さて、2月14日。
  サンダウンは、賞金首の癖して賞金稼ぎマッド・ドッグを捜しに出かけた。
  マッドの行先など知らないが、荒野をうろちょろしていたら、どうせ出会えるだろう。自分達は
 そういう星の下に生まれているのだ。マッドからしてみれば、賞金稼ぎの仕事をしている時以外は
 非常に迷惑な事この上ない巡り合わせであるが。
  しかし、どういう魔法を使ったのか、それともオディオが邪魔をしているのか、マッドは今日に
 限ってなかなか見つからなかった。
  一体何処に行ってしまったのか。普段は運命かと思うくらい出会うのに。これはやはり、オディ
 オの仕業か。
  だが、生憎とサンダウンも欲深い事では、その辺の魔王に負けてはいない。
  オディオ――と決まったわけではなく、恐らく単に偶然の問題だろう――の妨害を振り払い、荒
 野を駆け巡った。荒地を駆け巡り、日暮れ寸前にとある街の酒場に飛び込んだ時、サンダウンは自
 分の運命が勝った事を悟った。
  要するに、マッドを見つけたのである。
  しかし、見つけた瞬間にサンダウンは顔を顰めた。
  酒場で娼婦達にちやほやされているマッドは、その膝の上を色とりどりの花弁で埋もれさせてい
 る。マッドの両脇にいる女達は皆が膝の上に花束を持っており、それがマッドを埋めているのだ。
  そう。
  勿論サンダウンも知っているが―だからマッドを捜したのである――本日はヴァレンタイン・デー
 である。
  ヴァレンタインなんてものを祝う事のない、原始時代、江戸時代、中国でもなければ、ヴァレン
 タイン当日にチョコレートが飛び交う日本でもない。
  正当なキリスト教が布教されているアメリカ西部では、ヴァレンタインは祝祭日の一つであり、
 愛の告白よりも、愛情や感謝を伝える日と認識されている事がほとんどである。
  なお、欧米では当然の事であるのだが、ヴァレンタインの贈り物と言えば、基本的に男が女に渡
 す。勿論、確固として決まっているわけではないのだが。
  なので、マッドが娼婦達に花束を贈るのは至って普通の事であった。そして意外とまめなマッド
 であるから、花束以外にも娼婦が喜びそうな物――化粧道具やらドレスやらを贈った可能性も高い。
 どこぞの無精で甲斐性のない茶色いおっさんとは大違いである。
  そして、その無精で甲斐性のない茶色いおっさんは、酒場の窓にべったりと張り着くという、一
 歩間違えれば営業妨害で訴えられそうな状態になって、恨めしそうにマッドを見ていた。むろん、
 マッドはその視線になど気づいていない。
  サンダウンは、マッドが娼婦を侍らせている事が羨ましくて見ているわけではない。女が嫌いな
 わけではないし、性欲が薄いわけでもないのだが、別に女に餓えているわけではないのだ。賞金首
 で自由気ままに女を買う事は出来ないが、しかしそれでも餓えるほどではない。
  というか、サンダウンは女が欲しいのではない。
  サンダウンは、本日はマッドに逢いたかったのだ。
  ヴァレンタインは愛の日だ恋の日だと騒ぐ日本人がいたが、それは大きな間違いである。キリス
 ト教の根深い、しかし穏やかな土地では、その日は確かに恋人同士で騒ぐこともあるが、一般的な
 祝いは恋人だけではなく近しい人間に物を贈り合う事だ。
  全てを捨てて放浪するサンダウンには、恋人や家族はおろか、近しいと言えるほど長く付き合っ
 ている人間は、いない。
  ただ一人を除いて。
  そして、そのただ一人であるマッド・ドッグは、けれどもサンダウンとは対極に位置する人間で
 ある。
  家族の有無はともかくとして、恋人は両手では足りないほどの数がいるだろうし、近しい人間も
 賞金稼ぎ仲間を筆頭に大勢いるに違いなかった。また、マッドにヴァレンタインのプレゼントを贈
 ろうとする輩も、これまた大勢いる事だろう。
  サンダウンとは違って、ただ存在するだけで周囲から愛されるような人間だ。膝を埋める花弁の
 数が、それを物語っている。
  きっと、この酒場に入る時、マッドの腕の中には大量のプレゼントと花束が収まっており、そし
 て歩いてきた道には花弁が降りしきっていたに違いない。そして、この酒場を出てくる時もまた、
 マッドは両腕に沢山の贈り物を持って同じように花弁を舞い散らせているに違いなかった。
  サンダウンは一人でいるのに。
  なんだか不貞腐れたような気分で、サンダウンは思った。
  別に一人である事に文句があるわけではないし、マッドが大勢に囲まれている事に嫉妬している
 わけではない。サンダウンは自分が取り囲まれる人間ではない事を知っているし、逆にマッドが舞
 台の中心にいるべき存在である事も知っている。そしてそんなマッドだからこそ、サンダウンを自
 分の舞台の片隅に置いても鷹揚にしていられるのだという事も。
  ただ、サンダウンとしてはマッドに、サンダウンが今の段階で一人である事を知っていて欲しい
 のだ。
  むろん、知っているだろう。マッドはサンダウンの事は、この世において誰よりも良く知ってい
 るはずだった。だからこそ、こういう時にもサンダウンが一人でいるしかない事を知っているはず
 だ。だからサンダウンの傍に来いというのは、サンダウンの傲慢でしかないのだが。
  べったりと酒場の窓に張り付くサンダウンは、幸いな事に誰にも見咎められる事はなかった。誰
 も茶色いおっさんとは関わり合いになりたくないのか、それとも単純に気づかれなかっただけなの
 かは定かではないが。
  とにかくマッドがほろ酔い気分になって、そろそろお開きにしようかという頃合いまで、サンダ
 ウンはべったりと酒場の窓に張り付いたままでいたのである。
  そして、サンダウンの予想通り、マッドが両手にたくさんの贈り物を抱えてウエスタン・ドアを
 押し開いて出てくるまで、サンダウンは誰にも声をかけられずにいた。いや、正確にはマッドが酒
 場から出ていっても、サンダウンは誰にも見咎められなかったのである。
  マッドにも。
  ふにゃふにゃとした気分で歩くマッドが、落としてしまったプレゼントを拾い上げようと足を止
 めて、身を屈めて再び顔を上げるまで、マッドはサンダウンに気づきもしなかった。マッドが顔を
 上げた時、マッドの目の前には、窓から移動してやってきたサンダウンがにゅっと立っていたので、
 嫌でも気が付いたのだ。
  ぬっと現れた図体のでかいおっさんに、流石のマッドもぎょっとした。しかもサンダウンの表情
 は何だか普段よりも険しい。腹でも痛いのだろうか。咄嗟にマッドが思ったのはそんな事である。
 よもや、茶色いおっさんが自分を捜していたとは、思いもよらない。賞金首と賞金稼ぎという関係
 性を考えれば、当然である。
  だが、サンダウンにそんな常識は通用しない。

