Midnight Sun




  サンダウンにつれられて、そのまま一軒の安宿の中に入ってしまった。サンダウンがこの宿をも
 ともと今夜の夜露を凌ぐ場と考えていたのかどうかは、マッドには分からない。ただ、鷹揚な仕草
 で荷物を床に置いたところを見ると、サンダウンはこの部屋でくつろぐつもりのようだ。
  一方、連れてこられたマッドはと言えば、何をするでもなくその場に立ち尽くすだけだった。
  安宿が気に入らなかったわけではない。マッドとて、こういった場末の店に入る事はある。ただ、
 男と一緒に入る事は、まずない。まして、賞金首などと。
  それはサンダウンだって同じだろう。賞金稼ぎと一緒に宿に入る事など、普通は有り得ない。
  だが、サンダウンはそんな事、一向に気にしていないようだ。これまでだって、確かにマッドが
 周りをうろちょろとしている事について、何らかの咎めを口にした事はなかったし、身構える事も
 なかった。けれど、一つの部屋に一緒にいる事にさえ何も言わないというのは、どういう事なのだ
 ろう。
  侮られているのか、それとも信頼しているのか。
  サンダウンの横顔から推し量ろうとするマッドを余所に、サンダウンは淡々と荷物袋の中から酒
 瓶を取り出している。飲み足りない顔をしているマッドに言ったように、この安宿で飲み直しをす
 るつもりのようだ。マッドと一緒に。
  何を考えているのか。けれども、やはりその横顔からは何も測り取れない。
  仕方なく、マッドはサンダウンから眼を逸らし、サンダウンがテーブルの上に並べ立てている酒
 瓶に視線を映した。
  グリーンのボトルは、たった今サンダウンが買ってきた物だ。ほとんど閉店間際の店を抉じ開け
 るようにして買ってきたそれは、マッドがいつもサンダウンの安酒と交換するように飲んでいる酒
 と遜色ないほど良い酒だった。それをサンダウンがわざわざ買った理由は、どう考えても此処で飲
 む為なのだろうが。その原因の一端が、マッドにあるような気がしてマッドはどうにも反応できな
 い。いつものように軽口を叩いて、自分の為に買ったのだろうと笑みを口元に刷くには、これまで
 サンダウンに奢って貰ったという事実と、サンダウンが賞金首であるという事実が相まって、なか
 なか出来そうにない。
  せめて、サンダウンが何処かに隙を見せてくれたら、マッドもそこに乗っかって騒ぐ事も出来た。
 が、マッドに酒を奢るサンダウンには何処にも隙がなくて、マッドはぐうの音も出ないのだ。

 「……どうした?」

  サンダウンがふと顔を上げ、部屋の入口に突っ立っているマッドを不思議そうに見る。

 「……随分と大人しいな。」

  もしかしたら、賞金首に招かれて同室にいる事について、怯えていると思われたのかもしれない。
 サンダウンに限って、そんな事は思わないだろうとは思うが。
  しかし、子供扱いはされているかもしれない。そう思って口を尖らせると、サンダウンは不思議
 そうにマッドを見て、ややしてから微かに笑んだ。

 「飲み足りないんだろう?」
 「ああ、そうだよ。誰かさんがさっさと席立っちまうからな。」

  本当はマッドの飲むペースが普段よりも遅かっただけなのだが。

 「……ああいう場所は苦手か?」
 「あ?」
 「ああいう、小さな酒場は、苦手か、と聞いている。」

  思いもかけぬサンダウンからの質問に、マッドは一瞬絶句したが、すぐに舌を動かした。

 「苦手じゃねぇよ。俺だって、偶にはああいう店に行く。」

    いつだって、賑やかな、ちやほやしてくれる場所にばかり行くわけではない。マッドとて、一人
 で飲みたい時くらい、ある。流石にサンダウンにそんな事まで主張したりはしなかったが。
  サンダウンが用意した酒を自前のカップに注ぎ、琥珀色の表面を覗きこむ。つん、と鼻にアルコ
 ールの匂いが漂ってきた。何処か甘味を帯びたその匂いに、いつもサンダウンが買っている安酒で
 はない事が改めて分かる。
  口に含めば、喉まで広がる芳香に、やはりいつもの安酒とは比べ物にならないものである事が一
 目瞭然だ。吐いた息にまで甘さが染み込んでいるようだ。それを一息に飲みこんで、マッドは嘆息
 した。そして、同じように杯を空けているサンダウンをちらりと見る。

