マッドが引き寄せた男達は、マッドとサンダウンが潜んでいる地下道の周りを囲んでいる。マッ
 ドがその気配を噴き上げる事で、ようやくこの場所に気付いた彼らはその中にいるのが鎖を解かれ
 た狂犬である事に気付いていない。
  男達が勢いよく地下道へと続く扉を広げた時、そこから放たれたのは無慈悲なほど冷徹な罠だっ
 た。扉を開いた瞬間に、火が付くように仕組まれた爆弾は、何の躊躇いもなく、たっぷりとオイル
 を吸い込んだ扉を燃やし、そのまま爆撃となって男達を打ち砕いた。
  悲鳴が上がるその様子を、地下道の奥の奥で見守っていた二人は、煙と炎に巻かれる男達を無感
 動に眺め、稀にそれらを掻い潜ってやってくる二、三人を撃ち抜いていた。
  サンダウンとマッドが、煙に巻かれる事を怯えなかったのかといえば、その通りだった。
  情報収集に長けぬ殺し屋連中には分からなかっただろうが、二人が一時的に身を隠していた強姦
 殺人犯の塒には、その犯人が長らく捕まらなかった理由である幾つもの抜け道があった。を事件そ
 のものが風化されようとしている今では、それを知る者は犯人を捕えたサンダウンくらいしかいな
 い。
  入り組んだ地下道は、何も知らぬ者が入るには広すぎ、そして蜘蛛の網のように入り組んでいた。
  右往左往しながらも、それでも時折追いかけてくる足音に銃声をぶつけ、二人は迷路のような地
 下道を潜り抜ける。
  煙に巻かれ、男達の死体が積み重なっているであろうこの塒はもう使えない、と思いながら、サ
 ンダウンは自分の背後で追い縋る気配を探っている賞金稼ぎを視線だけ動かして見る。闇の中に溶
 け込みそうな黒髪は、その先端がふらふらと揺れている。

 「あの赤毛は、いねぇな。」

  来るのは、周りにいる取り巻き連中だけか。
  マッドは呟く。もしかしたら、上に射るのかもしれないと。

 「どうせ、一人で俺らの前には現れねぇだろ。上で、俺らが袋叩きにあってるとでも思ってんじゃ
  ねぇのかね。」

  きっと地下道の深さも知らぬようだから、上で突っ立っているのだろう。

 「さて、上で待ってる天使様に、お仲間がいなくなった事を教えてやろうかね。で、その後で、依
  頼人を始末しに行くか。」

  舌舐めずりする猟犬のような表情でそう告げるマッドに、サンダウンはその腕を掴んで阻んだ。
 引き締まっているが、サンダウンから見れば細い腕は、サンダウンの大きな手に掴まれればその細
 さが際立つ。その事にマッドも気付いているのか、表情がむっと歪んだ。

 「何だよ。」
 「…………少し、落ち着け。」
 「落ち着いてるように見えねぇか。」
 「見えない。」

  普段に比べれば、遥かに冷徹さが失われている。それは、サンダウンにしか気付けぬような些細
 な差かもしれないけれど。しかし少なくとも、普段のマッドならば何の準備もなしに、保安官――
 依頼人だという保安官に、銃を向けたりはしないはずだ。如何にそれが悪党と癒着していようと、
 それが保安官という役職に着いている限り、如何に賞金稼ぎの王であっても撃ち抜けば処罰の対象
 となる。
  その事実を踏み躙ろうとするほど、今のマッドは怒り狂っている。

 「じゃあ、その保安官とやらを放っておくのか?」

  ふん、と鼻先で嗤いながら、マッドはサンダウンを見上げる。その表情に、再び抱き締めてやり
 たい気分になりながらも、サンダウンはそれをせずに囁く。

 「お前は、あの赤毛の相手をしてやれ。」

  どうせ、銃殺なんて死を与えてやるつもりはないんだろう。
  そう言ってやると、マッドは見透かされたような気分になっておもしろくないのか、子供のよう
 に口を尖らせる。
  きっと、マッドの事だからあの赤毛を銃殺なんていう死なせ方はしないだろう。縛り首にも匹敵
 するような――もしかしたらそれ以上の処罰を考えているのかもしれない。そして、その場にサン
 ダウンは無用の存在だろう。
  それならば、マッドが赤毛を処罰している間に、サンダウンは保安官のほうを始末しに行けば良
 い。そう思ったのは、マッドが保安官殺しの罪状を背負う必要はないと考えたからだ。マッドが、
 罪を負う必要はない。

