連続し続ける荒野の果てで、一頭の馬が狂ったように走ってくるのを見た。その馬上に乗ってい
 るのは幼い少女で、小さく土埃を上げて疾走する彼女らの背後には、更に巨大な土埃が舞っていた。
  それを従えるのは、数頭の馬。それらを操るのは卑下た笑みを浮かべるカウボーイ、もとい、な
 らず者達だ。
  少女を見るに、白いレース生地を幾つも編み込んだその服装は、裕福な階級の出なのだろう。そ
 んな彼女に手を出せば何が起こるか分からないというのに、それでも追いかけるカウボーイ達は完
 全に気が狂っている。
  それとも、世間体を気にして少女が何も言わないと踏んでいるのか。
  いずれにせよ、あまり心温まる話ではない。




  Bacon Egg






  だから、サンダウンはそのカウボーイ達を撃ち抜いた。
  正義感や過去の残像に縛られての事ではないと自分に言い聞かせはしているものの、しかし見過
 ごせば寝覚めが悪いと感じた時点で、何処かに置き去りにしたつもりだったそれらが、実はまだ心
 の奥底に蹲っているのだろう。
  その事に少し苦く思いながら、しかしやるだけの事はしたとサンダウンは崩れ落ちて馬から投げ
 出された男達の死体から眼を逸らす。そしてそのまま立ち去ろうとした時、

 「お待ちになって!」

  パカパカと音が背後からした。振り返ると、追いかけられていた少女がレースの裾をはためかせ
 ながら馬を操り、サンダウンに近づいてくる。その姿と砂だらけの荒野が全く合っておらず、サン
 ダウンは軽く眩暈をおかしそうになった。

 「助けていただきありがとうございました。私はこの先の街で貿易商を営んでいる者の娘です。」
 「……………それは、どうも。」
 「突然あの者達に襲われ、もう駄目かと思っていました。この感謝は言葉では言い尽くせません。
  是非、我が家にお立ち寄りになり、お礼をさせてください。」
 「いや、結構だ…………。」
 「そのような事おっしゃらずに、是非!」
 「…………。」

  このまま繰り返せば、延々とループを繰り返しそうな少女の台詞に、サンダウンは黙り込む。こ
 ういう言い方の時は、絶対に梃子でも動かない時だ。諦めて頷くしかない。
  サンダウンは小さな溜息と共に頷く。途端に少女の顔が明るくなり、綻ぶ。

 「ああ、良かった!それでは私についてきてください!」

  サンダウンのむさ苦しい姿など一向に介さないのか、少女はそれについて一言も言及せずに、先
 に立って馬を走らせる。それを追いながら、サンダウンは礼だけ貰ってすぐ帰ろうと誓った。




  むろん、その誓いは果たされない。
  貿易商を父に持つ少女の家は、それはそれは豪華だった。保安官時代のサンダウンでさえ住んだ
 事がないくらい、大きく立派な門構えをしていた。
  むろん、それは都会では決して珍しくはない調度品なのかもしれないが、けれどそれらは荒野で
 は手に入れる事は極端に難しい。いくら鉄道が通っているとはいえ、やはり大部分の移動はまだ馬
 に頼らざるを得ない時代だ。そんな時に物を揃えると言うのは非常に困難で、それ故にこれだけの
 家を建てた貿易商の豊かさが知れるというものだ。
  そしてこういう場所では、一応にサンダウンのような放浪者は嫌われるものだ。そのはずだ。
  が、何故か此処の貿易商は、娘を救った胡散臭いおっさんに非常に好意的で。礼を貰ってさっさ
 と退出するはずだったサンダウンは、あれよあれよと言い包まれて何故か夕飯まで御一緒にという
 事になってしまっていた。

  今日はマッドのところに行くつもりだったのに!

  が、まさかそんな理由で逃げ出すわけにもいかず、結局サンダウンはそのまま夕食を御馳走にな
 ったのである。
  因みに、夕飯で出されたラム肉のワイン煮込みは非常においしかった。
  が、それ以上に非常に堅苦しかった。
  サンダウンとて伊達に保安官として暮らしていたわけではない。ある程度の儀礼ならば理解でき
 るし、そうした立ち振舞いもできるが、所詮は田舎育ち。限度というものがある。何かまずい事を
 しないとも言いきれない。
  こういう時にマッドがいれば、大抵の事は引き受けてくれるのに。
  そんな愚痴を腹の底で繰り返しながら、なんとかラム肉を胃袋に治め、そして退出しようとした
 その時。

