八つの鐘が鳴り終わった後、夜が明ける。
  そして夜明けと共に、無法者クレイジー・バンチが蹄を響かせてやってくる。
  いつも彼らの到来に怯え、縮こまっていたサクセズ・タウンの人々は、今宵こそはと立ち上がり、
 町中に罠を仕掛け、その到来を待っていた。
  二人の、賞金首と賞金稼ぎを中心にして。




 バッカスの嚆矢





  鐘が四つ鳴ったあたりで、罠を仕掛けに行っていた町民は全員帰ってきた。
  それは、そろそろ草木も眠る丑三つ時になろうかという時間だった。
  罠を仕掛け終えて、ひとまずクリスタル・バーに帰ってきた人々は、一息つくとクレイジー・バ
 ンチがやってくるまで、思い思いに時間を潰す事にした。
  アニーとウェイン夫人は、寝不足は肌に悪いからという理由で仮眠を取る為に自分の部屋に戻っ
 た。子供であるビリーも、父である保安官にもう寝なさいと言われ、最初の内は抵抗していたもの
 の、しぶしぶ自宅へと戻っていった。
  そういうわけで、小さな酒場の中に残されたのは、行き場のない男どもだけとなったのである。
  残された男ども――町の若い男どもは、今から数時間後に訪れるであろう襲撃に対する恐怖を隠
 す為に、がばがばと酒を胃袋に流し込んでいく。稀に、不安を掻き消そうとするかのように大声を
 上げ、空騒ぎを演じる事に必死なようだった。
  同じく酒を飲んで恐怖を掻き消そうとするのは、三人の旅芸人達だ。彼らは酒を飲んでは楽器を
 打ち鳴らし、やはり騒いで日の出と共に膨らみ上がる恐怖の根源を忘れようとしているようだ。
  そんな彼らに酒を振舞うマスターも、時折強い酒を飲んでいるところと、そしてグラスを持つ手
 が震えているところを見ると、恐怖が心の中に渦巻いているらしい。
  そんな中で、唯一酒を飲まずに平静を保とうとしているのは、保安官だけだった。銃を磨いたり、
 銃弾を確認したりと忙しなく手を動かし、気を散らそうとしているのが分かるが、やはり彼の中に
 も夜明けの訪れと共にやってくる不安と期待がせめぎ合っている。
  そんなサクセズ・タウンの住民達を見ながら、クレイジー・バンチの討伐を求められた賞金首と
 賞金稼ぎは酒場のカウンター席で、のんべんだらりと暇を持て余していた。
  こちらも、手の中のグラスに思い思いの酒を注いでいるが、住民達と違うのは、特に肩に力を入
 れて酒を飲んでいるわけではないという事だった。
  素面の保安官などは、二人の並はずれた酒を飲むペースに、一抹の不安を覚えているようだった
 が、これは二人が酒豪である事を知らぬが故である。
  共に『西部一』の名を冠する彼らは、飲む酒の量もペースも、どちらかがやっぱり『西部一』な
 んじゃないかと思うくらい、屈指のザルである。
  いや、寧ろ、ザルを通り越してワクである。
  従って、傍から見れば心配を感じるような飲むペースも、二人にとっては普通なのだ。
  住民達とは違って自分のペースで酒を飲む二人には、酒を選ぶ余裕もあった。
  賞金首が葉巻を肴に同じ酒を淡々と飲み干し続けるその横で、賞金稼ぎは御品書に書いてある順
 番通りに酒を飲み干している。
  彼が、マスターが酔っぱらっい始めたのを良い事に、隠してある秘蔵の酒にまで手を出している
 のを、保安官は気付いていながらも見て見ぬ振りをした。マスターが気がついた時の悲嘆のしよう
 を想像すると、少しだけ心が痛むが、しかし嬉しそうに酒を飲み干している賞金稼ぎからその酒を
 奪い取る勇気は保安官にはない。それに、元来、見て見ぬ振りをする事は得意だ。 
  これは必要経費だとマスターには思って貰おう。
  保安官が頷いている間に、賞金稼ぎは秘蔵の酒をもう一本開けていた。
  きゅぽん、と軽い音を立ててコルク栓を抜いた賞金稼ぎは、隣にいる賞金首を突いて何事か話し
 かけている。

