マッドは、繊細な指の隙間で葉巻を弄んでいる。
  その顔は、相変わらずどんな場所にいようとも端正であったが、しかし表情は微かに浮かない雰
 囲気が漂っていた。
  それは、この賞金稼ぎにしては珍しい事に、何か物言いたげに口元を震わせていた為、そう感じ
 るのかもしれなかった。
  そして、マッドが何を言いたいのかは、おそらくサンダウンが少女を連れている事についてだろ
 う。だが、サンダウンとしてはマッドが依頼人の言葉を信じるという事のほうが心外であった。
  依頼人というのが何処の誰だかは知らないが、依頼人が妹が攫われたと、そして妹を攫ったのが
 サンダウンであると囁いた時、マッドはそれを信じたと言うのだろうか。サンダウンよりも、今ま
 でなんの接点もなかった男を信じると言うつもりか。
  一方で、マッドが酷く困惑している事も、サンダウンには分かった。
  マッドはサンダウンが少女を攫ったとは信じていないのだろう。ただ、現実にサンダウンの傍に
 は一人の少女がいる。故に、マッドは何処かしら困惑した風情を見せているのだろう。




 武曲





  葉巻を弄びながら、マッドは馬上で小さく溜め息を吐いた。

 「まさか、本当にあんただったなんてな。」

  ぽつりと呟いたマッドは、しばらくの間は手の中にある葉巻と、その葉巻の先にある乾いた地面
 を見つめていた。
  だが、やがて視線を持ち上げて、サンダウンとその隣にいる少女を見比べる。
  サンダウンと少女を見比べるマッドの瞳は、普段と変わらないように見えたが、よくよく見れば
 やはり困惑しているようだった。きつい黒の眼が、僅かに震えているのをサンダウンは見逃さなか
 った。
  サンダウンにしてみれば、マッドの震えはどうしたって心外以外の何物でもない。
  確かにサンダウンのすぐ傍には少女が一人いる。だが、それだけでサンダウン以上に依頼人を信
 じるという理由にはならないはずだった。
  むしろ、今までマッドの姿が見えなかった事について、サンダウンが酷く不安を感じたのだとい
 う事を、そしてそれに少女が関係しているのではないかと考えた事について、マッドは知っておく 
 べきだった。 
  だが、震える黒い眼をしたマッドは、サンダウンのそんな言い分には耳を貸さない気配があった。

 「言っとくけどな、俺はあんたが人攫いをやらかしたなんて、少しも信じてなかったんだぜ。」
 
  マッドの指の間で、葉巻がちりちりとマッドの言葉に呼応するかのように赤い火を見せては消え
 る。見慣れているはずの光景が、何故か風前の灯のように見えたのは、マッドの台詞が過去形と化
 していたからだろうか。

    「てめぇはどうしようもねぇ野郎だが、女子供に手を上げるような奴じゃねぇと思ってたからな。 
  あんたの首に懸った五千ドルが、何をやらかしたもので吊り上げられたものなのかは知らねぇが、
  少なくとも女やガキに関するものじゃねぇと思ってた。」

     だが、とマッドはもう一度溜め息を吐いた。
  首を竦める様は、マッドがするとよく映えるが、今はそれが不吉であった。

    「現実を見せられちゃあな。」

  マッドの黒い眼が、彼の眼よりも遥かに薄くくすんだ黒い少女と、サンダウンを行き来して、口
 元に皮肉な笑みが浮かぶ。その笑みには心底、力がなかった。

    「あれだな。期待と現実はどうしたって反りあわねぇもんなんだな。ガキの頃ならともかく、この齢
  になってそれを痛感するとは思わなかったぜ。」
 
     緩やかに視線を向けられたサンダウンは、思わず答えていた。

 「違う………。」 
 「何がどう違うって言うんだ?」

  マッドの反応は、酷く気だるげだった。指の間で燻らせている葉巻の白い煙と同じくらい、のっ
 ぺりとした緩やかさだった。
  それは、一歩間違えれば、諦観に転がり落ちる危うさを孕んでいた。
  
    「悪いけどな。あんたが何をどう言い訳しようと、あんたの傍に女のガキがいる事は間違いねぇし、
  そのガキが俺に仕事を依頼した男の妹だって事は間違いねぇんだ。何せ、依頼人から聞いた容姿
  とそのガキは、まるっきり一緒だからな。勿論他人の空似って可能性もあるし、それなら救われ
  たんだろうが、何せそのガキの服の裾の刺繍は、特徴がありすぎる。」

     少女の服の裾から見える、金の螺鈿に似た刺繍。
  確かに、幾つもあるようなものではないだろう。
  だが。
  けれどもマッドは、サンダウンの反論を聞く前に首を横に振る。

    「なあ、キッド。あんたがどれだけ否定しようったって、そうはいかねぇ。世間様はこの状況を見
  て誘拐って言うんだぜ。当事者がそう思わなくったって、一見すりゃあ、あんたとガキの間にあ
  る風景は誘拐なんだよ。」

     そして、と突き抜けて黒い影は、まるで紅茶を入れるかのような優雅な仕草で、腰に帯びたバン
 トラインを掲げた。

    「俺はあんたを捕えるよう、仕事を頼まれた。」
 「………本気で言っているのか?」
    「俺は嘘を吐いた事はねぇぜ?特に、あんたには。」
 
     小首を傾げる仕草一つ一つが、相変わらず非常に優雅だった。ただ、酷く困惑の色が強い。マッ
 ドも何かを迷っているのだ。

    「いや……そもそも俺は、あんたを捕まえようだなんて思っちゃいなかった。確かにそれはあんた
    の言うとおりだ。俺はあんたが女子供を誘拐するだなんて思ってなかったからな。俺は、あんた
  の名前を騙るか、あんたに扮した不届き者を捕まえようとしただけさ。」

     だが、現実はあからさまに本人だった。
  しかしマッドは賞金稼ぎだ。そして仕事を断る謂れは何処にもない。ただ、普段の遣り取りに、
 他人との契約という夾雑物が入り込んだだけだ。
  そんな事を、マッドも望んでいたというのだろうか。サンダウンを捕えるという、マッドの矜持
 だけが掛けられた物事に、他人という横槍が入る事を。少なくとも、サンダウンはそんな状況は好
 んでいない。
  尤も、それはサンダウンが口出しできる事ではない。マッドがそれでも良いと言うのなら賞金首
 であるサンダウンは黙るしかないのだ。 
  けれども、マッドもそれを望まないと言うのなら。

 「悪いけど、俺は依頼を反故にするつもりはねぇぜ。」 

     黒光りする銃を掲げたマッドは、サンダウンの希望を打ち砕いた。
  マッドがもしも、サンダウンを他人の為に捕えるつもりがないというのなら、マッドは此処でサ
 ンダウンに背を向けるべきだった。
  けれども悲しいかな、マッドはサンダウンに対して背を向けるという行為は示さない。故にマッ
 ドは、他人からの横槍が入ろうとも、サンダウンに銃を掲げるのだ。
  そして此処で依頼を反故にしないという事は、この先永劫、マッドがサンダウンを撃ち抜くまで、
 この遣り取りには他人が絡まっている。
  それが嫌だと言うのなら。

 「さっさと、これで終わりにしようぜ。」