 「へっ……貸しができただなんて思うんじゃねぇぞ。」

  サンダウンがマッドの代わりに保安官殺しの罪状を被るつもりだという事に気付いたのか、マッ
 ドはそう言うと、ひらりと身を翻して地下道の出口へと向かう。黒いジャケットの裾を見送り、サ
 ンダウンもマッドが向かったのとは別の出口へと向かった。




  地下道から吐き出される黒煙を見つめている『死の天使』の姿は、呆然としているようだったが、
 しかし取り巻きの犠牲でサンダウンとマッドが死んだ事を疑わない表情をしていた。その、どこま
 でも見当違いな男の姿に、マッドはこんなのを長々と相手にしていた自分が馬鹿らしくなった。そ
 してその所為で、娼婦が一人殺されたのだと思うと、腸が煮えくり返りそうだ。
  その心境がサンダウンに見抜かれていた事は、マッドにとっては不覚だったが、しかしそんな事
 よりも、まずは眼の前で突っ立っている『死の天使』を、その座から引きずり降ろしてやる事が先
 決だ。

 「よお。」

  冷ややかな声で、背後から声を掛けてやると、その背中まるで翼が生えるのではないかと思うほ
 どに跳ね上がった。
  急いで振り返り、瞬間に驚愕に顔を引き攣らせた赤毛に、マッドはようやく人間らしい顔になっ
 たと思った。人間らしくなったからといって、この男のこれからの運命の何が変わるわけでもない
 が。

 「どうした、昔の恋人にでも逢ったような顔して。俺がこうして立っているのが、そんなに不思議
  か?」

  そう問えば、徐々に赤毛の顔はいつもの秀麗な能面に戻り、そして声も冷静なものに落ち着き始
 めた。

 「罠か。」
 「罠?俺は入口に火炎瓶仕掛けただけだぜ?他は、地下道の入口が他にないか調べなかったてめぇ
  の落ち度さ。」

  その落ち度がなければ、娼婦が殺される事もなかったのだ。
 
 「俺は少してめぇを買い被ってたみてぇだな。『死の天使』なんて名前で呼ばれてるくれぇだから、
  銃の腕はともかくその他についてはそれなりの実力を持ってるのかと思ったが、そうじゃねぇな。
  何せ娼婦を間違えて殺すくれぇだ。たかが知れてる。」

  冷ややかにそう言えば、『死の天使』は微かに顔を歪めた。笑ったのだ。

 「ふ……娼婦一人くらいで何を言うのか。所詮、荒野の狂犬も人の子に過ぎなかったという事か。」
 「悪いが、俺は人間以外の何かに生まれた覚えはねぇな。母親が鰐とか象だったって話も聞かねぇ
  しな。それとも何か、てめぇの親は亀だったとでも言うつもりか。」
 「俺に親はいない。」
 「は、何すかした事ぬかしてやがんだ。親がいねぇんじゃなくて、親の顔を知らねぇだけだろうが。
  ついでに言うなら、親の顔知らねぇガキなんぞ、てめぇ以外にも大勢いるから稀少価値はねぇな。」
 
  マッドはそう言うなり、何の警告もなしに腰に帯びていたバントラインを引き抜いた。赤毛も同
 時に銃に手を伸ばしていたが、それでは遅い。
  『死の天使』が、マッドが長年見続けているサンダウンの早打ちよりも、遥かに遅い動作で銃を
 引き抜いた時には、その両の腿から血が噴き上げている。

 「がぁっ!」

  叫んで膝を突き、その衝撃で再び叫ぶ赤毛は、それでも銃を掲げようとするが、その銃は掲げた
 直後に撃ち落とされる。

 「ぐ………。」
 「天使ってのは、血は持たねぇらしいな。あったら重くて飛べねぇからかもしれねぇが。残念なが
  ら、血を噴き上げて呻いてるてめぇも、人の子って事さ。」