 「見ろよ、これ。珍しくねぇ?」
 「…………なんだ、それは?」
 「アイリッシュ・ウィスキーだよ。アイルランドのウィスキーさ。どっかの移民が作ったのか、そ
  れともアイルランドからわざわざ取り寄せたのか、どっちにしたってバーボンが多いこのご時世、
  珍しいぜ。」

  言いながら自分のグラスに琥珀色のそれを注ぐ。
  その瞬間、いい加減アルコールに醸されていた酒場の中が、更にぐっとアルコール臭に包まれた
 ような気がした。
  そんな事は一向に気にならないのか、賞金稼ぎはレアなウィスキーを賞金首に差し出している。

 「あんたはどうする?」
 「……………。」

  無言でグラスに残った酒を飲み干し、賞金稼ぎに差し出す賞金首。
  空になったグラスに破顔して、賞金稼ぎは自分のグラスと同じように賞金首のグラスにも琥珀を
 満たす。
  賞金首と賞金稼ぎとは――しかも長い間、命の遣り取りをしている――とは思えない、むしろご
 く親しい友人同士であるかのような行為は、酒瓶の中身がなくなり、そして新しい酒瓶が見つかっ
 た後も延々と続けられた。

  しかし、誰も気づかなかった。
  このあたりから、賞金首と賞金稼ぎのペースが段々早くなってきた事に。




  そして七つ目の鐘が、アルコールで醸された酒場の中にまで鳴り響いた。
  その時には、アルコール臭が染みついた酒場の床には、夥しい酒瓶と酒に呑まれた男どもの身体
 が累々と横たわっている。
  自力で立てる者は、もはや素面の保安官と、酒豪の賞金首と賞金稼ぎしかいない。
  住民達の中で唯一冷静さを保っている保安官が、自分以外の連中の様に頭を痛めているその後ろ
 で、賞金首と賞金稼ぎは、相変わらずカウンターに座っている。
  だが、良く良く見てみれば、賞金稼ぎがほんのりと赤い顔でぼんやりと何処か遠くを見ている。
 そしてずりずりと身体を傾けると、そのまま賞金首のほうに凭れかかった。
  賞金首のポンチョに縋って身体を固定している賞金稼ぎを、賞金首は特に咎める気はないらしく、
 鷹揚に放っている。
  されるがままの賞金首に縋りつき、居心地が良い場所を見つけた賞金稼ぎは、ぼんやりとした顔
 で反応のない賞金首を見上げ、まじまじとその髭面を眺めていた。 
  そして、不意に、

  ちゅ。

  賞金首の顔に己のそれを近付けると、の頬骨のあたりに口付けた。

  ごとん。

  その現場をもろに見てしまった保安官(素面)は、思わず手入れをしていた銃を取り落とし、棒
 でも呑み込んだような表情になった。
  しかし、眼を点にした腰抜け保安官の視線など、西部一の賞金稼ぎは一向に気にしない。リップ
 ノイズを立てては5000ドルの賞金首の頬や額や鼻先に口付けていく。
  一方、口付けを受けている賞金首はと言うと、流石と言うか――何がどう流石なのか分からない
 が――動じる気配がない。
  あしらうでもなく、ただただ無言で、反応をしないのだ。
  もしや想定外の行為にフリーズしてしまったのか、とも思ったが、平然と葉巻の火を消している
 所を見ると、そうではないらしい。
  要は慣れているのだ。
  何故慣れているのかなど考える気にもならないが、多分、放っておけば治まるのだろう。
  一方的な賞金稼ぎからのじゃれつきは、殺し合いであっても賞金首が賞金稼ぎを素気無くすれば
 すれば直ぐに終わる。
  と、思っていた。
  反応のない事に焦れた賞金稼ぎがぎゅうと賞金首に抱きつき、賞金首がその細い腰に腕を回すま
 では。
  べったりと身体を預けてくる若い賞金稼ぎの身体を持ち上げると、賞金首はその身体をあっさり
 と自分の膝の上に引き上げた。
  そして、ぺたぺたと撫で回す。
  何の事はない。
  何事にも動じていないように見えた賞金首も、無表情で酔っぱらっていたのだ。

