最初はただの偶然だと思っていた。
  そもそも偶然かどうかの判別が出来るほど、一緒にいるわけでもない。その日がそういう気分
 だった、という程度で終わらせてしまう事だって可能だ。
  しかし、それでも逢う度に、それが繰り返されれば、やはりどうしたって眼に着くというもの
 だ。
  幾度となく繰り返されてきた光景に、マッドは眉を顰め、最近薄々思い至っていた仮説を、結
 論という名に変えなくてはいけないのではないかと思った。





  Mushroom






  今、マッドの眼の前には一枚の皿が置いてある。五千ドルの賞金首が先程平らげ、ご丁寧に流し
 にまで持ってきたグラタン皿だ。グラタン皿には、マッドが腕によりをかけて作った、鶏ときのこ
 のグラタンが入っていた。
  舐めるように食べ尽くされたグラタン皿ではあるが、しかしマッドは眉を顰めている。
  本当に舐めたんじゃないだろうなという疑いさえ吹き飛ぶように、もといマッドの料理人魂――
 念の為に断りを入れておくならばマッドは料理人ではなく賞金稼ぎだ凄腕の――を打ち砕くように、
 その皿の片隅には、無傷のきのこ達が鎮座していた。

  最初にこの光景を見たのはいつだったかな、ともはや記憶さえ定かではない中、辛うじて、きの
 ことホタテのマヨネーズ焼きの時だと思い出せたのは、マッドの記憶力の賜物と言うよりも、サン
 ダウンから食費を巻き上げる為につけていた家計簿のおかげに他ならない。
  あの時はマヨネーズの所為で目立たなかったんだよな、と思い出しつつ、それから延々と繰り返
 され続けている皿の片隅にきのこが残るという光景を、走馬灯のように思い出していた。
  あまりにも長く続けられている所為で、もしかしたらマッドが死ぬ間際に走るそれは、本当にき
 のこが皿に残されている姿になるかもしれない。
  流石にそれは嫌だ、と思ったマッドは、食後の一杯の晩酌をわくわくと無表情で待っているサン
 ダウンを振り返り、彼が居座っているテーブルをひっくり返す勢いで怒鳴った。

 「おいこら、キッド!てめぇ人が作った料理を残すなんざ、どういう了見だ!」

  テーブルをひっくり返しこそしなかったものの、マッドは寧ろその手が壊れるんじゃないかと不
 安になるくらいの音を立てて、テーブルを叩いた。
  その剣幕に、葉巻を咥えて一服していたサンダウンはきょとんとしている。
  何の事だか分からないと言わんばかりのサンダウンの様子に、マッドはその眼の前にずいっとグ
 ラタン皿を押し付けた。
  先程自分が平らげたそれを見下ろし、サンダウンは呟く。

 「………空、か。」
 「てめぇの眼は節穴かよ!残ってるだろうが、きのこが!」

  自分の食べ残しを完全に無視した賞金首の発言に、マッドは間髪入れず真実を指摘した。

 「てめぇ一体何のつもりだ!この前からずっときのこを皿の隅に残しやがって!一週間前のきのこ
  と野菜の蒸し煮の時も、十日前のきのこオムレツの時も、先月のきのこと白身魚のソテーの時も、
  全部きのこを残しやがったよな!」

  よく覚えているなと呟くサンダウンに、伊達に家計簿はつけてねぇんだよと返し、そんな事より
 も!と吠える。

 「せっかくこの俺が、てめぇの銃の腕が鈍らないように栄養バランスを考えて料理を作ってんのに、
  それを残すたぁいい度胸じゃねぇか!何か言い訳できるってんなら言ってみろ!」
 「……………きのこなど、別に食べなくても生きていけるだろう。」

