目が覚めたのは、風の音の所為だった。
  まだ日が登るには早すぎる時刻、厚手の布を窓に被せている所為もあるだろうが、辺りは完全に
 闇に落ちており、人間が一日の生活を始めるにはまだまだ早い。ただ、その闇の中、風の音だけが
 只管に声高だった。
  がたがたと窓ガラスを揺さぶる音に、サンダウンは微かに眉根を寄せた。
  随分と、荒れている。
  咄嗟に厩の事を考えたのはもはやどうしようもない。荒野で生きる男にとって、馬は切っても切
 り離せないものだ。故に、この寒波の中で馬が斃れるというのは、正しく人間にとっても死を意味
 する事だ。
  頭の中を掠め去った不安を、いや、厩の中は暖かかったから大丈夫だと自分に言い聞かせる事で
 何とか払い落とす。藁もどっさりと入れたし、二頭ともぴったりと引っ付きあって、寒さを凌げる
 ようにしていたではないか。
    なんとかそう思って、不安を払拭しているうちに、なんとか心が落ち着いてきた。
  しかし、落ち着いてきたら今度は別のものが気になってきた。
  サンダウンの腕の中で蠢いている毛布の塊――賞金稼ぎマッド・ドッグである。
  寒波が引き連れてきた寒さによって、完全に毛布の中に引き籠ってしまったマッドは、とりあえ
 ずサンダウンに引っ付いて暖を取っている。サンダウンもマッドを暖めようと小屋のあちこちから
 毛布を引っ張り出してきて、マッドと自分を包んで、毛布の繭のようなものを作り上げたのだが。
 マッドはやっぱりサンダウンの腕の中でも毛布に包まっている。まあ、サンダウンも毛布に包まっ
 ているから、二人の間に大した差はないのだが。
  しかし、そんな事よりも。
  マッドは相変わらずもぞもぞと震えている。こんなに、毛布に包められているのに、だ。怪訝に
 思ったサンダウンはマッドを抱えたままくるりと身体を仰向けにする。すると、当然の如くマッド
 はサンダウンの身体の上に乗っかるような形になる。その状態になって、マッドはますますもぞも
 ぞと動き始めた。

 「………苦しいんじゃないのか?」

  何か抗議するかのように激しく蠢いているマッドに、サンダウンは怪訝に思って問いかけた。サ
 ンダウンはてっきり、毛布に包まりすぎて熱くなったか酸欠しているかを考えたのだが、どうやら
 そうではないらしい。

 「……マッド?」

  普段は無駄にべらべらと喋る癖に、何故か今夜のマッドは大人しい。というか、ほとんど喋らな
 い。不気味である。
  もしかしたら、これはマッドの姿形をした、全く別の生物なのかもしれない。 
  そう思ったが、冷静に考えれば厩にいたあの黒い馬は、マッドの愛馬以外の何物でもないので、
 やっぱり不気味に無言を保つマッドは、マッド以外の誰でもないのだろう。
  暗い闇の中、自分の声だけが響くという何ともやるせないような気分にさせる状況に、サンダウ
 ンは毛布に包まったマッドの頭を撫でて、何とか声を出させようとする。そんな事をしてマッドが
 声を出すという保証は全くないのだが。
  現に、マッドが黙りこくった部屋の中には、甲高い風の音が不安を割り増しさせるように駆け巡
 っている。
  サンダウンが闇の中に飛びかう風の音に目を凝らしていると、マッドが再び動き始めた。むぎゅ
 っとサンダウンの胸に顔を押し当てているらしい――らしい、というのはサンダウンはマッドの顔
 がどのあたりにあるのか分からないのだ――マッドをサンダウンは抱き留め、ぼんやりと不安なの
 かな、と思う。
  サンダウンの中にも、漠然とした不安が渦巻いている。それは風の音によって何度も何度も繰り
 返して押し寄せ、その度に自分が妙に小さい生物になってしまったような、その一方で腹の中に蟠
 っているものが身体を食い破ろうとしているかのような、そんな気分になるのだが。
  もしかして、マッドも同じような気分になっているのだろうか。
  顔を覗き込みたかったが、毛布に包まっている上、サンダウンにぴったりとへばりつくマッドの
 顔を見る事は、やはり叶わなかった。
  代わりに、マッドがサンダウンに抱きついてきた。
  抱きついているのは、実は毛布の繭に入っていた時からずっとそうだったのだが、抱きつく力が
 少し強くなった気がする。気の所為かもしれないが。

 「………寒いわけではないんだな?」

  とりあえず、確認の為に問うてみる。

 「暑いわけでも、苦しいわけでもないんだな……?」

  すると、頷いたような気配があった。
  それに対して、サンダウンも頷く。
  問題がないのなら、それで良い。多分、マッドの震えはサンダウンが感じているものと同じ部類
 のものだろう。
  正直なところ、マッドがそういった漠然とした不安を抱えているというのは考えられなかった。
 けれどもサンダウンはマッドの事など何一つとして知らないし、マッドがどんな悩みを持って、何
 に不安を感じるのかも当然の事ながら知らない。だから、風の音に対して、他のほとんどの人間と
 同じように、微かな不安を煽られる事があるのかもしれない。
  それを、サンダウンが偶々見てしまっただけの話。
  そして、サンダウンも同じく不安を抱えている。それは、マッドが毛布に包まっている以上、マ
 ッドの眼には生憎と入らないだろうけれど。ただ、こうやって同じ不安を抱えている人間が傍にい
 るというのは、思っていた以上に心に落ち着きを齎した。
  サンダウンは、マッドを毛布の上から撫でながら、結局のところ、自分を癒してくれるのは人間
 しかいないのだと思う。 
  過去にサンダウンに訪れた、信頼と裏切りの日々によって、サンダウンは人間というものに不審
 を覚えている。だからこそ自分の首に賞金を懸ける事についても何の躊躇いもなかったし、それに
 よって石を投げられようと、荒野を彷徨う事になろうとも構いはしなかった。
  それは恐れがなかったのではなく、ただ単純に、もはや全てがどうでも良かったというのが正し
 い。人の命も自分の命も、どうでも良かったのだ。
  それでも、自分の手ではどうする事も出来ない巨大な力を前に、漠然とした不安――生物として
 は実に真っ当な命に対する不安が疼く時、傍にいて落ち着くのは、結局は人間なのだ。同じ不安を
 抱えている者どうし、身を丸くして不安を囁き合いながら宥め合いながらその場をやり過ごすしか
 ない。
  そう。
  サンダウンとマッドが抱え込んでいる漠然とした不安は、毛布の繭に包まれて、自分達の頭上を
 それが通り過ぎるのを待つ以外に、乗り越える方法はないのだ。

 「……明日は、晴れると良いな。」

  無言を保ち続けているマッドに、サンダウンはどうでも良い、けれども誰もが願う事を囁いた。
  それに対するマッドからの返答を願っていたわけではないが、毛布に包まっているマッドが、少
 し間をおいてから、小さく頷いたのが伝わってきた。
  微かなマッドの動きが肌に伝わってきたのを、少しばかりくすぐったく思いながら、サンダウン
 は、遠い昔、誰かにしていたように――或いは誰かにされていたように――マッドの頭を軽く叩い
 た。