Glad Eye




 「なに、しけた顔してんだよ。」

  砂塵の舞う夜の町で見慣れたポンチョ姿を見つけたマッドは、すぐにその後を追いかけ肩を並べ
 る。一瞬、飛び付いてやろうかとも考えたが、夜とはいえ人目もあるので止めた。代わりに、その
 茶色いポンチョを引っ張る。
  夜の闇を歩くサンダウンは、その中に溶け込みそうなほど沈黙を保っている。放っておいたら、
 本当にそのままいなくなってしまうんじゃないかと思うほどだ。だから、マッドはしつこくポンチ
 ョの裾を引っ張った。
  そうしているうちに、ようやくサンダウンが青い眼をマッドのほうに向け、マッドは何故だか安
 堵する。

 「せっかくの夜の町なんだぜ?」

  ピーコック・ブルーに染まった街並みには、あちこちに明るいオレンジ色が輪を投げかけている。
 そこから聞こえるさざめきは、人の笑い声や話し声、グラスや食器の触れあう音で、一つ一つが長
 らく荒野を放浪していた身には魅力的に聞こえるはずだ。
  明かりの中で誘うように踊る女達の白い指だって、荒野のど真ん中ではお目に描かれるわけがな
 い。今、此処でしか見る事の出来ないものというのは、たくさんあるのだ。
  なのに、マッドがポンチョの裾を掴んでいる男は、それらに見向きもしない。放浪生活に必要な
 ものだけを手にして、町を離れようとしている。

 「ちょっとは楽しもうとか、思わねぇのかよ。」

  買い物にしたって、必要最低限の物を買って終わりだなんて、つまらないだろう。今は夜だから、
 昼間の市場のように行商人が広場で物珍しい商品を広げているなんて事はないけれど、それでも一
 歩別の裏道に脚を踏み入れたなら、少し妖しい商品だって見つけられる。
  なのに、サンダウンの足取りときたら、町の外へと一直線なのだ。もしかしたらもう食事だって
 済ませた後なのかもしれないが、酒場にだって目もくれない。
  酒場からは、笑い声と女の低い甘い声とアルコールの、西部の男なら誰だって食指を動かしそう
 なものが揃っているのに。

 「あんた、こういう時くらい、良い酒飲めよ。」

  むんず、とポンチョの裾を引っ張り、マッドは言った。
  サンダウンが飲むのは、いつだってアルコールが強すぎて消毒薬なんじゃないかと勘違いするか、
 もしくはアルコールが薄過ぎて水なんじゃないかと思うような、安物の酒ばかりだ。
  マッドがサンダウンの回りをちょろちょろするようになってからは、マッドの持っている酒をサ
 ンダウンも口にするようになったから、そこそこ良い酒も飲めているのだろうけれど、マッドがサ
 ンダウンの前で酒盛りを始めるまでは、ずっとあんな不味い酒を飲んでいたのだろう。そう考える
 と、自分の事でもないのに背筋が寒くなってくる。
  大体、サンダウンが手にしている本日供給したと思われる生活必需品を盗み見ても、いつもの安
 酒の瓶しか見当たらない。
  お尋ね者なのだから、贅沢など出来ないのかもしれないが、だからってそれはないだろう。それ
 とも、マッドが持ってくる酒を期待して、敢えて安酒しか買っていないのか。だとしたらサンダウ
 ンは少なくともマッドの来訪を疎んじていない事になる。だが、それを喜ぶべきなのか、マッドに
 は測りかねた。

