その日、マッドは、一匹の、古びた獣を撃ち落とした。





  

  The End of Eternity 










  荒野は相変わらず乾いていたし、その夜も闇が深かった。
  けれども、遠くで明滅する光は、明らかに以前よりも明るさを帯び、遠くにまで届いている。そ
 してそこから零れ出る音も、これだけ遠く離れているというのに、はっきりとマッドの耳朶を打っ
 た。
  それは、確かに人がいる事を示す生活音ではあったが、しかし食器の擦れ合う音や風呂の湯を沸
 かす音ではなく、酷く無機質な、真を言い当てるならば車のエンジン音だった。

  狂ったように荒野を人間が横断しきって間もない。にも拘わらず、アメリカ大陸では田舎でしか
 なかった西部にも、確実に追いかけるように文明の波が押し寄せている。それに伴って、徐々に生
 活様式も変わってきた。
  何よりも、最近ではカウボーイの姿を見かけなくなった。以前は巨大な牛の群れを管理する牧場
 主が多かったのだが、より飼育のしやすい羊が牧場の大半を占めるようになった。羊達は牛に比べ
 れば大人しく、牧羊犬によって管理する事もできる。人件費を削減する為にも、羊の飼育へと移行
 していく牧場主が多くなるのは、仕方のない事だった。
  しかし、それはカウボーイ達の失業も意味する。
  行き場のなくなったカウボーイ達は、野に下り、そしてならず者達の中に紛れ込む者も少なくな
 い。そして、ならず者達が起こす事件は、必然的に多くなる。そうなれば、自然と賞金稼ぎの仕事
 も増えるのだが。

  マッドは、その先の事を考えて、顔を顰める。

  そんな特需は、長くは続かない。
  もはや、西部の荒野が無法地帯ではない事を、マッドは肌で感じている。法は十分に整備され、
 保安官がならず者達と癒着する事も少なくなった。きっと、このまま、ごく自然と、賞金稼ぎに皆
 が泣き付く事はなくなっていくだろう。今は小さな声しか出せない裁判所もしっかりとした身体に
 なり、弁護士達も横行する。そうなれば、彼らの代わりに法の網を掻い潜っていた、賞金稼ぎの必
 要性はなくなる。
  マッドは、自分がいつか必要とされなくなる日が来る事を、良く理解していた。

  だが、それが理解できぬ者もいるのだ。
  マッドは、足元で横たわる、古い人間を見下ろす。歳の頃はマッドと変わらない、一人の男が、
 腹腔から血を流して、地面をどす黒く染めている。もしかしたら、これがマッドの賞金稼ぎとして
 の最後の仕事になるかもしれない。
  そう思いながら男を見下ろせば、横たわる男は茶色の眼を震わせてマッドを見上げた。

     その顔を、マッドは確かに見た事があった。
  自分と同じ、賞金稼ぎとして荒野を生きた男だ。けれどもその男は、今、マッドの手によって命
 を消そうとしている。そうなった理由をマッドは知っていたし、そういう結果になってしまった事
 を後悔するつもりもなかった。
  何故ならば、男は確かにかつては仲間であったけれど、今はただの犯罪者に過ぎなかったからだ。

  遠くで響く車のエンジン音。
  男は、最期までそれが許せなかったのだ。
  何処までも、昔堅気な男だった。馬に乗る事を誰よりも好み、カウボーイ達が行き来する荒野で
 賞金稼ぎとして生きる事を誇りに思っているようだった。時にはマッドのもとで、共に賞金首達を
 狩る事を、酷く喜んでいた事もあった。
  しかし、それらは永遠ではない。
  馬が行き来する荒野には、黒光りする道路が敷かれ、その上を車が派手な音を立てて往来する。
 カウボーイ達は徐々に行き場を失い、街からも消えていく。それに伴って賞金稼ぎ達も職にあぶれ
 ていく。
  それは、時代の変化の一つであったし、また、この国が国として機能するにはどうしても必要な
 変化だったのだろう。その過程として、一抹の窮屈さがあり、弱者を踏みにじる醜さがあったとし
 ても。
  その窮屈さや醜さを、受け入れる事が出来なかったものは、表舞台から去らねばならない。まし
 て、それに怒り狂って、まったく無関係の自動車工場を狙って焼き打ちするなど、言語道断だ。し
 かし、男に追随する賞金稼ぎは多く、保安官達も手を拱いていた。
  だから、マッドに裁きの鉄鎚を握る権利が回ってきたのだ。
  かつての仲間を、撃ち落とせという依頼が。
  その依頼が来た時、マッドは表情一つ変えなかった。いつかそういう仕事が来るだろうと、半ば
 諦めた思いで感じていた。そして、今、マッドは賞金稼ぎとして、違う事なく仕事を終えたのだ。

 「どうしてだ………!」

  男が口から血泡を吐き散らしながら、最後に叫ぶ。

 「どうして、あんたが!」

  叫ぶ男の言葉に、マッドは顔を顰める。
  マッドは賞金稼ぎとして仕事をしただけだ。無辜の者を一方的な私憤で襲えば裁かれる。それは
 賞金稼ぎが跋扈していた時と同じ事だ。それとも、まさかマッドが回顧の情に流されて彼らを許す
 とでも思っていたのだろうか。
  顔を顰めるマッドに、男は言い募った。それは、正しく血の叫びだった。