  ふい、と顔を背けて呟く賞金首。
  その態度は賞金稼ぎの怒りの琴線に触れた。
  一瞬で頭に血を昇らせたマッドは、サンダウンが傾けようとしていた酒瓶を奪い去る。

 「………何をする。」
 「やかましい!『きのこなど』?ふざけてんじゃねぇ、俺がどれだけ時間をかけて作ったと思って
  やがる!そんな事言って俺の料理を残す奴に飲ませる酒なんかねぇ!」
 「………それは私の酒だが。」
 「うるせぇ!この家にあるもんは俺のもんなんだよ!」
 「………何様だ。」
 「俺様だ!」
 「…………きのこ一つで何をそんなにムキになるんだ。」
 「うるせぇ!だったら食うな!」

  完全に怒り心頭なマッドは、着けていたエプロンを剥ぎ取るやバントライン片手に『出ていけ!』
 の一声と共に、サンダウンを小屋から蹴り出した。




 「それで、今日まで会ってないのかい?」

  ぷっくりと顔を膨らましたマッドに、アニーは呆れたように言った。
  カウンターに突っ伏して、子供のように膨れているマッドから聞きだしたのは、惚気と聞き違え
 るくらい頭痛がするほどの痴話喧嘩話だった。

 「そりゃあ、まあ、折角作った料理を残されるのは腹が立つだろうけどさ。」

  眼の前の賞金稼ぎと五千ドルの賞金首が、何故料理を作ったり食べたりという状況になっている
 のかについては深く突っ込まず、アニーは苦笑いと共に言った。

 「好き嫌いの一つや二つ、誰にだってあるもんじゃないの。あんたにだってあるでしょう?」
 「…………レーズンが嫌いだ。」
 「だったら、許してあげなよ。きのこ以外は全部食べてるんでしょう?」
 「舐めるように。」
 「じゃあ、あんたの料理が嫌いってわけじゃないんだからさ。」
 「けど、俺は、あのおっさんが持ってきたレーズンの袋詰めを、最後まで付き合って食べたぞ。」
 「……………。」

  それが一体どういう状況でそうなったのかを考えて、アニーは想像がつかずそれ以上考えるのを
 断念した。いや、そもそも賞金首と賞金稼ぎが一つの小屋の中で、共同生活めいた事をしている時
 点でおかしいのだ。
  この二人に関しては考え過ぎない方が良いと理解しているアニーは、ひとまず溜め息を吐いて、
 とにかくとマッドを見下ろす。

 「早く捜し出して、謝れば?」
 「俺は悪くねぇ。」
 「悪くないのは分かってるよ。けど、そんな事くらいで長い間会わずにいて、それでこのまま離れ
  たまんまなんて事になったらどうするの?」
 「どうもしねぇよ。大体、賞金首と賞金稼ぎが一緒にいる事がおかしいんだ。」

  ああ自覚があったのか、と思うと同時に、アニーはそれが強がりである事も見抜いている。

 「とにかく、はやく仲直りする事ね。あんたとサンダウンが一ヶ月以上会ってないって話、結構、
  噂になってるわよ。」

  こんなちっぽけなサクセズ・タウンにまで聞こえるくらいだ。他の町では賭けの対象くらいには
 なってるかもしれない。どういう賭けなのかは、その土地土地で違うだろうが。
  因みにサクセズ・タウンで繰り広げられている囁かな賭けの内容は、どちらが先に折れるか、で
 ある。多分、サンダウンが折れるのだろうが。
  そんな賭けが水面下で繰り広げられているとは知らない、当事者であるマッドは、頬を膨らまし
 たままカウンターから立ち上がり、酒場を出て行った。




  お気に入りの塒に辿り着いた時、当然の事ながらそこには一つの灯りも灯っておらず、誰もいな
 かった。
  ほっと息を吐きながら、もぞもぞとジャケットを脱いで、いつだったかサンダウンが勝手に設置
 したソファに寝転がる。
  マッドがお気に入りのこの塒は、実はサンダウンも気に入っているらしく、居座って好き勝手に
 あちこちを弄っている。
  そして二人が料理を作ったりして時間を過ごすのも、大概がこの小屋だ。
  勿論、一か月前の、食べ残しが原因の痴話喧嘩の舞台となったのも、此処だ。
  サンダウンが居座り続けて、サンダウンの気配が濃く染みついていたこの小屋も、あれ以降サン
 ダウンも近寄っていないのかその気配が薄れつつある。