 「なあ、キッド。俺ばっかりあんたに良い酒を奢ってんだぜ?今日、それに対する礼をしてくれた
  って良いんじゃねぇか?」

  酒場の横を何の躊躇いもなく通り過ぎようとするサンダウンに、マッドはそう言った。ちょっと
 だけ上目遣いになって。
  勿論、マッドのこの台詞は、あまりにもマッドに都合の良すぎる言葉だった。マッドがサンダウン
 の野営の回りをうろちょろし、酒を飲んで、その酒をサンダウンに恵んでいるのは、マッドが好き好
 んでしている事だ。サンダウンがマッドに酒を恵んでくれなんて言った事は、一度もない。マッドが
 サンダウンの安酒を勝手に飲む事も、マッドが勝手にやっている事だ。
  しかし、マッドから一方的に、酒を恵んで貰っている憐れなおっさんというレッテルを貼られた
 サンダウンは、その言葉に反論するでもなく、代わりに酒場の前を通り過ぎようとしていた足を止
 めた。青い眼は無言でマッドを見て、それから視線を明るい光が零れ出ているウエスタン・ドアへ
 と転じる。
  そして、むっつりとした表情と足取りで、さっきまで見向きもしなかった酒場へと歩を進め始め
 た。
  それを見たマッドは、あまりにもあっさりとサンダウンが方向転換したので、一瞬呆けてしまっ
 た。が、放っておけば一人で酒場の中に入っていきそうなサンダウンの後を、慌てて追いかける。
  追い掛けながら、一体サンダウンはどうしたというのだろう、と頭の片隅で考えた。
  よもや、あのサンダウンがマッドの言う事を額面通りに受け止めたとは思えなかった。確かに、
 うろちょろするマッドを排斥するでもなく、野営の周りにいて酒を掠め取っていく事も許している
 とはいえ、まさか先程のマッドの台詞に納得するとは思えない。
  ただ、マッドの台詞に触発された、という事は考えられる。流石のサンダウンとて、町にいる時
 くらいは良い酒を補給しても良いかもしれないと考えてもおかしくはない。だから、マッドが後を
 ついてくる事などどうでも良いと思っているのかもしれないが。
  だが、サンダウンは酒場では、カウンターではなく、わざわざ二人掛けのテーブルを選んで座っ
 た。勿論、それは偶々かもしれないが、マッドの眼にはマッドの存在を覚えているように見えたの
 も事実。それに、席に着いたサンダウンの前に、マッドが座ってもサンダウンは特に何も言わなか
 った。
  適当に、はっきりと名前のある酒を頼むサンダウンは、自分の存在が周囲にばれるかどうかなど
 特に心配していないようだった。久しぶりの、名も無き安酒ではなく、味のあるしっかりとしたア
 ルコールを前に、そんな心配を忘れているというわけでもないだろうが。
  代わりにマッドが周囲に注意を向ければ、誰も二人の事に気が付いていないようなので、ほっと
 する。先に酒の事を言い出しておいて、今更安堵するなんて、と思うが、しかしサンダウンがあま
 りにも自然体過ぎて、マッドが不安になってくる。いつかこの男は、自分が賞金首である事を忘れ
 て、賞金稼ぎの真っただ中に突っ込むなんて事をするんじゃないかと思って。

 「あんたはこの俺が捕まえるんだからな。」

  ちびちびとウィスキー・グラスを傾けながら、何の脈絡もなくそう告げれば、サンダウンは怪訝
 な顔をするでもなく、そうか、と頷いた。その表情には何も浮かんでいない。久しぶりに飲むであ
 ろう良い酒を楽しんでいるという風情でもない。ただ、淡々とアルコールを消費していくだけだ。
  その様子を見て、マッドは口を尖らせた。

 「あんたさ、ちょっとは楽しそうに飲めよ。」

  全く以て、マッドが口出しすべき事ではなかった。そもそも、マッドはこの場にいなくても良い
 人間だ。サンダウンが楽しそうでない事に口を挟むくらいなら、サンダウンの前から消えれば良い
 だけだ。
  サンダウンもそう思っているのか、特に何も言わずにグラスを傾けていく。幸いにして、気分を
 害した様子はないが。だが、黙々と杯を重ねるだけの男の姿は、酒を楽しんでいるようにも見えな
 い。その様子に、マッドはなんだか居心地が悪くなってきた。サンダウンと一緒にいる事が、では
 ない。サンダウンに何か無理をさせてしまっているような事が、だ。
  しばらくの間グラスを重ねてから、どちらが言うでもなく席を立つ。どうも、賑やかし過ぎる所
 為で、居心地が悪い。そんなふうに思う事があるなんて、とマッドは自分が奇妙な存在に感じられ
 た。いつもなら、マッド自身はこういう空気は平気で、むしろ好んで騒ぎの中心に向かうのだが、
 サンダウンが傍にいるとこの空気自体が受け付けない。けれども、サンダウンの所為だと口を尖ら
 せるのは、自分が酒場に引き込んだ手前、少し憚られた。
  マッドがサンダウンを揶揄する事を躊躇ったのは、それだけの所為ではない。
  席を立ったサンダウンは、当然のように代金を支払ったのだ。マッドの分も含めて。堪能したと
 は言えないが、それなりの酒をそれなりに飲んだ。高くはないものの決して安くもない。まして、
 放浪する人間の中には、大金という者もいるかもしれない。

 「おい……!」

  確かに、ああは言ったものの、別にサンダウンに奢って貰おうだなんてマッドは考えもしていな
 かった。けれどもサンダウンは何の疑いも無く、代金を支払ってしまう。マッドが声を上げても、
 ちらりとマッドを見ただけで、カウンターに代金を置くとそのまま背を向けてしまう。
  何枚かの紙幣を見てから、マッドは弾かれたようにサンダウンを追いかける。
  一人でさっさと行ってしまったサンダウンは、すでに酒場の外に出てしまっている。その背に、
 マッドは声をぶつけた。

 「おい、キッド!」

  待てよ、と言うまでもなく、サンダウンは足を止めている。その眼には、何の光も浮かんでいな
 い。普段と同じだ。

 「良いのかよ……。」
 「何がだ。」

    本当に、何の疑念も持っていない声だ。同時に、これ以上の問い掛けを閉ざす声でもある。その
 声を前に、マッドは言葉に詰まる。

 「……なんでもねぇ。」

     それだけしか言えず、しかしそれでも身体の中に蟠った言いようのない罪悪感を消す為に、マッ
 ドは自分が持っていたウィスキーの瓶と、サンダウンが持っていた安酒の瓶を取り替えた。