賞金稼ぎマッド・ドッグが狙っている賞金首が、次々と何者かに殺されているという話を聞いた
 のは、季節が秋を越えて冬に向かおうとしている時期だった。




  アクロイド





  マッド・ドッグと言うのは、私の賞金を狙う賞金稼ぎの一人だ。
  いや、数ある賞金稼ぎの中の一人、とだけ言ってしまうのは、彼の実力を鑑みると過小評価過ぎ
 る。マッドは紛れもなく、賞金稼ぎの中でも一、二を争う銃の腕の持ち主であり、彼が賞金稼ぎ達
 の頂点に君臨している事は、自他共に認めている事実だ。
  そして彼に狙われて、逃げおおせた賞金首はいない、と言う。
  それは誇張された表現などではなく、おそらく紛れもない真実だろう。
  事実、町に辿り着けば必ず一度はその町で、マッドによって捕えられた賞金首の処断が行われて
 おり、マッドに会った事のない保安官は一人もいないと言っていい。それほどに、マッドが捕えた
 賞金首の数は多い。
  何よりも、マッドの気質を考えれば、普通の賞金首はそうそう簡単に逃げ切れるとは思えない。
  これは私個人の事なのだが、マッド・ドッグという賞金稼ぎは、本当にしつこい。猟犬の中には、
 獲物を捕えるために何百キロと獲物と並走し、獲物が疲れたところに喰らいつくものもいるとの事
 だが、マッドも似たようなものだ。
  これまで、マッドは何度も私の前に現れてきた。その都度、私はそれを適当にあしらってきた。
  普通の賞金稼ぎならば、何度も空振りのような形で終わる追撃などはさっさと見限って、別の獲
 物を探しに行く。
  しかし、マッドは持ち前の執拗なまでの頑迷さで以て、今も私を追いかけ続けている。
  その様は、確かに狂犬の名前に相応しい。

  だが、狂った猟犬として見做されがちな彼は、決して向こう見ずでも無鉄砲でもない。一見、火
 の玉気質のように見えるが、実は慎重なほどに慎重である事を、私は知っている。そして、時とし
 て法の執行者である保安官や検事、弁護士よりも公正でもある。
  一度、彼がいつも手にしている古びた手帳を、ちらりと垣間見た事があるが、そこに書きこまれ
 ているのは、見ただけで頭が痛くなるほどの細かい字だった。それらはマッドがこれまで獲物とし
 てきた賞金首や、或いはそれに関係する人々の生い立ちや交友関係を記したものだった。
  この道で食っていくには、とマッドは言う。
  相手の事を知っておくのは、あまりにも重要すぎるほど重要だ、と。それは賞金首だけでなく、
 賞金を懸けた検事、保安官、或いは依頼人にも言える事だ。賞金稼ぎという職業は、ならず者と紙
 一重であり、人々の中には彼らを嫌悪する者もいる。そして、権力者達の中には彼らを捨て駒と考
 える者もいる。そうならない為にも、誰かの思惑に引っ掛かってその上で踊らされない為にも、情
 報と言う情報を得て、それらを精査するのは重要な事だ、とマッドは言う。
  そうした上で賞金首を捕えるからこそ、マッドは、狙った獲物は逃さない、と言われているのだ
 ろう。
  そして、狙った獲物に相応の罰を加えるのも、マッドだけだ。
  むろん、賞金稼ぎに罪人を罰する権利はない。賞金首を捕えた後の仕事は検事の仕事であり、罪
 を裁くのは裁判官の仕事だ。
  けれども、あらゆる情報を知り得たマッドは、おそらく裁判所よりも公正な裁きを下している。
  賞金首というのは、基本的に生死を問われない。だから、証拠となる物さえ提出すれば、撃ち殺
 しても――いや、銃殺でなくとも撲殺であろうとなんであろうと、かまわないのだ。
  しかし一方で、無血に拘る賞金稼ぎもいる。そういった賞金稼ぎは、基本的に賞金首を保安官に
 差し出して満足して終わるのだ。