  それが、正しいのだとマッドは理解していた。自分達が一緒にいるのが実はおかしいのであって、
 こうして背を向けているのが実は一番正しい在り方だ。
  しかし、気配は薄れても、サンダウンが残していったものは今でもその存在を主張している。置
 いていった酒やら葉巻やら、このソファや、どうやって持ってきたのかダブルベッドや。
  それらはサンダウンの気配がなくても、サンダウンを連想するには十分だ。
  どうやったら、こんなふうに自分を刻み込んでいく事ができるのか。

  もはや一種の才能だな、と確実にそれが刻み込まれた自分を嘲笑うように頬を引き攣らせている
 と、その頬の筋肉が歪に固まった。
  小屋の外、はっきりと男の気配が立ち昇って、マッドに刻み込まれたものと呼応している。ぞく
 ぞくと肩を震わせている間にも、足音が、近づいてくる。ぎぃと軋んだ音を立てて開かれた扉の向
 こうは、灯り一つなく暗い。その中に、闇よりも尚濃い影が立っている。

 「マッド…………。」

  マッドがいる事を確証しきった声で、サンダウンが声を響かせた。
  暗がりの中、何にも躓かずにマッドの傍に寄ってみせた男は、それが闇夜に慣れている事を示し
 ている。
  大胆且つ不遜で何処までも我が道を行く男は、その通りにマッドに近づき、しかしその瞬間に
 逡巡の色を見せた。

 「んだよ…………。」

  ぷくっと頬を膨らませてそっぽを向いたまま、不機嫌丸出しの声で答えると、サンダウンはしば
 しの躊躇いを見せた後、小さな声で、

 「すまなかった。」

  と囁いた。
  アニーの予想通り先に折れてみせた男は、マッドの耳朶を噛むようにして続ける。まるでそうす
 れば、マッドの機嫌が治る事を知っているかのように。

 「…………お前の作った料理が食べたい。」

  思わず、ころりと落ちてしまいそうな言葉だったが、マッドはそれを耐えて不機嫌を全面的に押
 し出した声で言い返す。

 「別に、俺の料理じゃなくたっていいだろ。どうせ残すんだし。だったらお前好みの料理を作る女
  を探せばいいだけの事じゃねぇか。」
 「…………お前ほど、私好みの料理を作る人間はいないが。」

  お前の料理が好きなんだ。
  強請るようにして告げたサンダウンに、マッドは一瞬、冗談抜きで絆されそうになった。
  それで何人の女を騙してきたんだとか思いつつ、ちょっと騙されそうになったと内心冷や汗をか
 きながら、マッドはむくれた表情を作ったまま、これまでずっと疑問だった事を尋ねた。

 「一つ訊きてぇんだけどよ。」
 「なんだ…………?」
 「あんた、きのこの何が嫌なんだよ。」
 「……………お前はあれが食い物に見えるのか?」

  寧ろ驚愕を以て返された挙句、あんな奇怪な形をしたものの何処が食べ物だと続け様に言われ、
 マッドは、ああ見た目が駄目なのかと頷いた。
  まあ、傘のついたあの姿は、確かに傍目にみれば食べ物には見えないかもしれない。でも確かリ
 スの仲間には、あれを食べる奴もいたような、と思い出した知識を披露せず、マッドは呑み込んだ。
 見た目で判断する男に、それを言ったところで意味はないだろう。
  それなら姿形が分からないように料理してやればいいかと思い、

 「ちっ、仕方ねぇな。今日は特別に作ってやるよ。」

  結局絆されてしまった。
  その返事に、満足そうに頬ずりしてくる男をひっぺがし、マッドは立ち上がってエプロンを探す。

 「てめぇの好き嫌いくらい、この俺が治してやるよ。」