賞金首と賞金稼ぎ
 
 
 
 
 
 
 
 
 

  彼は乾いた砂に染み込む水のようにじわじわと、しかし翻る旗のように忽然として、その名を西
 部の地に突き立てた。






  慣れた仕草で葉巻に火を点ける仕草は、川の流れのように澱みがない。下ろしたばかりのブーツ
 は艶やかに光り、細く上品なそれは西部の労働者達が履きこなすのは困難に思えた。現に、彼の手
 足は労働者階級にない細さを秘めている。
  思い出したようにふっと葉巻の煙を紅い唇から吐き出した彼の耳に、何処か一点に集中するよう
 な喧騒が入ってきた。ばたばたと声高に行き交う人々の足音も、一つの場所へと向かっているよう
 だ。
  それに興味を引かれたかのように、細身の身体も行く人々の後を追って歩き出す。ざわざわと波
 のように人の頭が揺れ動く中、その中心だけがきりとったかのように人がいない。
  向かい合う二人の男を除いては。

  決闘か。

  そう思い至った時には決着はついていたようだった。
  腕を押さえて呻く男に、何事もなかったように背を向ける高い影。それは、語るべき言葉が何も
 ないように沈黙だけが背負われている。
  ざわめきから遠ざかっていくその後ろ姿の、幅広の帽子から零れる砂色の髪。それが、やたらと
 印象的だった。

  とあるうらぶれた酒場の一画で、男達が顔を寄せ合ってひそひそと何かを話し込んでいた。その
 テーブルには何枚もの紙切れ――賞金首の手配書がばら撒かれている。それらを一枚一枚見ながら、
 ああでもないこうでもないと言っているのだ。

 「こいつはどうだ?」
 「駄目だ、そいつももう捕まってこの前縛り首になってる。」
 「ち………こいつもかよ。」

  既に取り押さえられた賞金首の手配書を破り捨てながら、男達は忌々しそうに口々に言い合う。
 賞金稼ぎである彼らは、時にこうして手を組みながら、自分一人では手に負えない賞金首を狩る事
 がある。しかし、その対象が既に捕えられた後となってはもはや手出しは出来ない。また一から獲
 物を探さねばならないのだ。

 「くそ……最近、大型の賞金首の数が減ってきてるな。」
 「ああ、この辺りの賞金首はあらかた狩り尽くされてきてる。別の場所に行ったほうが良いかもな。」
 「この辺りは俺らの縄張りだったってのによ。後からきたガキに獲物を取られるたぁな。」

  苦々しげに吐き捨て葉巻に火を点ける男達は、次々に『後からきたガキ』を罵り始めた。しかし
 直接手を出してどうこうしないあたり、たかが知れていると言うものだ。

 「しかしあいつは一人で、ゴーストタウンに巣食ってたならず者共を仕留めたからな。俺達が口出
 しできる相手じゃねぇのも事実だ。」
 「まあな……だが、おもしろくねぇ。どこかの賞金首が撃ち殺してくれねぇかな。」
 「サンダウン・キッドならどうだ。奴の銃の腕なら、きっと………。」
 「へえ、おもしろそうな話をしてやがるな。」

  粗暴な声に割って入ったのは、人を小馬鹿にしたような、しかしそれでいてナイフの刃先のよう
 な鋭さを併せ持った響きだった。物騒なその声は、けれども音楽的な流暢さを兼ね備えている。
  突然降って沸いた声に、男達はぎょっとして動きを止めた。

 「誰が撃ち殺されるって?なあ?」

  絶妙の角度で首を傾げる青年は、恋人に睦言を囁く時のような笑みを口元に刷いている。だが、
 その闇色の眼が冷淡な光を灯している事は、その声音からも明白だ。

 「マッド、なんでてめぇが此処に………。確か賞金首を追って別の街に行ったんじゃ。」

  椅子に座ったまま後退りする勢いの男達に、マッドと呼ばれた青年は、はっと笑う。

 「あの程度の賞金首なら捕まえるのに半日もかからねぇよ。んな事より、俺はてめぇらの話に興味
  があるんだが?」

  ピアニストさながらの繊細な指先で散らばった手配書を摘みながら、彼は男達が口にしていた賞
 金首の手配書を探し出す。そして見つけ出した賞金首の顔写真をまじまじと見つめた。

 「へぇ………随分と良い値がついてるじゃねぇか。このおっさん、何をやらかしたんだ?」

  ぐるりと辺りを見回して、それに対する返答がないのを見て、まあいいかと首を竦める。

 「で、てめぇらはこのおっさんに俺が撃ち殺されるのを夢見てる、と。」
 「べ、別に本気でそう思ってるわけじゃ……。」

  あたふたと弁解をしようとし始めた男達の声などもはや聞いていないかのように、彼は砂色の写
 真を見下ろす。

 「サンダウン・キッドか…………。」

  指先で顔の線をゆっくりとなぞりながら呟き、その指で手配書を掴むと戦々恐々としている男達
 に背を向けた。ひらひらと手配書を揺らしながら、男達自体には興味がないように言い捨てる。

 「この手配書、貰ってくぜ。」





  これは自分で選んだ道だ。
  サンダウンはそう思いながらも溜め息を吐いた。
  賞金首として生きる道を選んで以来、来る日も来る日も賞金を狙う賞金稼ぎ達に追われている。
 今日も、午後一人の賞金稼ぎに銃口を向けられ、その腕を撃ち抜いたばかりだった。
  腕を撃ち抜いただけならばまだ良い。サンダウンはそう思いなおす。性質が悪い相手ならば、そ
 の眉間に銃弾を叩きつけねばならぬ事もある。そしてこの逃避行の間、その時は幾度となく訪れた。
 それを考えるならば、誰も殺さなかった今日はまだましな一日と言える。