  だが、マッドは。

  撃ち殺してしまう賞金首もいれば、保安官に突き出す賞金首もいる。ばらばらだ。
  まるで気紛れのようなそれは、しかし実はある一定の則に従っている。保安官に突き出すのは、
 小銭だとかパンをを盗んだだとかいうすぐに解放されるような犯罪者と、或いは重篤な、例えば銃
 を手にしていない一般市民を次々と殺していったという明らかに末路は縛り首と分かる犯罪者だ。
 前者はどう考えても撃ち殺すほどのものではないし、後者は銃殺などおこがましい。
  それ以外の犯罪者については、それこそマッドの気紛れだが、しかしそれでも飛び抜けて理不尽
 な眼には合わないだろう。

  一見気紛れに見えて、けれども誰よりも公正に銃を抜く。
  それが、狂気を冠した賞金稼ぎの正体だ。
  マッドは、人の嘆きの深さで、末路を決める。

  そんな『嘆きの砦』に長い月日追いかけられている私は、時々、マッドは何処まで私の事を知っ
 ているのか、と思う。
  マッドは、自分の成した裁きが出来る限り狂いの少ないように、長く手を伸ばして情報を得る。
 それがこれまで間違った事はなかった。ならば、やはり私の過去を知っているのではないだろうか。
  だが、それならば、何故私を追いかけるのだろうか。
  彼の裁きは、人々の嘆きと、そして彼が精査した情報を照らし合わせて判断される。嘆きが実は
 浅いものであったなら、マッドの裁きも浅くなる。
  それとも。
  マッドの目から見て、私の過去はやはり裁かれるべき物事なのだろうか。縛り首ほどではないに
 しても、彼に撃ち殺されるほどには、人々の嘆きは深かったのか。
  無理もない、と思う。私は結果的には、人々の期待に応えられなかったのだから。置きざられた
 人々の嘆きが深くても仕方がない。それに、あの後、私は敢えて、私が去った後のあの町の事は見
 聞きしないようにしていたが、もしかしたら私が去った後、 事態は更に悪化したかもしれない。
  ならば、マッドが私を断ずるべきと判断しても、おかしくはない。
  私も、マッドに裁かれるのならば、かまわない、と思い始めている。
  何処までも真直ぐで、自らの責任のもとに銃を抜く男が、撃ち殺すべきだと判断しているのなら
 ばそれはとても正しい。きっと、放たれた銃弾は、大天使の持つ炎の槍よりも熱いだろう。或いは、
 救いのない罪人に与えられた一匙の悪魔の炎のように、煌めいているか。

  ただし、それは私だけに齎されるものではない。
  賞金稼ぎマッド・ドッグは、当然の事ながら、私以外の賞金首も追いかけている。軽微の犯罪者
 であれ、重篤な犯罪者であれ、彼は狙えば必ず捕えて裁く。
  その裁かれた者の中に、彼に撃ち殺された者も、いる。
  そして、今も。

  マッドが、最近姿を見せない。
  それは良くある事だが、それが別の賞金首を追いかけているからだと直に耳にしたのはこれが初
 めての事だった。
  自分の女を殺された男が、殺した相手に復讐をした。撃ち殺したのだという。そして、その男は、
 銃を手にしていなかった。
  銃を持っていない者は、例えならず者であっても撃ち殺してはならない。それが西部の掟だ。
  復讐者は賞金首となり、捕えられれば縛り首となる。
  おそらくマッドは、縛り首という最低の汚名を防ぐために、男を追いかけたのだろう。きっと、
 マッドは『嘆きの砦』の名に懸けて、男を撃ち落とす。