 「今夜はもう遅いので泊まっていってください。」
 「………………。」

  一瞬、何かおかしな陰謀に巻き込まれたのではないかと思った。
  が、そうではないと分かったのは、徹夜して屋敷の動向を探り、何事もなかったと知れた時だっ
 た。
  眩しい朝日に眼を細め、サンダウンは出された朝食――数種類のパンとこってりと焼かれた牛肉、
 そしてドレッシングのかかったサラダを食べ、今度こそ出て行こうとした。
  が、引き止められた。
  何故に?
  どうにかして振り切ろうにも、残念ながら放浪者という極めて暇な職種であるサンダウンには、
 用事がある、などという言い訳は使う事が出来ない。
  そして、三日三晩、鶏肉やら牛肉やら兎肉やらラム肉やら、放浪生活では基本的には食べる事が
 できないであろう食事にありつく事になったのだが。
  何せサンダウンは放浪者。普段はそんなに食事に拘る事が出来ない――というか拘る事ができな
 い。最近ではマッドの食事のおかげで、人間らしいものを食べる事が出来ているが――別にマッド
 はサンダウンの為に食事を作っているわけではないのだが――こんなこってりした肉料理を続け様
 にされると、胃に響く。
  ステーキやらソテーやら丸焼きやら。そんな物よりもマッドの作ったハンバーグが食べたい。ぶ
 っちゃけ、マッドに逢いたい。むしろ胃よりも、そっちの中毒症状のほうが問題だ。
  そんな実にしょうもない理由で、サンダウンは三日目の夜、遂にこっそりとそこから逃げ出した。





  その日の朝方、マッドはなんだか突然眼が覚めた。
  少しひんやりとする空気の中で太陽の赤い帯が瞼を揺らすのを、夢現の狭間で感じる。それから
 眼を逸らすようにマッドは寝返りを打ち、危うい覚醒のバランスを睡魔のほうへと押し倒そうとし
 た時、朝日の中に微かな音が混ざり始めた事に気づく。
  気でも狂っているんじゃないかと思うくらい慌ただしいそれは、マッドの顔に届く朝日と同じ速
 度で近づいてくる。そしてそれが距離を縮めるたびに、眠ろうとしていたマッドの頭は徐々に昂ぶ
 り、睡魔を押しのけて行く。
  そして、マッドがベッドからむくりと起き上がるのと、寝室のドアが大きく開け放たれるのは同
 時だった。

 「キッド…………。」

  寝込みを襲われたマッドは、ぬっと扉の前に立ち上がった男を見て、膨れたような声を出す。眼
 をごしごしと擦って最後の眠気を吹き飛ばすと、サンダウンに向き直りつつ枕元に隠していた銃を
 捜す。
  その間もサンダウンはずかずかと近づいてくるわけだが。
  近づきながら、ふとサンダウンが今気づいたかのように呟いた。

 「お前…………縞柄のパジャマなんか着てるのか。」
 「悪いか!俺は縞柄が一番落ち着くんだ!それも縦縞が!」
 「………今まで見た事がなかった。」
 「一人で寝る時に着るんだよ!大体なんであんたに俺のパジャマ姿見せなきゃなんねぇんだ!」

  パジャマ姿で怒るマッドの姿はサンダウンにとっては非常に新鮮なものであったが、しかしそれ
 以上に。
  サンダウンは今にも銃を取り出そうとしていたマッドの腕を素早く押さえ込むと、その肩にもう
 一方の手を置いてマッドの身体の動きを封じる。そもそも寝起きであるマッドは、いつもより僅か
 に動きが鈍い。睨み上げる目線も何処となくとろんとして、まだ眠気が完全に払えていないらしい。
  その身体に体重を預けながら、囁いた。

 「何か、作ってくれ…………。」
 「は…………?」
 「三日間、ろくなものを食べていない…………。」

  マッドの黒髪に顔を埋めて囁くと、マッドが怪訝そうな気配を出した。それを甘えても良いサイ
 ンである事を知っているサンダウンは、ぐりぐりと鼻先をマッドに擦り付ける。
  犬や猫――あと馬も――がする甘える素振りに良くにた行動をするおっさんに、マッドは面倒臭
 そうな表情を見せつつも答える。

 「たいしたもんは作れねぇぞ。仕込みもしてねぇし。せいぜいベーコンエッグくらいだな。」
 「それで良い…………。」

  やっとまともな食事が出来る。そうほっとした声で呟くサンダウンに、マッドは一体どんな食生
 活だったんだ、と呆れたような声を出しつつ、台所へ向かった。