西部の荒涼たる大地では、銃による犯罪など日常茶飯事だった。一般市民でさえ、子供でさえ銃
 を持てる世界は、しかも決して裕福な土地柄とは言えない。
  所謂アメリカン・ドリームの先駆けであるゴールド・ラッシュの賑わいにありつけたものはほん
 の一握りで、大半はつつしまやかな衣服に身を包む清貧な人々か、或いは南北戦争の煽りを受けた
 南部貴族、そして残るは生き場のない犯罪者達だった。
  彼ら貧しき人の群れは、どうにかして荒野で生き抜こうとする一方で、結局は堕落し、時には富
 裕層を狙った強盗と化す場合も少なくなかった。戦争によってばらまかれた銃火器も、犯罪を起こ
 しやすい環境にしていたのかもしれない。
  流れる血の量は、決して少ないものではなかった。
  そしてそれを止めるためにも、また、夥しい量の血が流れた。




  カンタータ第208番 





  その男は突然荒野に現れた。
  一体、いつ、何処からやってきたのかそれは誰も知らない。ただ、並はずれた銃の腕を持って、
 荒涼とした大地に降り立った。
  まだ、年若い、にも拘わらず、賞金稼ぎという何処かねじ曲がったような生き方を選んだ彼は、
 しかしその職に纏わりつくような血腥いイメージを払拭するかのような青年だった。
  柔らかい物腰。穏やかな笑みを讃えた唇。鳶色の瞳は澄んで輝き、日に透かせば茶色く輝く髪は
 柔軟性に富んでいる。
  誰に対しても丁寧な物腰は、最初こそ鼻につくと言われていたが、娼婦達の間で人気を呼び、い
 つしかサルーンの間では受け入れられるようになっていた。
  そして何よりも西部ではその銃の腕がものを言う。血で血を贖う荒野では当然のこと。賞金首の
 首級を挙げれば挙げるほど、賞金稼ぎとしての地位は上がっていく。しかし、彼はそんな中、決し
 て賞金首を殺そうとはしなかった。
  所謂、無血逮捕。
  凶悪な賞金首ほど、殺さずに保安官のもとへと連れていくのは難しい。卑怯で狡猾な彼らは、大
 抵の手配書では『生死問わず』の文句が書きこまれている。
  にも拘わらず、どれほど凶悪な相手であっても、無血を貫く彼の姿勢は、一般市民に広く受け入
 れられ絶大な人気を誇った。
  それは、西部一の賞金稼ぎの座に、肉薄するほどに。

 「へえ、そうかい。」

  が、その肉薄されている西部一の賞金稼ぎは、その清廉潔白な賞金稼ぎの事を聞いても、興味な
 さそうな声を零しただけだった。彼――名実共に西部一の賞金稼ぎの座に座ってるマッド・ドッグ
 は、賞金稼ぎ仲間や娼婦達の噂話からすぐに目の前のハムへと意識を移す。
  くるくると器用に薄っぺらいハムを、フォークで丸く巻いて彼はそれを口に放り込んだ。どうで
 もよさそうなその様子に、意気揚々と語って見せた少しばかり気取った様子のある賞金稼ぎは、せ
 っかく用意した話に、マッドが動揺を些かも見せなかった事に、肩透かしを食らったようだった。
  彼は、自分と対して歳も賞金稼ぎとしての経験も変わらぬはずの、しかし今や西部の頂点にいる
 マッドに一筋縄ではいかない感情を持っていた。そして底意地悪くこの話題を持ってきたわけだっ
 たのだが、残念ながら賞金稼ぎを人気商売だとは微塵も思っていないマッドは、眉毛の一本に対す
 る程の興味も見せなかった。
  全く反応のないマッドの様子に焦れた彼は、ついつい禁句だと思いつつもその言葉を吐いた。

