マッドは、つん、とその輪っかを組み合わせて球を作り上げた物体を突いた。
  中央に真鍮の球体で支えられた輪は、けれども中央の球体自体が揺れ動くので、マッドが突いた
 事で、ふらふらと全体的に揺れ動いた。




  Armillary sphere





  サンダウンは、マッドが塒に持ち込んだ、丸い物体をじろじろと眺める。
  丸い、と言っても正確には球体とは言い難い。輪を幾重にも重ねて、それらが組み合わさる事で、
 球体のように見える物体を作り上げているのである。転がせば、確かにボールのように転がってい
 く事だろうが、しかし球とは言えない物体である。
  どうやら真鍮で出来ているらしいそれは、ランプの光を受けて鈍く反射している。
  さて、その球体――としか言いようがない――は一本の真鍮の柱で支えられて宙に浮いている。
 その柱も途中でくの字に折れ曲がり、球の側面――という言い方も妙だが、とにかく球の真下では
 なく横手に張り付き、球を構成している一つの輪を支えている。その輪に別の輪が支えられ、更に
 別の輪が支えられ、という塩梅である。
  その輪の中央には、これまた真鍮で出来た、今度こそ球体といって良い物体が、ぽっかりと浮か
 んでいる。いや、正確に言えば、支柱に繋がる輪が、その輪の直径に跨る支柱を伸ばして球を支え
 ているのである。
  単純そうな構造に見えるが、しかし適当に組み合わせているような輪の重なりが、もしも計算さ
 れたものならば、結構繊細なものなのかもしれない。
  そして、先程マッドが突いた時に揺れ動いていたように、これはどうやら一つの輪っかを動かせ
 ば他の輪も緩やかに動くようなのである。

 「………………。」

  サンダウンはマッドと同じように突いてみて、それがふらふらと揺れ動くのを見る。
  しかし、そうやったところでそれが何物なのか、さっぱり分からなかった。
  この、謎めいた物体を持ち込んだ当の本人はと言えば、この物体を部屋の隅に、インテリアのよ
 うに置いた後、しばらく突いたり眺めまわしたりしていたのだが、今は飽きたのかお気に入りのト
 カゲ型クッションに背を凭せ掛けて本を読んでいる。
  自分の背丈ほどもあるトカゲ型クッションに、だらりと身体を凭せ掛けたマッドは、サンダウン
 が謎の球体をじろじろ見ようが、突こうが、特に何か思うところはないようだ。
  サンダウンとしては、この奇妙な物体が何なのか、説明をしてほしいところなのだが。
  尤も、マッドにしてみれば自分の塒に何を持ってこようがサンダウンに説明責任はないのである。
 マッドは、自分の好きな物――肌触りの良い毛布や、トカゲ型クッションを塒に持ち寄って居心地
 の良い空間を作っているだけである。
  そこにサンダウンが勝手に入り込んでいる事は、マッドとしては不本意な事だったが。
  それに、マッドとしては、マッドにとっては不本意なおっさんが、自分の持ち込んできた物にな
 んらかの興味を抱くこと自体が、想定外であった。
  サンダウンと言えば、何物にも無頓着無関心。世界には自分と自分の馬しかいないと思い込んで
 いるんじゃないかと、マッドは少し疑っている。荒野で決闘を申し込むマッドにも、左程興味を示
 していない――と思う。そのわりには勝手に塒に上がり込んでいるが。
  だから、マッドが持ち込んだ毛布に勝手に包まっていたり、トカゲ型クッションに親近感を抱い
 ていたりする事は、マッドにとっては不本意だし想定外だ。まして、恐らくこれまでもこれからも
 サンダウンには一生関わり合いのないであろう球体について、サンダウンが説明をしてほしそうに
 こちらを見る事など、想像もしていなかった。サンダウンの事だから、一瞥して後は酒を漁ろうと
 するだろうと思っていたのだが。
  サンダウンは、じろじろと球体を眺める。
  はっきりと言ってしまえは、それはサンダウンには絶対に似合わないものだ。いや、サンダウン
 だけではなく、この荒野には基本的にはそぐわないものだろう。マッドも、これを店で見つけた時、
 一体何の冗談でこれを荒野に持ってきて売りに出したのかと思った。
  これが何なのか分かる人間がいるのか。きっと、鉱夫やカウボーイは、見た事も聞いた事もない
 だろう。金持ちなら分かるかもしれないが、偶々金鉱脈を見つけた成金ならば知らないだろう。仮
 に知っていたとしても、欲しがるだろうか。普通に生きている人間にはなんら富を齎さないそれを。
  確かに、世界的規模で見れば、間違いなく人間全体の文化レベルを底上げしてきたものなのだが、
 その価値が分かる人間が、弱肉強食で金色の夢ばかり見ているこの荒野の何処にいる。
  マッドが分かるのは、偶々それを知り得る環境にいたからで、それに対して少しばかりの郷愁と
 物珍しさを持っていたからこうして買い取って置いているのだ。使い方も、何となくだが知ってい
 る。
  だが、マッドのような人間はごく僅かだろう。    
  ましてサンダウンなど、これを知っている知らない以前に、一番これを必要としない、一番遠い
 場所にいる存在ではないか。

