Whisky Mist




  酒を一緒に飲むのは相変わらず変わらない。ただ、それに妙に性的なものが付随してついてくる
 ようになってしまった。
  サンダウンの手によって射精を促されたマッドは、しばらくの間、くたりとしてベッドに沈みこ
 んでいた。そんなマッドの髪をふわふわと撫でてから、サンダウンはテーブルの上に出しっぱなし
 にしていた酒瓶の元に戻っていく。先程までのねっとりとした空気は何処へやら、再び酒盛りを始
 めるつもりのようだ。
  グリーンのボトルを傾けて、琥珀色の液体をグラスに注いでふと手を止める。ベッドに沈みこん
 だままのマッドに視線を向けて、低く問うた。

 「……お前も飲むか?」
 「……もう、ぬるくなってんじゃねぇのか、それ?」

  マッドとしては、出来れば冷たいほうが良い。
  そう思って呟くと、サンダウンはひたりとグラスに手を当て、まだ冷たい、と答えた。そして、
 もう一つのグラスにアルコールを満たし、マッドの元に持って行く。
  ベッドの上にうつ伏せに転がったマッドはそのままの状態で手だけを動かし、サンダウンの手か
 らグラスを受け取る。その際に、ちらりとサンダウンの顔を見上げるが、サンダウンの顔は先程の
 行為を思わせないくらい、至って普段通りだった。
  サンダウンにとっては、何でもない事なのかもしれない。   実際、男同士でという事も、多いわけではないが少ないわけでもない。いない女の代わりに、と
 いう話は、この、未だに人の手が入らない荒野では珍しい話でもないからだ。マッド自身、その細
 身で優男風の体躯が災いして、何度か無理やりそういう眼に逢いそうになった事がある。
  だが、実際に、此処までされたのはサンダウンが初めてだ。女に困った事のないマッドは、自分
 で処理する事もそれほど多くない。だからといって、他の男の手で処理された事を、騒ぐのもどう
 かと思う。
  大体、ただの処理だ。強姦されたとかではない。あくまでも処理だけしかサンダウンはしていな
 い。それだけならば、男同士で身体を重ねるよりも、格段に発生率は高いだろう。ティーンで性に
 興味のある頃ならば、男同士でそういう事をする事だってあるだろう。
  だから、マッドは別段騒ぐでもなく、この酒宴に付随するようにやってきた行為を、黙って受け
 止めているのだ。特別な事ではないと言い聞かせて。
  勿論、本気で嫌なら何が何でも抵抗すれば良いのだ。サンダウンの『怖いのか』という問い掛け
 も無視して、その頬を引っ叩いてやればいい。それをしないのは、単にマッドが、その行為自体に
 戸惑いつつも、決して嫌ではないからだ。
  からかわれているのかもしれない、という不安はあるが、けれどもサンダウンはそうではないと
 言うし、それにからかわれているのだとしても、いつもすかした顔をしているサンダウンが、マッ
 ドに対しては些か子供じみているとも言える行為をするのは、常々サンダウンに自分の存在を認め
 られようとしていたマッドにとっては気分の良いものだった。
  けれども、とチーズを薄く切っているサンダウンの手を見ながら思う。
  サンダウンは一体何のつもりで自分に触れてくるのか、と。
  先程も言ったように、男同士で、と言うのは多くはないが少なくもない。しかし、そういった事
 態に陥る男は、基本的に女の困窮している場合がほとんどだ。女に困らない男――例えばマッドの
 ような――は、男同士でなど普通は考えない。
  ならば、サンダウンは女に困っているのだろうか。
  そうは思えない。
  サンダウンは5000ドルという破格の金額の賞金首だ。放浪者であるが故に、そう簡単に女を手に
 入れる事は出来る立場にはないかもしれない。
  だが、別に、女にもてないわけではないだろう。手入れこそしていないものの、見てくれはそれ
 なりに良いし、銃の腕は腹立たしい事に西部一ときている。それに5000ドルの賞金首というステー
 タスに惹かれる女だっているだろう。
  そう考えれば、サンダウンがよりにもよってマッドを使って処理をしようなんていう事は考えな
 いと思うのだ。マッドとの酒盛りの後にでも、女を抱きに行けば良い。だが、サンダウンはそれを
 しない。
  となると、やはりマッドをからかって楽しんでいるのだろうか。男同士での処理に慣れないマッ
 ドを見て、楽しんでいるのか。
  だが。
  マッドは先日の酒宴の時の事を思い出して、眉を顰める。
  あいつ、俺の、咥えたぞ。
  からかうという名目だけで、男のそれを咥えるなんて事、出来るものだろうか。少なくとも、マ
 ッドには出来ない。サンダウンがマッドを咥えた時も、マッドにはサンダウンを咥える事は出来な
 かった。何故サンダウンは、それが平然と出来るのか。しかもその後も平然と酒を飲み始めたし。
  となると考えられる事は一つしかない。
  あの男には、もともとそういう性癖があるという事だ。
  別に、それは構わない。性癖など人それぞれだ。同性愛など、性癖としてはまだ多いほうだろう。
 マッドは、もっと変な性癖を持っている人間を大勢知っている。捕まえた賞金首の中には、その性
 癖故に捕まえざるを得なかったものもいる。そう考えれば、サンダウンが同性愛者である事など、
 大した事ではない。
  しかし、だ。
  此処アメリカ西部の荒野では、まだ同性愛に対する規制は緩い。偏見はあるものの、女の数が少
 ないという事実により、それほど問題視されていない。
  だが、イギリスやフランスなどに比べると、肩身が狭いのは間違いないだろう。ヨーロッパは上
 流社会文化であるから、他人の嗜好には口を出さないという暗黙の了解があったし、上流社会でこ
 そ同性愛は多かったという事実がある為、まだ住みやすい。
  けれどもアメリカは大衆文化だ。いや、文化というもの事態が、まだ芽生えていない。そしてそ
 の文化の発端となるのは、紛れもなくアメリカに最初に移住してきたプロテスタント達の教えにな
 る。プロテスタントはカトリックよりも厳格だ。西部ではまだ、さほど大きな顔をしていないもの
 の、けれどもいつかはその教えは侵食していく。その時、同性愛は徹底的に排斥されるだろう。
  それは、明日明後日の話ではないだろうが、しかしそんな話の中にサンダウンが巻き込まれてい
 るとは思わなかった。
  サンダウンの事が心配なのではない。
  ただ、そんなものに翻弄されるのが嫌なのだ。
  横目で見たサンダウンは、相変わらず飄々としている。自分の周りで起きている出来事など、ど
 うでも良いと言わんばかりに。