 「サンダウン・キッドも、あの男なら捕まえられるかもしれないな。」

  吐き捨てるように言った言葉に、周囲の空気が凍りついたのは、気のせいではないだろう。艶や
 かに微笑んでいた娼婦達は一変して不安そうにマッドの顔色を伺い、賞金稼ぎ仲間達は酒や食事に
 翳す手を止めてマッドの様子を探っている。
  その場の変貌ぶりに、その言葉を吐いた賞金稼ぎでさえ、後悔したほどだった。
  禁句とはこの世にごまんとあるが、マッドのいる前で『サンダウン・キッド』の名を出す事ほど
 危険な事はないという事は、西部にいるものなら皆が知っている事だった。まして、それを、マッ
 ド以外の人間が捕まえるなど。
  まるで親類全ての葬式が執り行われる現場のように静まり返ったサルーンでは、その場を作り上
 げてしまった根本がマッドだというのなら、それを打ち壊すのもやはりマッドだった。
  もの皆全ての心配をよそに、彼は着実にハムを攻略し、飲み込んでいく。そしてそれらを平らげ
 た後で、ようやく思い出したように、爆弾を投下した自分と同じくらいの年齢と経験値の賞金稼ぎ
 を振り返った。

 「それで、ええと、その、なんだ、その賞金稼ぎの名前は?」
 「ランダルだ。」
 「ああ、そう、そういう名前だったな。」

  記憶を探るような様子のマッドに、特に怒りの気配がない事に安堵しつつ、清廉潔白な賞金稼ぎ
 の名を告げる。
  告げられた名前にマッドは何度か頷き、そして首を横に振った。その口元には、淡い笑みが浮か
 んでいる。

 「それで、ランダルなら、サンダウン・キッドを捕まえる事が出来るって?」

  マッドの端正な顔に浮かんだ笑みは、しかし時として壮絶な色を放つ時がある。それ故、安堵し
 たのも束の間、再び身構えた。
  が、マッドの声は相変わらず穏やかで、所々に笑いが含まれている。

 「残念だが、それは無理だな。」

  確信めいて囁かれた言葉は、むしろ、苦笑めいてさえいた。まるで、何処か頑是ない子供に言い
 聞かせるような声音を孕んでいる。
  予想から大きくかけ離れたマッドの様子に、皆がぽかんとしていると、マッドはやはり苦笑を浮
 かべたまま席を立つ。そしてカウンターに代金を放り投げながら、呆気にとられているサルーンの
 中に、問いかけた。

 「お前ら、最近、あいつを見かけたかよ?」

  謎めいた言葉と苦笑いを置いて、西部一の賞金稼ぎはひらりと身を翻して、夜も更けた街中へと
 消えていった。後には、首を傾げる人々がいるばかり。
  きぃきぃとウエスタン・ドアだけがマッドの代わりに音を立てていた。




  ドアの軋む音を背に、マッドはディオを厩から引き出し、ぼんやりと欠けた月を見上げる。
  あの賞金稼ぎが言葉にするまで、清廉潔白な賞金稼ぎランダルの事など、全く覚えていなかった。
 マッドにしてみれば同業者は、それほど大きな意味を持たない。基本的に一人で行動する彼にとっ
 て、よほどの大きな狩りでもない限り、同業者を意識した事はなかった。
  マッドの中で同業者の括りは、せいぜい二通りだ。
  仲間になるか、それか邪魔をするか。
  仲間になればある程度顔も覚えるが、その逆ならば顔も覚えないし興味もない。そしてランダル
 はマッドにとっては残念ながら、ただの障害物でしかなかった。
  清廉潔白で、あまりにも潔癖なランダル。
  マッドは彼の生い立ちに興味はなく、いつ頃台頭してきたのかも興味がなかった。けれどもラン
 ダルにとってマッド・ドッグは無視できない存在だったようで、事あるごとに対立を申し込んでき
 た。
  マッドはランダルのように、無血に拘るつもりは全くなく、むしろマッドの座る玉座は、正に血
 で贖われてきたようなものだった。
  それが、ランダルには許せなかったに違いない。彼はきっと、西部の頂上にある玉座が無血であ
 るならば、この血の流れを止める事が出来ると思っていたのではないだろうか。
  だとしたら、それはあまりにも愚かだ。
  いや、無責任と言っていい。
  それを、もしかしたらマッドは玉座に座る人間の責務として伝えてやるべきだったのかもしれな
 い。何故撃ち殺さねばならないのか、無血で捕える事が何故無責任に繋がるのか。
  しかし、教えてやろうにも、それはもう叶わない。
  この西部では二度とランダルを見る事は出来ず、彼は二度と賞金首を捕えることはできない。


     何故ならば、ランダルは、殺されたからだ。


   他ならぬ、サンダウン・キッドの手によって。