「あいつ、ぜんぜんうごかねぇな。」

 棚と棚の間の向こう側では、あの人面芋虫がずるずると床を這いずり回っている。棚は床に固定さ
れているため、人面芋虫の体当たりでは倒れたりはしないが、しかしいつまでもこうやって、ここに
閉じこもっているわけにもいかない。
 となると、出口は先程マッドが擦り抜けてきた棚の隙間と、もう一つ。部屋の扉である。だが。

「こっちがわにも、なんかいるみてぇだしな。」

 扉にぴたっと耳をつけ、マッドは呟く。閉じられた扉の向こう側でも、ずるずると這いずる音がし
ているのだ。もう一匹、別の人面芋虫がいるのかもしれない。

「しかたねぇ。しばらくはここにいるか。」

 床でマッドの動向を見守っているトカゲ二匹を見下ろし、そう告げると、トカゲの茶色いほうはキ
リッとした表情で、一方の白いほうのトカゲは不安そうな表情で頷いた。白トカゲは不安症なのであ
る。そんな白トカゲに、茶色トカゲが擦り寄る。

「とはいえ、ここでじっとしてるのもあれだ。なんかつかえそうなもんがないか、しらべようぜ。」

 そう言って、マッドは部屋の中を見渡した。
 大きな部屋を、棚で二つに区切っている部屋だ。棚は化け物が居座っている側にいるから何がある
かは調べられない。
 棚とは逆の壁側には、何か色々なものが詰め込まれた箱と、小さなベッドが置かれている。子供部
屋だったのだろうか。そして、ベッドのすぐ横にはサイドテーブルがある。
 箱の中も気になるが、マッドはそれよりもサイドテーブルの上で、何かが明滅している事のほうが
気になった。
 サイドテーブルの上では、半球のガラスの覆いの中に、小さな炎が閉じ込められていた。小さな炎
は蛍のように飛び回り、外に出ようとしてか何度もガラスにぶつかっては弾き返されていた。
 人魂である。
 サンダウンと同じ種類の存在だ。
 マッドがガラスの覆いを取り払うと、人魂はふよふよと部屋の中に浮かび上がった。しかし、それ
以上は何も起こらない。というか、何もできないのだろう。サンダウンがカボチャを依代にしている
ように、この人魂も何かを依代にしていたならば、喋る事もできるのかもしれないが。
 マッドはちらりと小さなベッドを見る。薄っすらと埃の積もったシーツは、そのベッドが長い間誰
にも使われていなかった事を示している。ベッドの主は、大きさからして子供だろう。ふよふよと浮
かぶ人魂は、もしかしたらこのベッドの主なのかもしれない。
 いずれにせよ、今のままでは人魂は良くも悪くも何もできないだろう。
 次にマッドは、サイドテーブルの引き出しを開けて見る。もさっと埃が飛び散ると同時に出てきた
のは、錆びて黒ずんでいるが銀製の万年筆だった。それが何かの役に立つとは思わなかったが、一応
入手しておく。
 コートのポケットに万年筆を入れたマッドに、きゅいきゅいとトカゲ達が声を掛ける。二匹のトカ
ゲはマッドがサイドテーブルを調べている間、箱のほうを調べていたらしい。
 トカゲ達が床に広げた箱の中は、古ぼけた玩具ばかりだった。しかし特筆すべきはそこではない。
トカゲは箱を倒して玩具を床にぶちまけたわけだが、たった今まで箱の底が密着していた床に、ぽっ
かりと穴が開いていたのだ。
 マッドがカンテラで穴の中を照らしてみれば、穴自体はそれほど深くはないが、どうやら壁の向こ
うにある部屋まで続いているらしい。

「なんでこんなもんをつくったのかはわからねぇが。」

 おもちゃ箱で隠してあったのを見るに、穴が開いてしまったのは偶々なのかもしれない。それを、
悪戯心で堀進めていったのか。
 だが、それを今考えても仕方がない。
 棚の向こうにも扉の向こうにも、人面芋虫が居座っている状態だ。行ける道はこの穴しかなさそう
だ。

