Side.Ak

 絶叫に近い嗚咽が迸る。
 普段から、喧嘩の仲裁や悪戯を叱る声は大きく、あたりに響き渡った。その身体の一体何処からそ
んな声が出るのかと、いつも不思議に思っていた。
 いつもと同じくらいの強大な声は、しかしいつもはない、聞いたこともない物悲しいに満ち溢れて
いた。
 物悲しい?
 いや、そんな生易しいものじゃない。
 もしも声に色を付けることができたなら、その声は血の色をしていただろう。
 いつものように甲高い金切り声じゃない。
 声が枯れ果てた後の、ガラガラと鳴り響く地割れのような音と、その後ろ側にある金属音よりも固
い音。
 美しくはない、ただひたすらに、行く宛のない悲しみばかりが響き渡る。
 女が男のすることに口出しするなと一喝され、声を上げることを封じられ、そうして結局どうしよ
うもない事態に陥ってようやく口出しが許された。だが、その時は既に遅い。何も止めることはでき
ず、何かを救うことも出来ず、ただ最後、突きつけられた現実を喉元に食い込まされ。
 そうなれば、もはや悲鳴しか上げることはできない。

 どうして。

 絶叫は、確かにそう言っていた。
 聞き取れないほどに苦しい声は、疑問だけしか意味を成す言葉を形作れない。
 どうして、の後に続く言葉は一体なんだったのか。
 どうして口を出すなと言ったのか、どうして何も教えてくれなかったのか、どうしてこんなことを
したのか、どうしてどうして。

 どうして、死んでしまうのか。
 置いていってしまうのか。

   堅物で無口で突っ張っていて。まるで己の人生に女など必要ないと言わんばかりに、何もかもを削
ぎ落して。最後、こうやって女を泣かせるなんて。
 あんたは、大概、悪い男だ。
 腹の底で呟いた声には、当然、返ってくる返事もなく。





Side.Qb

 結果論だけを告げるならば。
 コギト・エルゴ・スム号の事件から一年と三ヶ月と二十二日が経過した現時点において、再度あの
事件を評するとしたならば、原因は一人の女性を巡る二人の男性の不和が原因であると言える。様々
な要因が幾つも絡み合っていたとはいえ、事件を担当した警察は、痴情の縺れが根底にあると結論づ
けた。
 人工知能が人間に不信を抱くという、機械にあるまじき思考を弾き出した事態に興味を抱いた専門
家達も、元を質せば女性を巡る男性の鞘当てが原因だと、苦笑と言われる表情を作りながら告げてい
た。
 当時、宇宙船にいて、彼らの様子を具に見ていた私は、記憶野に残しているその時の記録を再生す
る。
 記録を取った当時、私にとっては全てがただの【記録】でしかなかった。
 だが、一年三ヶ月二十二日経過した現在、私の中のスペックはかつてよりも向上し、当時の記録に
対して何らかの検証を行うだけの思考ルーチンも組み込まれた。
 再生される記録の数十点に、一人の女性に対する二人の男性の思惑が見て取れる。そして一人の男
性に対する男女の思惑も。それだけを見れば、確かに最終的結論として、根本は男女間の痴情の縺れ
というものに行きつくだろう。

 凄まじく原始的。

 記録を見ていた一人の科学者が、そう失笑していた。
 そうかこれが原始的というものなのか。私はそう頷いた。誰かを思って動くことが、原始的である
ことなのか。
 ならば、私の製作者が私を庇った事も、原始的なのか。
 今も、私の保護者として傍にいる製作者は、己の行動が原始的であるかどうかなど、微塵も考えて
いないようであるし、実際そうなのだろう。
 再生される記録から、彼ら一人の女性と二人の男性一人一人の記録をピックアップする。
 静かに微笑む顔。
 乱暴な口調で、けれども丁寧に何かを教える声。
 疲れ切った顔で、それでも感謝の言葉を呟く唇。
 一人一人の記録を見れば、決して何かしらの悪意を持っているようには見えない。
 再生した記録の最後、私の製作者が叫ぶ。

『自分の思ったように生きようとして……ただ、それだけじゃないか!』

 全てを集約した声を最後に、記録は途切れる。これより先の記録は、私の記憶野の中の最も奥深く
で厳重に管理している。そこまで再生する必要性は、今はない。
 何が原因だったのか。
 科学者や警察が囁いた問いかけを、己の思考の中に放り込む。
 それはきっと、彼らが彼らであったから。





Side.Ol

 血飛沫は、ただただ朱かった。
 何かを叫ぶ間も、白い手の中の銀の刃を叩き落す暇さえ与えられなかった。成す術なく、胸から赤
が迸り、真っ白なドレスを見る間に赤に変えていく。
 白しか知らない清純が、初めて赤く染まっていく。
 何も知らない人だった。
 塔の中で、民草を見下ろして日がなその生活に思いを馳せるしか出来なかったのだろう。人の価値
を、人からの意見でしか選べぬ人だったのだ。だからこそ武闘大会で優勝しただけの思慮も何もない
自分を夫にした。唯々諾々と他人の意見を聞き入れる人だった。だから、今そこで同じように屍と成
り下がった親友の言を信じ込んだのだ。
 何も知らない人だった。
 真っ白だった。
 だから何もかもに染まった。
 そして今、白百合のようだった姿は、血をたっぷりと吸い込んだ赤の薔薇に変貌している。その変
貌ぶりは、今まで生娘であったのが、初めて男を知って女に変貌したかのよう。
 赤々としたドレス。
 見下ろせばまだ瑞々しい。
 だが、時間と共に赤は次第に色を失って、黒へと移ろっていく。赤薔薇が、再び百合に戻る。ただ
し、黒百合だ。女が魔女へと化けの皮を脱ぎ捨てる。
 黒いドレスを身に纏った、許嫁であった深窓の娘は、今や淫らな魔女でしかない。もしも、彼女が
魔王に攫われている間に処女を奪われ、その結果として快楽に身を落とし、親友でさえその身体で籠
絡できる魔女となったのだと言われても、信じることができる。
 皮肉な事だ。
 黒衣の乙女――乙女であるかどうかはもはや分からない――は、この世で唯一自分を信じている存
在だと思っていた。自分もまた、何があっても彼女を信じるという思いだけで険しい岩山を登ってき
た。
 だが、乙女が魔女と化した今、彼女の言葉の真逆だけを信じている。彼女の悪しき部分だけを信じ
る事ができる。
 女とは、皆、こういうものだと嘲っている。
 彼女は世間知らずだった。何物にも染まるような真っ白な世間知らずだった。しかし、自分もまた、
女の何たるを知らない世間知らずでしかなかった。
 いや、一つの言葉で勇者と魔王の二つに全てを分けるこの国の全てが、世間知らずで真っ白だった
のだ。
 世界を二分しなかったのは誰だ。
 この世界で、自分達の世界で自分を魔王と勇者の二つに切り分けなかったのは、誰だ。
 転がる骸の一つに眼を止める。
 何物にも染まる白の中、背を向けるように黒かった。
 親友だった。













より
悪いものは何?