Side.Pg

 ざらりざらりと、地面に穴を掘る音が聞こえる。
 木々が頭上を覆うその真下、薄暗い中、篝火を燃やして、ゆらめく炎の光を頼りに、大人達が黙々
と穴を掘る。その周りでは炎をの番をしながらも、すすり泣く女の声が響いている。
 炎に囲まれた穴から少し離れた場所でも、何人かの人々が固まっていた。彼らは一様に蹲り、彼ら
の真ん中に幾重にも折り重なった木の葉を見つめては、何事か呟いていた。
 折り重なった木の葉は、不自然に盛り上がっている。
 その下に何があるのかは、子供ならまだしも、成人していれば分かる。いや子供であっても知って
いるだろう。何せ、自分達にとって死は隣り合わせだ。命の炎が見えていれば、その後ろにはすぐに
死の風がこちらを見つめている。
 あの、木の葉の下には、昨夜死んだ男の死体が、その身を丸めて収められているはずだ。
 夕方までぴんぴんしていたという男は、夜のうちに突然苦しみだして、明け方を迎える前に死んで
しまったという。
 果たして男の身に何があったのか。
 それは誰も知らない。
 怪我をしていたわけでも、病にかかっていたわけでも、元々身体が弱かったわけでもない。ただ、
死はいつでも唐突に彼らの頭上に訪れる。
 掘り終えた穴の中に、男の遺体が運ばれ、その中に納められる。男が土に還る様子を、子供達は不
思議そうな眼で見つめてる。自分もいつだったか、そんなふうにして誰かを見送ったような気もする。
それは果たして、顔も知らない親だったか。
 男の家族だった者達が、互いに一握りの土を握り締め、その土を穴の中に沈めていく。男は土に沈
んでいく。土の中には男を覆っていた木の葉の他に、動物の骨やら花やらも一緒に埋もれていく。後
は男の妻だった女の涙が。
 きゅう、と手が握られた。彼の子供が、彼の手を握り締めたのだ。そして真ん丸な眼で彼を見上げ
ている。眼の前の光景が何を示しているのか、何も分からないという眼で。
 今はまだ、それで良い、と思う。
 あの意味が分かったところで、命の炎も、死の匂いも、それに嘆く思いも、まだ分かるまい。




Side.Ob

 ああ、煩わしい。
 たまの休み、少しでも表に出て見れば、他人の視線が煩わしい。
 常に顔を隠し、ただただ滔々と主の命に従っていたら良いだけの時間とは違い、少しでも自分の素
顔を曝したら、すぐにこれだ。
 誰もが、自分の仮面の下にある素顔とやらに興味を持って、わらわらと群がろうとする。
 通りを歩く町娘や何処かのご隠居、店先の丁稚やら、如何にも興味津々といった態でこちらを見つ
める。
 いつも素顔を隠しているから、こちらの顔を知らないから、見ず知らずの人間と勘違いして興味あ
りげに見ているだろうことは分かっている。だが、こちらは彼らのことはよくよく知っているのだ。
いつも顔を隠して、夜の闇に紛れて、或いは昼間の草叢に紛れて、彼らを具に見てきた。
 こんな視線断ち切ってしまえれば良いのに。
 だが方法が分からない、気配を隠してしまえば良いが、それだとただの買い物にも支障が出る。気
づいて欲しい時に気配がないとそれはそれで困るものだ。
 いっそ、その眼を潰してやろうか。
 自分が知り得る限りの方法を、頭の中に並べ立てる。眼を潰して首を掻き切ってしまえば、こんな
人の情とやらに煩わされることもあるまい。こちらを興味ありげに見つめる眼を、悉く潰してしまえ
ば、さぞかし楽だろう。
 むろん、そんな大事になることは、決してしないが。
 しかしこれはまだ、赤の他人であるから良いのだ。
 もしもこれが見知った相手――例えば仕事仲間であったなら、本気で首を掻き切りにいったかもし
れない。なまじ知っている分だけに、余計に容赦がないし、これからも延々続くかもしれない縁であ
ると考えれば、身近な知り合いの好奇の目というのは、存外に重苦しい。
 幸いにして、仕事中にそんな愚かしいことをする輩はいないが、一歩仕事から離れれば――例えば
今日みたいな休みの日に、彼らにばったり出くわし、こちらの素顔を窺い知ろうものなら。
 その厚かましく、見られている側には重苦しいだけの視線を向けられたなら。
 頭の中だけでとはいえ、その眼と喉元を、掻っ捌いてやることだろう、きっと。