 「あんたさ、それなりに金、持ってんだろ。」

  口の中に広がる甘さを舌で転がしながら、マッドはサンダウンに問うた。金は大丈夫なのか、と
 問うのは失礼だった。だから、こんな聞き方になったのだが。
  しかし、サンダウンは首を竦めただけだった。

 「金持ってんならよ、こういう酒もちゃんと飲めよ。あんな水っぽいかアルコールだけしかないよ
  うなのばっか飲んでると、舌が馬鹿になるぜ。」
 「……そうだな。」

  答えた声は低かったが、微かに笑いを含んでいた。嘲りなどではなく、ただの笑いだ。それでも
 マッドはむっとする。
  マッドの表情は、サンダウンに比べると分かりやすい。だから、サンダウンもすぐにマッドの気
 分を害した事に気付いたのだろう。微かな笑みは消さずに、手酌で自分の杯を満たしながら呟く。

   「……酒の味をとやかく言う奴など、いなかったから。」
 「いるに決まってんだろ。貧乏なカウボーイだって、出された酒が不味けりゃ文句言うぜ。」
 「そうではない。」

  呟いて、また杯を空ける。そして、青い眼でマッドを見た。

 「お前が、煩いから。」
 「何がだよ。」
 「……お前だけだ。私に、飲む酒の事をとやかく言ってくるのは。」
 「あん?じゃあ、こんなふうに高めの酒を買ってんのは俺の所為だって言いてぇのか?」
 「基本的には。」
 「んだと?」

    確かにサンダウンに、自分ばっかり良い酒を奢っていると、それに近い発言はした。だが、そん
 なもの、弾いてしまえば良いだけの事だろう。違うのか。

 「……怒るな。」

  サンダウンの指がカップから離れて、マッドの頬に触れる。
  マッドが眼を見開くよりも先に、サンダウンの手が頬を滑り落ちて顎を捕まえる。

 「私は、それを迷惑だとは思っていない。」
 「へっ、そうかよ。」

  捕まえられた顎をどうすれば良いのか分からず、マッドは殊更普段通りの声を出した。
  その声に、サンダウンはもう一度微かな笑みを浮かべると、すぐに指を離す。

 「……どうせ、私一人ではこの酒は飲みきれない。お前が飲んでしまえ。」
 「随分と気弱な発言じゃねぇか。んな事言ってると、本当に俺一人で飲んじまうぜ?」
 「……好きにしろ。」

  サンダウンは言葉通り、別に怒っているわけではないらしい。むしろ、もしかしたら機嫌が良い
 くらいなのかもしれない。
  その事に何故か安堵しつつ、マッドは勧められるがままに杯を重ねた。




  結局、ほとんど一人でボトルを空けたようなものだ。
  マッドはテーブルに頬を付けて、透明なボトルを眺める。その中には今や何色の液体も入ってい
 ない。その瓶を手早く片付けているサンダウンの胃の中にも、確かにアルコールは入っているだろ
 うが、マッドのほうがその量は格段に多い。
  その事に憮然としていると、サンダウンがマッドのすぐ傍で見下ろしてきた。

    「……此処にお前も泊まるんだろう?」
 「はぁ……?」

  何で、と口にしたかったが、酔いの回った身体ではそれも億劫だった。けれども動けぬほど酔っ
 ているわけでもない。普通に歩いて、別の宿に行く事だって出来なくはないだろう。
  だが、このままとろとろと眠りたいのも、また事実。

 「泊まっていけ。」

  サンダウンの手がマッドの腕を掴んで、マッドの身体を引き起こした。くたりとサンダウンに凭
 れかかる暇もなく、すぐ傍のベッドに沈没する。
  そんなマッドの髪を、まるで犬の耳を擽るように、サンダウンは撫でた。