  サンダウンの事など心配ではないと言いつつも、サンダウンがゲイなのではないかという疑いが
 持ち上がった今、マッドは鬱々とそれについてばかり考えている。
  マッド自身は、同性愛だのなんだのに偏見は無い。それこそ他人の性癖に口を出すなど、野暮な
 事だと思っている。
  けれども、この世にいる皆が皆そういう考えではない。
  サンダウンが、アメリカの人間でなければ良かったのだ。イギリスとかフランスとか、せめてヨ
 ーロッパからの移民であったなら、話はもう少し楽だったのかもしれない。
  だが、どうやらサンダウンは生粋のアメリカ人ようだ。だから、いざとなった時に逃げる場所な
 ど何処にもないのだろう。今だって、この荒野を逃げ回っている。

 「お前、どう思った?」

  マッドは仕方なく、久しぶりに賞金稼ぎ仲間で飲みに言った時に、そういう嗜好のある男にそれ
 となく尋ねてみた。
  男を性欲の対象として見る事について。
  今はパートナーである賞金稼ぎと仲良くやっているその男は、唐突のマッドの質問に眼をぱちく
 りさせた。そして、それってマッドの事?と困ったように聞いてきたのだ。

 「違う。でも、俺の知り合いにそうじゃないかと思う奴がいる。」
 「それって、俺らの仲間?」
 「………。」

  マッドはそれについては沈黙を保った。わざわざ必要以上に情報を与えるつもりはなかった。そ
 んなマッドの考えに、彼も気付いたらしい。それ以上は詮索する事なく、マッドの質問に答えた。

 「最初は罪深い、と思ったけど、こんな時代じゃね。宗教的な意味合いでの罪の意識ってのは薄れ
  るよ。ただ、そうだね。周りの人間にはそう簡単には言えなかったね。」

  恐ろしくて。

 「だってそうだろう?いくら荒野で日常的に行われている事であっても、そういうのを異常なまで
  に嫌悪する連中だっている。此処にいる連中に、そんな狂信的な奴はいないけど、でも何処にい
  るとも限らない。」

  自分だけではなく、パートナーだって傷つく恐れがあるのだ。むしろ、それが一番恐ろしい。

 「だから、肝心なのは沈黙する事さ。親しい人間以外には、沈黙して、絶対にばれないようにする。」

    それが、身を守る唯一の方法だと彼は言った。
  その言葉にマッドはゆっくりと頷いた。