コロラドとは赤味を帯びている事を意味する言葉だ。
  赤味を帯びているのはカリフォルニア州をも貫くコロラド川であり、その川が山岳部か運んでく
 る泥である。
  カリフォルニアのゴールド・ラッシュに隠されて良く知られていないが、コロラドも実は金が見
 つかり小さなゴールド・ラッシュが起きた土地だ。
  もっとも、金が見つかったのはコロラド川ではなく、サウス・プラット川であったが。




  巨門





  表情のない少女を馬に乗せ、サンダウンは夜明け間際の荒野をひた走った。
  コロラドは遠い。馬を丸一日駆けさせたとしても、三日はかかるだろう。馬をそんなずっと走ら
 せるわけにもいかないから、結局は一週間は確実にかかるわけだ。途中何が起きるか分からない
 から、もっとかかるかもしれない。
  しかし、少女はそんな距離を理解していないのか、相変わらず惚けたような何も見ていない眼差
 しのまま馬に揺さぶられている。変わらない少女の中で、風にたなびく長い黒髪だけが、変化を示
 している。
  赤い土、即ちコロラドに兄がいるのだと言う少女は、しかしその顔の変化の乏しさ故に、どう考
 えてもコロラド州との距離を知っているようには見えなかった。
  そもそも、少女が何故こんな場所にいるのか、全く状況が見えてこない。
  兄を捜す為にコロラドに一人無謀にも向かおうとして、こんな所にいたとでもいうのだろうか。
 だが、それならば親は。親は止めなかったのだろうか。それとも少女が一人此処まで出てきた事に
 気づいていないとでもいうのだろうか。そんな馬鹿な。娘が消えて騒がぬ親などいない。普通なら
 ば今頃捜索隊なりなんなりが結成され、荒野は騒がしくなっているはずだった。だが、その気配は
 何処にもない。荒野は只管に静かであった。
  となると、想像出来るのは、あまり愉快ではない現実だけだ。
  捨てられたか、売られたか。
  親が普通に荒野に置き去りにしたのか、それとも売り飛ばされた先から逃げ出したのか。
  荒野に住まう者達の中で、豊かであるのはほんの一握りだ。金の鉱脈を見つけたその土地の地主
 と、その周囲に出来た町を治める長と、その長によって任命された保安官と、そして町の周りをう
 ろつくならず者共を撃ち落していく賞金稼ぎと。
  それ以外の人間は、概ね貧しいのが常だ。中には、子供を育てられぬほどに逼迫している家庭も
 ある。
  切迫した状況の家族が、どうやって事態を切り抜けるかと言えば、子供の数を減らすのだ。過去
 は本当に山や荒野のど真ん中に子供を置き去りにしてしまったり、最悪の場合は殺す事もあったら
 しい。
  だが、近年では口減らしの方法も変わってきている。
  捨ててしまえば何も手元に残らないが、売り払えば幾許かの金が手に入る。それに、じりじりと
 国家が発達するこの時期、人手が足らぬところは本当に足りない。特に、南北戦争が終わり、奴隷
 たるものが名目上は消え失せてしまった今、それに代わる労働力が求められていた。
  需要と供給が一致したのだ、と言えばそれまでだった。
  安い労働力が欲しい会社は子供を買い取り、生活に困窮した親は子供を売り払う。奉公という名
 目で、子供を売り払う事は、決して少ない事ではなかった。
  例え人身売買を禁じたところで、それを求める人間がいる以上、法律の網目を掻い潜る方法は無
 数に編み出されるのだ。
  この少女も、そういう子供の一人なのかもしれない。
  サンダウンは無感情な少女の黒い髪を見て、そう考えた。
  逼迫した家計を助ける為に、二束三文で売り払われたのかもしれない。特に少女には白痴の気が
 あるように見えた。生活に困窮しているのならば、そんな少女を役立たずと見做し、売り払う事に
 なんら抵抗もなかったのかもしれない。
  一体、どんな場所に売り払われたのかは知らないが。
  正直なところ、反応の薄い、些か知恵の遅れた気配のする少女が勤め上げられる仕事というのは、
 そうそうないだろうという気がした。差別だ偏見だと言われるかもしれないが、それは純然たる事
 実であり、誤魔化す事の出来ない物事の一つであった。
  では、厄介払いのように追い払われたであろう少女は一体何処に売り払われたのか。
  売春宿にでも売られたのか。
  それは一番有り得そうな話であった。
  知恵の足りぬ少女であっても、客を取るくらいの事は、きっとできただろう。普通の娼婦のよう
 に気を配る事は出来なくとも、あくどい売春宿ならば払われた金の上前を撥ねやすいという事で、
 いっそ積極的にそう言った少女を集めている可能性もあった。
  むろん、それは違法であったし、人権を声高に叫ぶ集団に一言何か告げれば、圧倒的に解決を図
 れるかもしれなかった。
  だが、サンダウンは今やそれを出来る立場にはない。
  自ら人権を投げ捨てたサンダウンに、少女の状況を推理し、そして嗅ぎ取れた少女の悲惨さを改
 善できる力はないのだ。そしてそれをする義理もない。 
  ただ、浅ましくも腹の底で銀の星を捜し惑うちっぽけなサンダウンが、少女の手の中に銀の星が
 あるのではないかと期待して、その手を取っただけの話だった。しかも、手を取ったところで銀の
 星が握りこまれているという確証は何処にもなく、サンダウンには銀の星を手に入れるだけの恩を
 少女に与える事は出来ないだろう。
  サンダウンが辛うじて出来る事は、少女の本当かどうかも分からぬ言葉に従って、少女の言う兄
 がいるというコロラドへ向かう事だけだった。
  そう。
  少女の兄というのが、一体何者なのか、それ以上に本当に存在しているのかどうかも疑わしいの
 だ。
  子供には良くある事で、ありもしない存在を想像し、それをあたかも本当に存在しているかのよ
 うに振る舞っている可能性もあるのだ。まして少女は精神年齢が低いように見える。ならば、未だ
 に少女の閉じた視線は、実は空想の世界で羽ばたいていてもおかしくないのではないだろう。
  そこに、少女の悲惨な境遇も相まって、赤い土という何処かで聞いた単語と自分の理想の庇護者
 である兄を想像して、そちら側に逃げ込でいるのだとしてもおかしくはないのではないか。
  サンダウンは、そう思っている。
  きっと、少女の兄は、コロラドになんかいたりしない。
  いや、それどころか、この世の何処にもいないのではないだろうか。
  サンダウンは、そう結論付けかけていた。
  時間をかけて、少女をコロラドに連れて行く事は、全くの無意味な事であり、時間の無駄でさえ
 ある、と。
  しかし、そう思っているにも関わらず、サンダウンが少女を馬に乗せ、少女の言う兄とやらの元
 に少女を連れていく為にコロラドに向かうのは、サンダウンが時間を持て余しているからだとか、
 それだけの理由ではない。