  けれども、次に私が聞いたのは、復讐者が何者かに殺されたという話だった。
  マッドに殺されたのではない。
  他ならぬマッドが、殺され、打ち捨てられた男を見つけたのだという。荒野の短い丈の草の中に
 斃れた男の身体を、マッドは三日かけて町へと連れて帰り、死んだ女の隣に葬った。
  殺された男から金目の物は抜き取られていなかった。つまり、強盗にあったわけではないという
 事だ。額を躊躇なく撃ち抜かれていたという事は、撃ち抜いた相手は最初から男を殺すつもりだっ
 たという事。だが、賞金稼ぎの仕業ではない。賞金稼ぎならば、賞金を貰う為に保安官の所に向か
 うはずだからだ。けれど、その届け出はついぞなかった。
  結局、男を殺したのが何者なのかは分からないままだった。
  謎の死を遂げた復讐者の話は、しばらくの間荒野の町の間で噂になっていた。マッドが追いかけ、
 そして遺体を連れて帰ってきたという所為もあるのかもしれない。酒場で話の種となった憐れな復
 讐者の話は、けれども日が経つにつれて忘れ去られていった。

  だが、再び、事件は起こったのだ。

  小さな町のうらぶれた酒場の裏側で斃れた男が発見された。額に銃痕を残し、金目の物は全て手
 の中に残したままの、男の遺体が。
  彼は、別の町で小さなパン屋を経営していた男だった。
  しかし、ならず者達に店を荒らされ、一人娘を強姦された。次の日、男は銃を握り締め、ならず
 者達が屯している酒場に、銃弾を叩きこんだのだ。窓硝子が割れ、騒然となった酒場に、それでも
 何度も銃を撃ち払ったのだという。酒場の中から悲鳴が聞こえなくなるまで、何度も。
  全てが終わった後、酒場の中には誰一人として動く者はいなかった。
  そう、男は、ならず者達と一緒に、酒場のマスターと、そこにいる娼婦達まで殺してしまったの
 だ。
  それに何より、そのならず者達は町の有力者と繋がっていた。だから男の店を襲い、娘を犯して
 も何の裁きもなかったのだ。
  むろん、男には賞金が懸けられた。例え有力者の事がなくても、娼婦を殺した以上は縛り首だ。
 その有力者が誰かに撃ち殺された後であっても、その事実が覆る事はない。
  だから、マッドはその男を追いかけたのだろう。
  せめて、銃殺刑であれ、と。
  しかし、マッドの牙が届く前に、再び獲物は他の何者かに奪われてしまった。物取りではなく、
 賞金稼ぎでもない、何者かに。

  それからも、同じような事が続いた。
  額に銃痕を残した賞金首の死体が、次々と見つかる。その賞金首達は一様に、本来ならば嘆いて
 いる本人達であり、しかし不幸にも嘆きを聞き入れる者がいなかった為に罪を負わなくてはならな
 い――しかも縛り首という最低の汚名を――賞金首達だった。
  そして、彼らは全員、マッドに、撃ち殺されるべく、追われている賞金首だった。

  その事実は、賞金稼ぎ達の間でも噂になっているようだった。
  彼らの王であるマッドの獲物が、横から奪われているのだ。ひそひそと声を顰めて、一体誰が、
 と言い合っている。
  マッドに恨みのある人間がそれをしているのか。
  マッドは賞金稼ぎだ。当然、人を殺した事はある。嘆きによる裁きをしていると言っても、誰か
 の恨みを買うのは当然の事だ。或いは、マッドが『嘆きの砦』である事に不満のある者が、わざわ
 ざ、嘆きを持つ賞金首だけを狙っているのかもしれない。
  額を突き合わせながら呟き合う賞金稼ぎ達から、少し離れたところで脚を組んで座っているのは
 マッドだ。
  私は、遠くからちらりとその顔を窺う。
  獲物を奪われ続けている狂犬は、けれどもその表情には何も浮かべていなかった。どこか面倒く
 さそうな、眠たそうな顔をしているだけだ。
  今の状況に、何も思っていないのだろうか。
  私は、優雅に葉巻を燻らせているマッドを見て、そう思った。マッドの表情は、いつもは誰より
 も感情を露わにするけれども、しかし本当のところは良く分からない。
  獲物を奪われた事について何の感想も持っていないように見えるが、実は内心苛立っているのか
 もしれないし、もしかしたら、横取りした犯人を考えているのかもしれない。
  或いは。
  もう、誰が犯人なのか、気付いているのかもしれない。
  そう考えて、思わず身震いした。
  それが恐怖だったのか、或いは歓喜だったのか、私は自分でも分からなかった。
  賞金稼ぎマッド・ドッグという男が類稀な才を持っている事への恐れも確かに感じたし、その男
 が、じっくりと私に近付いているのを想像してはっきりと背徳的な喜びを感じたのだ。
  あの男になら、いつか、撃ち抜かれてもいい。
  けれども、その為には、マッドが他の賞金首に視線を向けないようにしなくてはならない。




