も、やはり表情は変わらなか
 ったけれど。
  よろめき、自分の足元に転がってきた少女を見下ろした、少女と同じくすんだ黒の髪と眼を持つ
 男は、微かに微笑んだ。ただし、マッドの少女に対する無礼な振る舞いには口を出す。

 「僕の妹に手荒な真似はしないで貰いたいんだが。」
 「うるせぇな。俺の仕事はあんたの攫われた妹を無事に連れ戻して、妹を攫っていうサンダウン・
  キッドを撃ち落す事だろうが。あんたの妹をご丁寧にエスコートする事まで、仕事には含まれて
  ねぇぜ。」

  誰にでも、はっきりと分かる苛立ちを込めたマッドの声に、男は微かに笑い、膝に手を突いた少
 女の黒髪を梳いた。
  その手つきは酷く優しく、確かに少女の兄であると言われれば納得できるものであった。ただ、
 髪を撫でられている少女の顔に、全くの変化はなかったが。

 「妹は、昔はもっとよく笑う子でした。」

  少女の髪を撫でる男は、逆光の中で良く見えないが、その顔に深い皺が刻まれている。だが、そ
 の声と口調から察するにまだ若いのだろう。もしかしたら、マッドよりもずっと年下なのかもしれ
 なかった。
  だからといって、それはマッドには全く関係のない事なのだが。男が語る、少女の成り立ちにつ
 いても、本来ならばマッドにはどうでも良い事だった。
  しかし、マッドは男の言い分に耳を傾ける。

 「ただ……そう、話してはいませんでしたが、僕には兄が七人いたのですよ。」
 「ああ、このガキもそんな事を言ってたな。だが、それならてめぇはどうなるんだ?」

  七人の兄がいると男は言う。少女も自分には七人の兄がいると告げた。そして男は少女の兄であ
 る、と。兄弟の数が、合わないではないか。
  すると、男は逆光の中で首を竦めた。

 「僕は、妹の中では兄ではなかったようです。まあ、妹を除けば一番年下でしたし、それに僕は妹
  が生まれた頃には奉公に出されて、ほとんど会えませんでしたから。妹にとっては、たまに帰っ
  てきてお土産をくれる人にしか思えなかったとしても、おかしくない。」
 「そんなろくに会えもしない状態で、よくそのガキを妹だと思えたな。」

  マッドの無慈悲な言葉に、男は眼を見開いた。まるで、思いもかけなかった事を聞いたと言わん
 ばかりに。

 「何を言うのです。血は水よりも濃いのですよ。会える時間が短くとも、兄弟である事に変わりは
  ない。それに妹は僕の事を覚えていないわけじゃない。」

    尤も、と男は少女を見下ろし、呟く。

 「僕はもっと早く兄弟達のもとに帰るべきだったんです。皆がいる、この、コロラドに。」

  三年前に奉公先からコロラドに戻ってきた男は、今は妹と二人でこの一軒家で暮らしている。こ
 の家には他に人の気配はない。勿論、少女と男が口にしている、七人の兄の姿も、気配も。
  代わりに、マッドは小さな村の隅にある墓地に、妙に寄せ集められた七つの墓を見つけていた。

 「兄は死にました。全員。七人全員が。」

  男が奉公先に出ている間に。妹が一人村の外れで遊んでいる間に。
  七人全員が、見事に額を撃ち抜かれていた。
  その光景を目撃した者が言うには、その時聞こえた銃声は、ほぼ二発に聞こえたという。一発は
 兄弟のうち六人を撃ち落した六つの銃声だろう。もう一発は、弾を再装填した後に、残りの一人を
 撃ち落した銃声だ。

 「彼らを殺したのは、サンダウン・キッド。」

  男は黒い眼に挑むような光を灯して、マッドを見た。
  七人の兄の死体を見つけ、それ以降笑う事がなくなったという少女は、今もやはり笑っていない。

 「僕は貴方に依頼を出した。一つは妹を助ける事。もう一つは賞金首サンダウン・キッドを撃ち落
  す事。そして貴方は此処に来た。つまり、サンダウン・キッドを撃ち落したと考えても良いわけ
  ですよね。」
 「キッドを仕事に含めたのは、そういう理由か。」

  妹を助けるだけではなく、誘拐犯を撃ち落す事も含めていたのは、復讐も兼ねていたからか。い
 や、そもそも。

 「誘拐なんてものも、なかったんじゃねぇのか?」

  妹が誘拐されたなんていう事実は実際は何処にもなく、むしろ男が少女をサンダウンの前に向か
 わせるよう仕向けたのではないのか。サンダウンの前に、少女を置いたのではないのか。
  サンダウンが、少女を放置しておけるような性格ではない事を見越した上で。

 「というか、てめぇの兄貴を殺したのも、本当に、それだけか?なあ、麻薬密売人のてめぇの兄貴
  も、てめぇと同じく麻薬に手を出してたんじゃねぇのか?」

  言うなり、マッドはジャケットのポケットの中から、小さな紙の包みを取り出して、男と少女の
 足元にそれを投げつけた。
  茶色い紙の包みは床に落ちた衝撃で、中身をぶちまけた。そこから出てきたのは青々としたコカ
 の葉だった。

   「村の外れで見つかった。てめぇの妹が良く遊んでたっていう村の外れさ。明らかに誰かに管理さ
  れてるような感じで生えてたぜ。てめぇの妹がそうなったのは、コカを誤って飲み込んで、死に
  かけたかどうかしたからじゃねぇのか。」

  マッドの声は糾弾の熱を帯びていたが、口調自体は冷静そのものだった。しかし、糾弾される側
 にとっては恐ろしいほど緊迫した声音に聞こえたかもしれない。
  そして、それを打ち破ったのは、兄の膝に頭を乗せる少女でも、マッドに糾弾されようとしてい
 る男でもなかった。
  いつの間にか、椅子に座る男の背後にある逆光で出来た闇が大きく蠢き、それが男を包み込むよ
 うに広がった。
  冷静に考えれば、単純に裏口から何者かが忍び込み、気づかれぬように背後に近づいただけなの
 だろうが、しかしそれでも、闇から抜け出してきたように見えたのは、覆い被さる闇の気配が、只
 管に底知れなかったからに他ならない。
  はっとした少女も、流石に今度ばかりは表情を歪めて唇を震わせた。

 「………そうだ、思い出した。お前達は、あの町に麻薬を持ち込んだ、七人の密売人に似ているな。」

  低い低い声が、広がる闇の中から聞こえた。
  それに重ねるように、少女の唇から絹を裂くような悲鳴が上がった。
  しかし、それよりも早く、銃声が。
  最後の密売人兄弟の末弟と、その妹で重度の中毒者の額に、一つずつ、赤い花が咲いた。