  そう告げてマッドは跪いた赤毛に近寄ると、乱暴にその髪を掴んで顔を引き上げる。そして、口
 角を持ち上げて嗤った。

 「悪いが、弁解は聞かねぇぜ。俺は『審判の天使』じゃねぇんでな。」
 「ふ、お前が、俺の『死』だったという事か……。」
 「いいや、違うね。」

  マッドはその端正な顔で、悩ましいほどに艶めかしい笑みを見せる。

 「俺は、お前を殺したりはしねぇよ?」

  そう囁くと、マッドは掴んでいた男の赤毛を離し、その身体を突き飛ばす。そして銃を奪い取る
 と男に背を向けた。

 「てめぇが銃殺して貰える人間だなんて、思うなよ?」

  笑い含みのその声が、死の囁きに聞こえない人間などいないだろう。だが、マッドは言葉通り、
 それ以上バントラインに手を掛ける事はなく、さっさとその場に佇んでいる蒼褪めたような愛馬の
 背に跨る。
  そして、一瞥さえせずに、砂の上に転がった男を無視して、町の外へと土埃を立てながら駆け去
 った。




  黒い賞金稼ぎが去った後、赤い髪の死の天使は、のろのろと動き始めた。
  なるほど、此処で出血多量か、或いは餓死する事を見込んでいるという事か。そう思い、赤毛は
 口元を歪める。もしもそんな事を考えているのだとすれば、考えの甘い男だ。確かに両の腿は撃ち
 抜かれ歩く事に支障はある。だが、両手は無傷だ。ならば這ってでも馬の所に行けるし、手当もで
 きる。
  存外甘い男だ、と内心ほくそ笑んでいる『死の天使』は、どうやらまだ自分が『嘆きの砦』の処
 罰対象となっている事に気付いていないようだった。
  のぞのぞと砂の上を這い、馬を停めている場所へと移動する。
  乾いた砂もじゅくじゅくと痛む腿も、それらは次に逢った時にマッドをどう殺すかという事を考
 える為のスパイスだ。自分をこんな目に合わせたのだ。すぐに殺すなど勿体ない。じわじわと嬲り
 殺しにしてやろう。裸に剥いて、変態共の慰み者にしてやるのも良い。
  嗜虐的な考えに傾倒している赤毛の耳には、不吉な馬蹄の近付きなど入って来ない。仮に、入っ
 てきたとしても、両の腿を撃ち抜かれている状態では逃げる事も出来なかっただろう。
  賞金稼ぎへの加虐の妄想を繰り広げる『死の天使』の耳に、ようやくその馬蹄が入ってきたのは、
 マッドが消えてから一時間ほどしてからだ。停めている馬が視界に映ると同時に、その足音が耳朶
 を打った。
  近付く馬蹄に、人が来たのかと期待して振り返れば、その瞬間に顔を歪める事になった。
  砂埃と共に駆けてくる馬はこの世の闇を固めて作ったかのような真っ黒な馬で、その馬を操るの
 は紛れもなく、先程立去ったはずのマッドだ。
  そして、赤毛が顔を引き攣らせたのはマッドが背後に率いている無数の土埃の所為だ。
  薄っすらと笑みを刷くマッドの背後にある土埃の中では、幾つもの灰色の塊が踊っている。マッ
 ドを捕えようと飛びかかったりもするそれは、しかしマッドの巧みな馬術によって悉く躱されてい
 る。
  飢えた様子をしている灰色の毛並みと、大きく開いた口からだらりと垂れ下がった舌。遠目でも
 それが何の一団なのかが分かる。
  飢えた狼の群れを引き連れて返ってきた賞金稼ぎは、躊躇い一つ見せずに、一直線に『死の天使』
 に向かってきた。
  マッドの意図に、そして『嘆きの砦』の処罰対象となった事に、ようやく気付いた天使は、飛ぶ
 事も出来ずに地面の上でもがいた。だが、賞金稼ぎの王は無慈悲に天使に向かってくる。