Side.Ol

 耳の奥で、言葉が響いている。
 何度も何度も繰り返され、耳の奥にこびり付くだけでは飽き足らず、頭の中にまで侵食していった
言葉に、耳を引き千切り頭を岩にぶつけたくなった。
 実際に何度もそうした。
 耳を引き裂いて、頭を瓦礫に打ちつけた。けれども耳の中で言葉は延々と刻まれて、繰り返し繰り
返し囁くのだ。
 お前の所為だ、と。
 お前が悪いのだ、お前が何も分からないのが悪いのだ、と。
 その声の主は、無二の親友であるような気がした。愛と信頼を誓い合った人であったような気もし
た。或いは、師と呼ぶにはあまりにも共にした時間は短い先達であるような気もした。或いは、自分
を勇者と呼んだ子供達のような気もした。
 繰り返された言葉は、あまりにも何度も様々な音で耳を駆け抜けるため、もはや誰の声であるかも
分からない。今や顔も思い出せない、親友やら恋人やら師やら、近しい人々の何れかのものであるだ
ろうし、そのすべてであるかもしれなかった。
 だが、いくら頭を打ちつけても声は塞がらず、また彼自身の命を縮めることもない。
 彼は未来永劫、己を責め続ける言葉を聞くだけの代物に成り下がっていた。
 お前が、と。
 誰かも分からない顔が責める。
 お前が、もっと人の気持ちを考えていたら、と。
 考えていた、という反論は、もう何度も繰り返した。耳元で繰り返される言葉に、何度も何度も反
論した。だが、しかし反論した声は空っぽで、やがてなんて意味のない音を出しているだけなのだと
思い始めた。
 そう、自分の反論にはまるで根拠がない。
 言葉で詰られて反論しても、更なる言葉で反論されればそこまでなのだ。
 だってお前の成した事を見てみろ、と。
 眼の前に広がる空虚な世界はお前が作った物だ、と言われてしまえばその通りで、間違いなく己の
所為だった。
 お前の所為だ、とくすんだ世界で、言葉が刻み込まれる。
 それは、自分の声であるような気もした。




Side.Sn

 例えば、咎のある者を殺す時、人の心は痛むだろうか。
 その者に傷つけられた者は痛みなど感じないかもしれないし、その者の家族や近しい者は心を痛め
るだろう。ただし後者は、その痛みは恨みに翻ることがままあって、そうして新しい咎を作っていく
のだ。そして、その咎を罰するために、やはりまた、咎ある者を殺すのだ。
 さて、ならば、咎を殺して新たな咎を生み出す己に、はて、咎はないのか。
 職務に忠実なだけだ。
 そう、大抵の者は言ってくれるだろう。しかし己の良し悪しに関わらず、時として職務の本分とい
うのは肥大していくものだ。この仕事は、己にとって天職であったが、同時に己の御せぬとろこまで
巨大化してしまった。
 気が付いて己の中を見回せば、殺した咎人達の墓標で辺りは埋め尽くされている。しかもその墓標
からは、まるで芽のように、新しい罪が生み出されているときたもんだ。
 最初の発端は、間違いなく自分ではない。だが、後出しされていく咎に、自分の影が少しもなかっ
たかと言われれば、頷くことはできない。町に訪れるならず者連中の中には、確かに自分を狙った者
もいたのだから。
 職務に忠実だった。確かに天職だった。だが、本分を全うすることはできなかった。
 自分は誰一人として幸福には出来なかったし、正義を成したら成した分だけ、平和からは遠ざかる。
仮に、殺さずに捕えたとしても同じこと。絞首刑を言い渡す裁判官よりも、人は捕まえた保安官を恨
みやすい。罪状を突きつけるよりも、その両手を荒縄で縛られるほうが、憎いのだ。縄で縛られれば
痕になるからな。
 人々は、捕えられたその瞬間に、明確な罪を見出すのだ。
 一般市民は逮捕された者の中に、逮捕された者は己を捕まえた者の中に。
 明確だ。わかりやすい。
 彼らを絞首刑にしたのは自分ではないと腹の底で喚きたくもあるが、同時に自分以外の誰かに罪を
見出されなくて良かった、とも思う。きっと他の誰かでは、並み居るならず者の群れに、息を詰めて
大切なものに心の中で別れを言わなくてはならないだろうから。
 幸い、自分には何もない。
 この罪は本来、皆の上に平等に降りかかるものだったのだろう。だが、ならず者達は明確な罪人と
して保安官を選んだ。それは、幸いだ。
 保安官の本分は守ることだ。
 ならば、最後の職務として、暗く漂う罪状を背負って逃げ出そう。











より
重いものは何?