  野営の僅かな灯りを頼りに、乾いた風に荒れた自分の手を見下ろす。人の肌に触れたのは、一体
 どれくらい前だろう。最後にこの手に触れて貰ったのは?もうそれを忘れてしまうほど、銃の硬質
 な冷たさが染みついてしまっている。
  それを思い知るたびに、眼の裏で瞬くのは悲しそうな黒い瞳だ。もう二度と逢う事はないだろう
 眼差しは、サンダウンが人を撃つたびに無言で責め立てる。
  今の、この状況だけは、彼には知られたくない。
  どれだけ身を落としても、それだけは、と願わずにはいられない。

  思いながら、サンダウンは腰に帯びた銃に手を伸ばす。深い疲れを滲ませながらも、生命の気配
 には過敏に反応する。自分に近づいてくるものならば、尚更だ。荒野に生きる狼やならず者は、夜
 と共に忍び寄ってくる。しかし、その気配にサンダウンは些か戸惑っていた。狼のように飢えた気
 配はなく、ならず者のように身を隠す素振りもない。無防備そのままで近付く気配は、サンダウン
 が知らぬものだ。
  反応に困っているサンダウンを余所に、無防備な気配は逆に躊躇い一つ見せずに近付いてくる。
 野営の灯りに、まずその新しいブーツで覆われた足を曝し、次いで上品なジャケットを、そして最
 後に白い顔をオレンジ色に照らして現れる。

 「へえ、あんたがサンダウン・キッドか。」

  濃い陰影を顔に引いて、彼は口元に笑みを浮かべ、くだけた口調でそう言った。
  夜の荒野には似つかわしくない優男だ。細い指も白い顔も、その首筋も、西部を主張する色では
 ない。こういう色をしている人間には、西部でも見かける。南北戦争の煽りを受け、流れてきた貴
 族達が。けれども、眼の前に立つ青年は、その何れもが漂わせる退廃の匂いからはかけ離れている。

  そして、彼が腰に帯びる黒く厳めしい鉄の光が、彼の属性をしっかりと主張していた。

 「昼間、あんたを街で見かけたから、まだこの辺にいると思ってたんだけど、当たりだったな。」

  ぬばたまのような黒い眼が、愉快そうに煌めいている。だが、その奥底に横たわっている冷然と
 した光を見抜けぬほど、サンダウンは間抜けではない。男の様子を窺いながら、その手は銃をいつ
 でも引き抜けるように張り詰めている。
  その事に男も気付いていたらしい。浮かべていた笑みを深くし、己の銃に手をかけて手の中でく
 るりと一回転させると、狙点をサンダウンに向けた。その時にはサンダウンも銃を引き抜き、撃鉄
 を上げている。
  引き攣れたような音の直後に、澄み切った音が響き渡る。ちかりと一瞬大きく煌めいて、黒い銃
 が艶めかしい身体を砂地に投げ出した。

  危ないところだった、とサンダウンは思う。危うく咄嗟に、白い大理石のような額を撃ち抜くと
 ころだった。その狙点がぎりぎりで手の中の銃に向いたのは、青年の黒い眼が一瞬透き通るように
 光った所為だろう。記憶の中の黒い眼差しも、時折ああいう光を帯びていた。
  手首を押さえて、零れ落ちそうなくらい大きく見開いた眼とぶつかる。宇宙を丸ごと呑み込んだ
 ような眼で見つめられ、サンダウンは酷く居心地が悪い気分になった。 

 「なるほどな。5000ドルの賞金は、その腕の所為か。」

  合点がいったと言うように、男は大きく見開いていた眼を元の大きさに戻し、口角をくっと持ち
 上げる。そしてゆっくりと砂地に落ちた銃を拾いながら、

 「撒餌みてぇなもんじゃねぇか。5000ドルを欲しがる奴と、腕試しに来る奴と、或いはその両方と。
  随分、不幸な星のもとに生まれたなぁ。」

  言うや否やの弾指、青年の身体は回転し、腕が跳ね上がる。
  再び引き攣れたような音が響くと、直後に聞こえたのは何かが倒れる音だった。風に混じって血
 の匂いが漂ってきたような気がして、サンダウンは眉を顰めた。それには気付かぬふうに、青年は
 黒い髪を揺らして告げる。

 「あいつらは俺が連れてきたようなもんだからな。責任は取ってやるよ。」

  その台詞に更に眉間に皺を寄せると、彼は振り返り笑みを刷く。
 
 「俺があんたに撃ち殺されるところを見たかったんだろうよ。俺が奴らの狩場を荒らすのが、気に
  食わなかったらしい。」

  衣擦れ一つ立てない綺麗な所作でサンダウンに向き直ると、手の中でくるりと銃を回転させ、そ
 れを帽子のつばで止める。かち、と乾いた音が響く。

 「けど、あんたの命を見逃してやるのは今日だけだ。次からは、遊びはなしだぜ?」

  立てた銃身の向こう側で、黒い瞳が鮮やかに閃いた。

  「俺は賞金稼ぎのマッド・ドッグ様だ。覚えとけよ……?てめぇの首に懸けられた賞金を頂く人
   間の名前なんだからな。」

  なあ?

 「キッド。」

  ゆっくりと白い角度を曝して、彼は微笑んだ。



  ――――サンダウン。