「いくぞ。」

 マッドの言葉に、トカゲ達はマッドに駆け寄ってその肩に飛び乗る。これで準備完了だ。マッドは
穴の中に飛び降りると、てくてくと壁の向こうへと歩いていく。
 向こう側の部屋のほうに、抜け穴があいていなかったら、というのもあったが、それは杞憂であっ
た。辿り着けば確かに何かで塞いであったが、マッドが押せば少し持ち上がった。対して重くないも
ので塞いであるようだ。
 マッドとトカゲは塞いでいる物をじりじりとずらし、少し開いた隙間に手を滑り込ませて最後は無
理やり押しのけた。そして、耳をぱたぱたと動かして、穴の出口周辺の様子を伺う。
 物音はないし、何かの気配もない。
 マッドは耳をぱたぱたと動かした状態で、穴の中から顔を出す。そして本当に何もいない事を確認
すると、穴から這い出た。
 部屋は物置のようだった。明確に物置、と言い切れるほど雑然とはしていなかったが、誰かの、何
かの部屋、と言い切れるほど目的のある部屋には見えなかったのだ。
 机はあるがベッドはない。本棚はあるが、本は数えるほどしか入っていない。絨毯は上等のものが
引いてあるが、けれども置いてある家具はそれほど上等ではない。なので、マッドは物置と判じたの
だ。
 ただし、普通の物置には存在しないものが廊下に通じる扉の前に転がっている。
 骸骨である。
 扉に縋るようにして倒れている骸骨は、大きさからして大人のものである。着ている物は使用人の
ものだろう、あまり上質な物には見えない。
 気になるのは、扉に縋りついている事である。マッドは扉に近づき、扉周辺を調べてみる。だが、
扉にも、扉周辺にもおかしな仕掛けはない。最後にドアノブを回してみて、やっと理由が分かった。
鍵がかかっているのだ。そして鍵を外そうにも、鍵そのものが壊れてしまっている。

「とじこめられたんだな。」

 そして、餓死した、というところだろうか。
 隠し穴の事を知っていればそうはならなかったのかもしれないが、けれどもあの化け物どもが跋扈
していたならば、隠し穴から抜け出しても、結局は死は免れなかったかもしれない。

「ま、とりあえず、このへやをしらべるか。」

 先程の部屋よりかは、何か使えそうなものが有りそうである。
 まずは、机から取り掛かる。見るからに勉強机であるそれは、けれども勉強机のわりには何も乗せ
られていない。もう使わないからかもしれないが、寂しくぽつりと置かれた勉強机は、引き出しの中
には古いインク瓶だけを残して、それ以外には何も持っていない。
 まだ、ちゃぷちゃぷと中身が入っているらしいインク瓶をポケットに突っ込み、次にマッドは本棚
に近寄る。六冊しかない本は、どれもこれも重そうな百科事典だった。全て本棚の最下段に置かれて
あり、マッドでも取るのに苦労しない。最下段以外には、何もなさそうだ。
 マッドはとりあえず、一冊の百科事典を本棚から引き抜いてみる。しかし、百科事典の中身すべて
を調べるのは面倒くさそうだ。
 からから。
 と、背後で何やら乾いた音が響いた。何もいないはずの部屋の中で音を出せるものなど、マッドと
トカゲしかしない。そしてトカゲはマッドの両脇にいる。
 マッドが背後を振り返ると、そこには今まさに立ち上がったばかりの骸骨がいた。扉に取り縋るよ
うにして倒れていた骸骨は、立ち上がるとしばらく扉を見つめていたが、すぐさま何も入っていない
眼窩をマッドへと向けた。そして、マッドに向かって走り寄って来る。
 明らかに友好的には見えない骸骨に対し、マッドは手にしていた百科事典を両手で投げつけた。
 相手は骨である。それに対して鈍器は凶器である。
 マッドがそこまで計算していたかは分からないが、当然のことながら、骸骨は一瞬にして四散した。
ばらばらに跳ね飛んだ骸骨の中でも頭蓋骨は勢いよく頭上高くに飛び上がり、くるくると回りながら
床に落ちて、かんかんと跳ね、そして動かなくなった。
 マッドは動かなくなった頭蓋骨に近づくと、それを持ち上げる。何の変哲もない、ただの骸骨であ
る。やがて、マッドが手にしている頭以外は、さらさらとした砂に変わってしまった。
 しばらくの間、マッドは物言わぬ骸骨を見ていたが、やがて何かを思いついたらしい。あの穴の中
に再びもぐりこみ、人魂の漂う部屋へと戻った。

「おい、そくせきだが、おまえのそとがわをみつけてやったぞ。」

 そう、人魂に頭蓋骨を見せる。頭蓋骨と人魂が同一人物ではないとかそういう事は、マッドにはど
うでもいい。とりあえず、人魂に何かを吐かせることのほうが重要である。
 そんなマッドの気概というか気迫というか何というかを見て取ったのか、人魂は大人しく頭蓋骨の
中に納まった。
 マッドの手から離れ、ふわりと浮く頭蓋骨。

「これは、ジェームズのものだわ。」

 頭蓋骨の口が動き、少女の声がこぼれ始めた。

「だれだ、ジェームズ。」
「この骸骨の持ち主よ。」

 マッドのどうでもいい問いかけに、少女の声は答える。

「あなた、人間じゃないのね。」
「おまえだって、にんげんじゃねぇだろ。」

 人魂である少女は、マッドの答えに、そうね、と小さく呟いた。

「そうね、あなたが人間だとか、そういうのはどうでもいいわ。私は、あなたに、この家で何が起き
たのかを話さなきゃいけないもの。」
「それよりも、どうやったらだっしゅつできるのかをおしえてくれ。」

 それも教えるわ、と少女は話し始めた。