 「俺達は、ずっとあんたの事を想っていたのに!」

  それを聞いた瞬間、マッドは彼らが未だに自分に対して酷い理想を持っている事に気付いた。彼
 らの中で、マッドは未だに西部一の賞金稼ぎであり、彼らの王者であり、そして嘆きの砦なのだ。
 それに気付いた瞬間、しかし気付いたところでもはやどうしようもなかった。
  マッドは銃を収め、死期の近付く男を見下ろす。あの頃に比べて、遥かに皺の多くなった顔で。 
 それでも、男には十分だったらしい。

 「どうして、どうして……。」

  血泡で覆われた顔に、一筋の涙が零れる。

 「どうして、俺らを置いて、何処かに行っちまったんだ!」

  その糾弾は、道を失った迷子のそれの態を成していた。
  何年前だったかもはや忘れてしまったが、男が糾弾したとおり、マッドは賞金稼ぎとしての仕事
 はしても、以前のように荒野を平定するような事はしなくなった。それは時代の流れを見て、もは
 やそれが賞金稼ぎの仕事ではないと判断したからであり、それと同時に足元に群がる賞金稼ぎ達か
 ら身を退くようになった。
  もともと、大きな狩りでもなければ基本的に一人でいる事が多かったマッドだ。それは、ごく自
 然に消えていったと思っていたのだが。彼らの中では、全く消えていなかったと言うのか。

 「あんたがいたら、俺らは、あんたについていったのに!」 

  あまりにも深すぎるそれに、マッドは小さく溜め息を吐いた。見下ろす眼差しから、殊更光を消  して。

    「………いつかは、賞金稼ぎなんて者がいなくなる事は分かってただろ?法整備の整った北部や東
  部では、そんなもんはほとんどいなかっただろ?歴史の波っていうのは、そういうもんなんだよ。
  最初は力づくで、けれどもそれが終われば法の波が押し寄せる。そしてそれは賞金稼ぎが起こす
  もんじゃねぇんだよ。」

  賞金稼ぎは法の網目を潜る者だ。間違っても、法を編み上げたり、それを執行したりする力はな
 い。蜘蛛の巣に掛からないように、同じく蜘蛛の巣から逃げた獲物を追い、叩き落とすだけだ。

 「そんな連中が、ずっと表舞台でのさばってるわけにはいかねぇのさ。俺らが作るもんは全部気紛
  れだ。次の日には形が変わってる。そんなもんが、人間を支配しちゃいけねぇのさ。」

  法は頑強にして、柔軟でなくてはならない。秋霜でありながらも慈雨もなくてはならない。その
 日の気分で、それをころころ変えるようでは、決して有り得ない。まして金で動くなど、あっては
 ならない。
  だから、賞金稼ぎは法の番人にはなりえず、消えるしかないのだ。
  今はまだ、この国の法は固いばかりで、人の心も格式ばって優しさが失われている。受け入れる
 力を持たない人の器は、きっとこれからも多くの血を流し続けるに違いない。だが、このまま気紛
 れな法が続くよりも、ずっと良いのだろう。
  マッドには、息苦しいが。
  だが、だからと言って、無辜の人間を殺す理由にはならない。

     そして、マッドは男の前にしゃがみこむ。

 「それに、なあ、いい加減にしろよ。お前ら一体いつまで俺にへばり付いていられると思ってたん
  だ?」

  俺はてめぇらの母親か?
  瞬きをする気力も残っていない男に、ゆっくりとマッドは言い聞かせるように告げる。

   「俺はてめぇらみたいなでかいガキを持った覚えはねぇし、お前らを引き連れてぞろぞろ荒野を歩
  くつもりもねぇぜ。」

  見ろよ、とマッドは自分の手を広げた。
  その手は相変わらず端正だったが、しかし以前に比べれば遥かに薄汚れて、皺も増えた。ささく
 れも多い。

 「俺だって、いつまでも若いままじゃねぇんだぜ。お前らが見てるのは、俺の幻影さ。お前らを率
  いて賞金首を狩ってた賞金稼ぎは、もう何処にもいねぇんだよ。」

     眼の前に翳された手を、しばし呆然と見やって、男はひゅぅひゅぅと木枯らしのような音を喉か
 ら漏らした。もう、口からは噴き上げる血すら出ない。口周りと顎を真っ赤に染めた男は、最期に
 ごぼりと、喉を鳴らした。  

 「それでも、あんたは、俺らの………。」

  その最期に零れた声は、最後まで聞こえなかった。 
  それっきり、男の茶色の眼は焦点を合わせる事はなかったし、喉が木枯らしめいた音を立てる事
 もなかった。
  だが、男が何を言おうとしたのかは、マッドには分かった。
  男の前に翳していた手を額に当て、マッドは首を横に振って溜め息を吐く。

 「まだ、俺を王だと思ってるのか?」

  そんな無意味な事を何故。マッドはもう賞金稼ぎという仕事に見切りをつけて、それ故に彼らか
 ら遠ざかったのに。いわば、彼らを見捨てたと言っても過言ではない。むろん、それは正式な王と
 臣下ではない彼らの間には、なんの意味も持たない言葉なのだが。
  マッドは、男の開いたままの眼を閉ざすと、その前で軽く十字を切った。神などそれほど信じて
 いるわけではなかったが、マッドはこれ以外の死者の弔い方を、知らない。  

  最後に、見捨てた物言わぬ臣下の額に薄く口付け、王はひらりと立ち上がった。