 「あ……ひ……。」

  今、狼の標的はマッドだ。
  だが、軽快に逃げ回るマッドは、はっきりと意図して天使の元へやって来る。捕まえられない獲
 物がいる前で、手負いの逃げられぬ獲物を見れば、狼がどちらに矛先を向けるかなど、子供でも分
 かる。
  そして、今、マッドの操る黒馬は、主人の言いつけどおり、『死の天使』の身体を軽やかに飛び」
 越えた。
  黒く美しい毛並みが頭上を通り過ぎた後にやって来るのは、土埃と、灰色の汚れた毛並みと、赤
 い口腔と、白い牙だ。

 「これが、お前の『死』だ。」

  喉から悲鳴が出るその前に、マッドの声が断頭台の刃のように降りかかった。




  てくてくと荒野をディオを歩かせているマッドの前に、茶色の馬が立ちはだかった。ぬっと伸び
 た背の高い影に、しかしマッドは口角を上げるだけに留めた。 

 「そっちは終わったのかよ。」

  問い掛けると、代わりに馬に乗った影が近付いてきた。マッドを呑みこめそうな影が脇に立ち、
 風の下を潜るような低い声で呟く。

 「………あの保安官は、火事で焼け死んだらしい。」
 「…………。」
 「寝たまま葉巻を咥えていたらしいな。気付いた時にはもう逃げられなかったようだ。」

  火の手は早く、まるで油でも撒かれたかのようだったらしい。
  不用心な事だ、と呟く男の声は、まるで他人事だ。呆れてその顔を見れば、やはりその顔も他人
 事の顔をしていた。
  自分には関係のない出来事だと言わんばかりの男の様子に、ふーっと溜め息を吐いて、マッドは
 言った。

 「良かったじゃねぇか。賞金額が上がらなくて。」 
 「そうだな。誰も見ていなかったしな。」
 「…………。」

  暗に自分が火を点けたのだと自白したサンダウンは、それで、とマッドを見る。

 「お前のほうは………。」
 「ああ、両脚撃ち抜いてやった。」
 「………それだけか?」
 「それだけだぜ。」

  まあ、と懐から葉巻を探り出し、マッドはそれに火を点ける。ぽっと湧き起こる、独特の甘い香
 り。それの煙を眼で追いながら、ゆっくりと付け足す。

 「この辺は、狼が多いからな。」

  見つかったら逃げられねぇだろうな、あの脚じゃ。
  そう嘯けば、サンダウンの口から溜め息が零れた。それは、たった今マッドがサンダウンに向け
 て吐き出した溜め息と同じ色をしている。

 「……お前のほうが酷い。」
 「あんたも大概酷い。」

  互いの非人道さを軽く罵り合っていると、ふと思い出したようにサンダウンがマッドを見つめた。

 「何だよ。」
 「…………気は済んだのか?」

  何が、と聞き返すのは野暮だ。マッドは鼻で笑って、サンダウンから眼を逸らす。それでサンダ
 ウンは大体のところは分かったのか、今度は先程とは違う色の溜め息を吐いた。

 「…………止めたらどうだ、嘆きを溜めるだけなら。」

  法の網を掻い潜った犯罪者を叩き落としても、気が晴れる事はない。それならば、止めてしまえ
 とサンダウンは言っているのだ。
  だが、マッドはそれさえも笑い飛ばす。

 「冗談じゃねぇ。」

  マッドが止めても、今はそれになり変わる存在がいない。それは保安官や検事の手の届かない犯
 罪者が増えるだけで、つまり単に第二の『死の天使』を生み出す事に他ならない。そうして嘆きが
 満ち溢れるのだ。
  尤も、それらは気紛れなマッドにしてみれば、いつか自分が去った後の事であり、その後の事は
 どうでも良い事なのだが。しかし今はまだ去る時ではない事を、マッドは知っている。
  マッドは、ゆっくりとサンダウンに視線を戻した。

 「俺がいなくなったら、誰があんたを捕まえるんだ。」

  腹の底に抱え込まれた『魔王』の孵化を許さぬ口調で、勇者はそう告げた