銃を弾き飛ばされて痺れた腕を抑えていると、身体を包み込まれる。
  見上げた先にあったのは、荒野特有の日差しの強い青空ではなく、それを背負って逆光で黒く突
 き抜けた男の影だ。枯れた風の音と共に、男の武骨な腕が伸ばされ、彼が好む葉巻とアルコールの
 匂いが広がった。
  自分以外の紫煙に包まれ、マッドは小さく身動ぎした。




  Auf die Hande kust die Achtung







  最近、自分達のやりとりの間に組み込まれたこの時間。始まったのは、サンダウンが一ヶ月程度
 姿を見せなかった後の事。
  何をどうしても見つけられなかった一ヶ月を過ぎると、姿を消したのと同じくらい唐突にサンダ
 ウンはマッドの前に姿を現した。古ぼけたポンチョに埋もれている姿を見つけた時、何はともあれ
 目深に被っているこれまた古ぼけた帽子を引っぺがし、生きているのかどうなのか――あんまりに
 もぼろぼろの衣服を着ているので一瞬野垂れ死んだ遺骸に見えた――確認した。
  表情の読めない光を湛えた青い双眸を見て、心底安堵した。
  だが安堵したのも束の間、眼の前にいた男は何を勘違いしたのか、マッドの腰を引き寄せあまつ
 さえ胸元に顔を埋めた。

  男である、マッドの。

  本気で、頭がいかれたのかと思った。長い放浪生活の末、遂におかしくなったのかと――今でも
 思っているのだが――思った。当然のように抵抗したマッドをやすやすと押え込んだサンダウンは、
 マッドの胸に顔を埋めたままぼそぼそと呟いた。

  ――寒い。

  言われてみればその身体は僅かにだが震えているようで。体調でも崩したのかと思ったが、そう
 でもないらしく。ただ、微かな懇願を、いつもは何事にも動じない男の声から感じ取り、マッドは
 抵抗を止めた。

  珍しい姿に狼狽した所為もある。
  それ以外に、少しの優越感を感じたのも事実だ。
  だから、サンダウンにされるがままになった。

  振り返ってみれば、それが大きな誤りだったのだろう。あの時、何が何でも抵抗しておくべきだ
 ったのだ。気持ち悪いとでも叫んで、引っぺがしておけばよかった。そうしておけば、今、こんな
 状況にならずにすんだのだ。味を占めた獣が同じ事を繰り返す事など良く知っていたはずなのに、
 完全に読みを違えてしまった。
  そしてマッドは、今日もサンダウンに抱き込まれている。 

 「………そろそろ放せよ。」

  サンダウンの古びたポンチョの中に埋もれていたマッドは、自分を囲う腕の持ち主に低く言った。
 一向に解ける事のないその囲いに焦れて言ったのだが、言われた本人は聞こえていないのかマッド
 を放す素振りを見せない。

 「………っ、遂に耳が遠くなったのかよ!」

  小さく怒鳴って身を捩ると、身体に食い込んでいた腕の力が一層深くなる。有無を言わせずに肩
 口に顔を押し付けられ、マッドは呻いた。男に良いようにされている事が酷く情けない。決闘に負
 けた後なだけに、屈辱感はひとしおだ。しかもそれが毎回続くと、まるで自分がサンダウンとそう
 いう取り決めをしてしまったようで。
  ぎり、と歯噛みするマッドに気付いたのか、サンダウンはその耳元で囁く。

 「頼む…………。」

  微かに必死さを滲ませた掠れた声に、マッドは抵抗しようとしていた手を握り締めて押しつぶす。

  そういうのは女相手にやれ。

  賞金首だなんだと言っても、サルーンの場末の店ならば、相手をしてくれる女は大勢いるだろう。
 まして、売春宿の女の中には、誰それに抱かれたという事をステータスにする者だっている。賞金
 5000ドルのサンダウンの名に惹かれ、抱かれたがる女がいるはずだ。
  しかし、そう言ってもみても、サンダウンには効かない事は既に実証済みだ。
  だが、マッドとしては、それでも言わずにはいられない。

 「女に頼めばいいだろうが。」
 「……………。」

  返答は沈黙だった。毎回毎回、そうやってはぐらかされるのだが、この男は分かっているのだろ
 うか。だだっ広い荒野の真ん中で男二人が抱き合って――いやサンダウンが一方的に抱いているの
 だから抱き『合い』ではないか――い る事が、いかに滑稽に見えるのか。サンダウンもマッドも、
 どちらもそれなりに上背があるのだから尚更だ。
  マッドにしてみればこんな状態、絶対に誰にも見られたくないし、見た人間は誰であろうと撃ち
 殺して口を封じてやりたい。大体、決闘に負けて男に抱かれている――単に抱き締められているだ
 けで性的な事は全くなくても――なんて事、死んでも知られたくない。

  そうこうしているうちに、肩に回されていた腕が動き、髪に指が絡む。宥めるように頭を撫でて、
 最後に少し力が籠り、ようやく解放される。
  乾いた砂と紫煙の匂いが離れていく。
  自由を取り戻したマッドは、その場に座ったまま弾き飛ばされてしまった自分の銃を探す。少し
 離れた所で鈍い光を放っているそれを見つけ、マッドはのろのろと立ち上がった。
  一瞬、あの銃を拾い上げてもう一度決闘に雪崩れ込んでやろうかとも考えたが、再度負けてまた
 同じように抱え込まれるのはごめんだ。いやその前に、さっきからこちらに近づいてくるサンダウ
 ン狙いの賞金稼ぎ達に、そんな状態見られたくない。
  いつもなら負ける事など考えないのだが、今のマッドはちょっぴり弱気だ。

  と。
  立ち上がったマッドの腕が、突然掴まれた。

  普段なら、マッドを抱くだけ抱いてさっさと何処かに行ってしまう男は、何故か今日はまだその
 場に居座っていた。その男が、マッドの腕を引き止めるように掴んだのだ。
  苦々しげにマッドは振り返る。だが、引き止めるかのように掴まれた腕は、その時には解けてい
 る。掴まれた時と同じくらい唐突に解かれた腕に、マッドは怪訝な表情を隠せない。

 「………?何だよ?」
 「いや…………。」

  ばさり、と衣擦れを立てて、サンダウンは立ち上がり無造作にマッドに背を向ける。普段と変わ
 らぬ背中にマッドは首を傾げていたが、自分も銃を拾うべくサンダウンとは逆方向に歩きだす。
  銃を拾い上げる瞬間、そういえばと思う。
  腕が解ける瞬間、爪の付け根に何か当たった気がした。
  少し湿ってかさついた、特有の弾力のある、あれは、まるで、

  思い至った瞬間、マッドは凍りつく。
  そして一気に顔と頭に血が上る。
  物凄い勢いで振り返った時には、最後の最後にわけのわからない行動を取った男の姿は、既に点
 になろうとしていた。

  その後ろ姿に、マッドは怒鳴り声を上げた。










手の上なら 尊敬 のキス