 「あんたには、一番縁遠いもんだよ。」

  だから、マッドは冷ややかに、本から顔を上げもしないままに言ってやった。
  すると、サンダウンが身じろぎした気配があった。そして、カタカタと球が揺れる音が。

 「世界から遠ざかってるあんたには、興味がねぇ代物だろうよ、それは。」

  古代から人間が先を見通す為に、作り出した物。
  世界の動きを読み取ろうとした末の結晶。
  そして、故に知恵と知識の象徴。
  この世にある有象無象に対して、何らかの帰結を齎すべく作り上げられ、天の動きを読み取り、
 明日の空と己の行く末を知る為のものだ。この世の果てを彷徨っているふうな顔をしたサンダウン
 には、全く必要のない物だ。
  これは、人間達がなんとかして世界の波を乗り越えようとした果ての道具なのだから。
  乗り越える気力もないサンダウンには、無用の長物だろう。

 「天球儀だ。」

  天行を読み、日蝕さえもを予見し、そうしてままならぬ未来を見据えようとした。
  マッドの声に、サンダウンがようやく天球儀から目を離し、問うた。

 「………何故、私には、必要ない、と?」
 「あんたは先の事なんか知りたがってねぇだろうが。そもそも何処にも行くつもりもないくせに。
  そんな人間に、天球儀なんざ勿体なさすぎる。」

  古代の人間がサンダウンを見たらどう思うだろうか。
  哲学的に彷徨っているわけでもない。ただただ、無駄に死を先延ばしにしているくせに、しかし
 生きる気力も少ない。
  そんな人間には、天球儀でさえ、きっと導にはならない。

 「お前には、必要なのか?」 

  サンダウンが思いもかけない事を言ってきた。 
  マッドは呆れたような気分になって、本からようやく顔を上げてサンダウンを見た。案の定、サ
 ンダウンはもぞもぞと天球儀の近くにいて、青い眼でマッドを見ている。

 「あのな、俺はこれをインテリアとして置いてるんだ。必要だから置いてるわけじゃねぇ。俺はこ
  いつを必要としてねぇが、こいつが俺を必要としてたから置いてるんだ。」

  事実、マッドが見つけなければこの天球儀は、そのまま粗大ゴミになっていただろう。
  ついでに、とマッドは付け加える。

 「俺が天球儀を必要としないのと、あんたが天球儀を必要としないのは、根本的に理由が違うから
  な。お揃いとか思うんじゃねぇぞ、間違っても。あんたは行先自体がないけど、俺は行先もどう
  やってそこに行くかも知ってる。その違いだ。」

     ふん、とマッドはサンダウンを鼻先で馬鹿にしておいて、再び本に視線を下げる。
  私も、とサンダウンが何かを言いかけたのが視界の端で一瞬見えたが、まるごと無視する。辛う
 じて、行先くらいあると呟いているのが聞こえた。そして、うぞうぞとこちらにやってこようとす
 る気配が。

 「俺のところが行先とか言うつもりじゃねぇだろうな。」

  意外に柔らかいトカゲ型クッションを身体に巻きつけてガードしながら、限りなく素っ気ない声
 で問えば、サンダウンが近づく気配が止まった。

 「………駄目か。」
 「良い迷惑だ。おっさんが最終的に辿り着く俺の身にもなってみやがれ。」

  といっても、辿り着く側のおっさんであるサンダウンには、マッドの心境が分かろうはずもない。
  ただ、無駄にしょんぼりした気配を醸し出している。何気にうざい。うざいのでそちらに視線を
 向ける気にもなれない。
  トカゲで身体をガードしながら、マッドは本から再度眼を上げないまま、言い捨てる。 

 「ま、勝手についてくる分には隙にしたらいいけどな。」

  それはそれで迷惑ではあるのだが。