 「……私に気が付かなかったな。」
 「あ?それがどうしたよ?」

    マッドにしてみれば、サンダウンに気づかなかったからといって困る事はあまりない。せいぜい、
 また逃げられた、と思うくらいである。

    「……賞金稼ぎとして、賞金首に気づかないのは、どうなんだ。」
 「なんであんたに賞金稼ぎとしての心構えみたいなもんを聞かされなきゃならねぇんだ。だったら
  あんたこそ、賞金首の癖にわざわざ俺の目の前に現れるんじゃねぇよ。」

     倍にして言い返されたサンダウンは、むっつりと黙り込む。口喧嘩ではマッドには勝てないから
 である。代わりに、じぃっとマッドの持っているプレゼントを見つめてみた。
  するとその視線に気が付いたマッドは、やらねぇぞ、と言った。

 「本気だとかそういうのは別にしてもなあ、こういうもんは貰った人間がきっちり自分でけじめを
  つけるもんなんだよ。だからてめぇには花弁一枚だってやらねぇ。」 

  花であるならば枯れるまで水差しに入れるだろう。
  手紙であれば読んでそれなりの返答を返すだろう。
  食べ物ならば欠片も残さず胃袋に納めるだろう。
  毒であったならそれ相応の報いを返すだろう。
  いずれにせよ、マッドは受け取った物は全て飲み下すのだ。
  ならば。
  サンダウンは、もたもたとポンチョの下から茶色い小包を取り出した。サンダウンと同じ色の小
 包にマッドは、なんでてめぇは持ち物も同系色にまとめてんだ、と呟く。
  保護色なんだなと頷いているマッドに、サンダウンは言いたいように言わせておいて、その茶色
 い小包をマッドが抱えている贈り物の上に置いた。なお、マッドは両腕が塞がっているので、抵抗
 出来ない。

 「おい、なんだよこの茶色いのは。」
 「………。」

  マッドの当然の問いかけを無視して、サンダウンはあっさりと背を向けた。
  サンダウンの想いもマッドが確実に飲み干すというのなら、サンダウンはそれで良かった。中身
 を見て、首を傾げ、それでサンダウンを追いかけてきても良い。 
  ただ、どんな形であれ、マッドはきっちりと自分の手で終わらせる。ならば、サンダウンの欲深
 さにも終わりを齎すだろう。
  どんな形であれ。