 「私の、兄、は、私と同じ髪の色をしているの。」

    腰まで届く長い髪を、風に嬲らせるがままに空に散らした少女は、茫洋とした声でサンダウンに
 言った。乱れた髪が少女の頬を打って、視界を隠しても、少女は一向に気にせずに、星が瞬くよう
 に囁く。

    「私と、同じ髪の色をして。」

  風に嬲られている黒い髪が、少女の眼を打ち、しかし瞬きさえしない少女の視界は、次の瞬間、
 別方向に向かった風によって大きく開かされる。そこから覗くのは円らな、ただし何一つ見ていな
 い硝子の塊のような黒い眼だった。

   「私と、同じ、黒い眼。」

    何もかもを逆さまに見ているのではないかと疑うほど透明な黒い眼をサンダウンに向けるが、そ
 れはやはり何も見ていない。
  磨かれた珊瑚の唇が、黒い髪糸を咥えるも、それは何も味わっていないように動く。

   「白い顔、赤い唇。」

    そしてそして。
  少女の細い指が、滑らかに蠢いた。

 「白くて、長くて、細い、指。」

    何かを押すように、しかし押しているというよりもなぞっているように見える。その、仕草。サ
 ンダウンは、何処かで確かに見た事がある。
  指の形は少しずつ違っているけれども、だが、それを本当に間近で見たのは、本当につい最近の
 事だ。その時の指は、少女と同じくらい、いやそれよりも、もっと繊細な形をしていた。