 「んー、きっどぉ。」

  甘えたように顔を擦りつける賞金稼ぎを撫で回し――頭や背中だけでなく、腰やら尻まで撫でた
 あたりで、何を考えているのかは明白だ――賞金首は囁いた。

 「マッド、お前は、可愛いな。」
 「むぅー、おれはかわいいんじゃなくてー、かっこいいんだー。」
 「そうだな………。だが今は可愛い。」
 「んっ。」

  低い声を耳元に吹きかけ、賞金首はさも当然の顔で、賞金稼ぎの耳朶を舌で弄ぶ。
  その感触に賞金稼ぎが身を捩っても止めない。
  もはや完全に別の世界に――桃色の世界に飛び立ってしまっているらしい。
  その光景を目の当たりにした保安官は、しかしどうする事もできない。 
  アルコールで酔いつぶされた酒場には、誰も保安官と心を共にしてくれるものはいなかった。

  桃色の空気を浮かべ始めた酒場に、保安官の嘆きだけがまともに働いている中、遂に八つ目の鐘
 が響き渡った。
  すっと差し込む東の光。

  そして。

 「出てきやがれぇっ!」

  部下を次々と罠で仕留められ、これでもかと言わんばかりに怒り心頭なO.ディオは、ガトリング
 を構えて怒鳴った。
  朝の白い光が帯を投げかけた酒場の扉は、ディオの怒鳴り声に恐れをなしたのか、開く気配はし
 ない。
  沈黙する酒場に、ディオは更に吠えたてた。

 「出てきやがらねぇなら、こっちから行くぞ!」

  ずしんずしんという音が最も相応しい足音を響かせ、野太い足の一蹴りで酒場の扉をふっ飛ばす。
  ……鍵など掛けようもないウエスタン・ドアなので、別に蹴り飛ばす必要もないのだが、そこは
 愛嬌である。

 「おらぁ!パイク達を可愛がってくれたのは、どこのどいつだ!」

  唾を飛ばし、ガトリングを見せつけるように酒場の中に突き立てる。
  図らずもその銃口の先で捕捉した光景に、ディオは先程までの勢いを殺いで、思わず立ち止まっ
 た。
  普段、マスターが怯えながら酒を注いでいるカウンター席。
  その上で、若い男が押し倒され、ジャケットを脱がされようとしている。
  そこに圧し掛かるのは、髭面のおっさんだ。
  厭らしくその身体を嬲るように腰や尻を揉みながら、服を脱がせようとするおっさんの姿に、デ
 ィオはパイク達の事も忘れて呆けた。

  ―――犯罪者だ。

  己の事を棚に上げ、ディオは本気でそう思った。
  女の数の少ない西部では、その手の趣向に走る輩が多い事は知っている。それに、自分の部下に
 も妖しいのが数人いた。
  しかし、それらは合意の上での事だったはずだ。
  男だろうが女だろうが、合意なしで事を進めるのは犯罪のはず。
  では、眼の前で繰り広げられている光景はどうか。
  押し倒された若い男の顔は上気しており、酒に酔っている事は見れば分かる。つまり、これは、
 酒を飲ませて、泥酔させた上での、行為。
  相手を前後不覚の状況に陥れ、そして事に運ぶのは、悪人の常套手段だ。

  ―――間違いない、眼の前にいるおっさんは、犯罪者だ。

  心の中で頷いた時、犯罪者、もといおっさんと眼があった。
  その眼は、はっきりと、邪魔者め、と呟いている。

  腰だめに構えられたピースメーカーに気付いた時は、もう間に合わなかった。
  すぱん、とディオは景気良く撃ち抜かれている。
  最期、視界の端に、合掌する保安官の姿が見えた。




  で。




  気付いたら終わっていたという状況に女性陣とビリーがぷりぷりと怒り、男どもは二日酔いで全
 員撃沈するという有様で。
  非常に無念なやられ方をしたディオは、ショックのあまり馬になった後もしばらくメソメソとし
 ており、そこを眼が醒めたマッドに捕獲された。

 「こいつは俺が貰っていくぜ。」
 「ああ………。」

  酔って何も覚えていないのか、マッドはサンダウンに特に拘りもなく話しかけ、サンダウンもそ
 れに頷いている。

  その様子に、保安官は、あれはディオを倒す為の演技だったのだと思う事にした。




  そして、捕獲されたディオは、嫌がらせとして、とりあえずマッドの貞操をサンダウンから守る
 事を、本気で決意した。