  だから、私はある男を銃で狙っていた。
  あの男さえ消してしまえば、マッドは私だけを追いかける。
  夜の闇に紛れて、背の高い影の一番上を銃口で狙った。狙われている男は、静かに佇み月を見上
 げている。こちらには、全く気付いていないようだった。傍にいる馬の影も、微動だにしない。
  静寂が通り過ぎたその一瞬に、私は引き金を引いた。

  と、思った。

  が、それよりも早く男が振り返ったのだ。その手には、いつの間に抜き放たれていたのか、銀色
 のピースメーカーが握られている。

  轟音と共に、手に痺れが走った。同時に、握り締めていた銃が、遠くへと弾き飛ばされる。
  呆然として座り込んだ私の元に、背の高い影が、なんの戸惑いもみせずにゆったりとした足取り
 で近付いてきた。
  月の光を浴びた姿は、ただえさえ背の高い男をいっそう際立たせる。徐々に鮮明になる男の全貌
 に、私は息を飲んだ。
  草臥れた帽子とポンチョに包まれた男の砂色の髭と髪、そして青味の強い瞳。その静けさも相ま
 って、まるで生命の気配に乏しい荒野のようだ。
  私を見下ろした男は、おもむろに口を開いた。

 「……お前、か。」

  ここ最近、荒野を騒がせているのは。
  何もかもを知っているような口ぶりだった。

 「あれが、私に似た賞金首がいる、と、言っていたが。」

  かつて弁護士だったけれど、無辜の罪人の弁護に失敗し、縛り首にしてしまった男。そのまま町
 を出て、真犯人を撃ち殺し、そして賞金首になった男。そして、一度、銃の大会で賞を取った事が
 ある男。

  私の経歴を、つらつらと並べ立てる男は、全くの無表情だった。

    「見つけるたびに、泡を食ったように逃げ出す、と、あれは言っていたな。私は、あれの前から泡
  を食ったように逃げ出した事など、一度もないが。」

  先程から男が『あれ』と連呼しているが、それが何を指すのか、ようやく分かった。
  マッドの事を言っているのだ。
  つまり、この男は、他ならぬマッド本人の口から、私の事を聞いていたのか。それが一体何を意
 味するものなのか、私は必死になって眼を逸らした。
  それでは、まるで、この男とマッドの間に、入る隙間など一切ないかのようではないか。
  
 「どこが似ているのか、と思っていたが……なるほど、確かにこういうところは、似ているな。」

  男の声は、夜の底から響くようだ。
  静かだが、何かの事の起こりを予感させる、そんな声だ。

 「確かに私も、他の賞金首など全員死んでしまえ、と願った事はあるが。」

  そうすれば、マッドは私だけを追いかける。

 「だが、それをしたら、あれは、間違いなく、怒る。」

  その声と同時にカチリと音がして、途端に眼の前に銀色の銃口が口を開いた。

 「そして、あれは、今、怒っている。」

    自分の所為で、自分が嘆きを削ぐべき存在達が撃ち殺された事に。嘆きの砦が、嘆きを受け止め
 ずに、それどころか嘆きを食い潰すような存在を生み出した事に。

 「だが、あれには、お前を裁く事が出来ない。あれが出て行けば、お前が喜ぶだけだ。だから、私
  が来た。」 

  賞金稼ぎマッド・ドッグは、決して裁きの方法を過たない。
  そんな事、お前だって分かっていただろう。
  そう、賞金首サンダウン・キッドは、囁いた。

  その瞬間、私は、マッドに撃ち抜かれる夢が完全に潰えた事を悟った。その悟りが終わる前に、
 ピースメーカーの真鍮の銃口から、鉛玉が私の額目掛けて放たれた。