その時、サンダウンは珍しい事に少しばかり苛々していた。
  もともとの性格が鷹揚で無造作なサンダウンが、何かに対してそうもあけすけな感情を抱く事は
 ほとんどないし、仮に抱いていたとしてもそれは無表情の仮面の裏側で滑り落ちて消えていくだけ
 だった。
  だが、そんなサンダウンの無表情に、ごく僅かにではあるがひびを入れるほど、サンダウンは苛
 立っていた。
  その原因は、先程から自分の周りをうろちょろしている賞金稼ぎにあった。




  Chatter Box





  サンダウンを付け狙う賞金稼ぎマッド・ドッグはお喋りだ。
  勿論、黙っている事もあるようだが、基本的にはお喋りだ。
  昨夜の女の話題から、何故知っているのかは知らないが細心の胃腸薬の話題まで、マッドは延々
 と話し続けている。サンダウンとは異なり、人目を避ける必要もなく、むしろ人にちやほやされる
 のが好きなマッドは、話の種にも困りはしない。その気になれば、幾らでも話し続けられるようだ
 った。
  それはマッドを好む人々――賞金稼ぎ仲間や娼婦などにしてみれば、楽しい話題であるには違い
 ない。マッドの伸びやかな声が散らばっているのは、彼らにとってはこの上ない幸福であるはずだ
 った。
  だが、マッドがこの世の中で唯一の天敵であるサンダウン・キッドにしてみれば、マッドのお喋
 りは眉を顰める事こそあっても、両手を広げて歓迎というわけにはいかなかった。
     サンダウンは賞金首であり、マッドは賞金稼ぎなのだ。
  それは天地が引っくり返っても変わらない事象であり、マッドがサンダウンの喉笛を噛み千切る
 のを今か今かと隙を窺っている事も自明の理であった。
  しかし、それにもかかわらず、マッドはサンダウンの後ろをぺらぺらと何事か喋りながらついて
 くる。
  普通に考えれば、それは明らかに他意があっての事だろうと判断できる。賞金稼ぎが賞金首を撃
 ち取る為に、その隙を作ろうと差しさわりのない会話をしているのだろう、と。
  だが、そういう穿った考えは賞金稼ぎマッド・ドッグに対してはてんで見当違いであり、その他
 の面では新しいもの好きであるにも関わらず、サンダウンとの決着については決闘という古風な手
 法に拘るマッドが、今唐突に心変わりをしてサンダウンを背後から撃ち狙うという事は考えにくい
 事だった。
  つまり、マッドは全くの屈託も邪気もなく、サンダウンの周りをちょろちょろとうろつき回りな
 がら、舌先を休めずに動かしているのだった。

    「でもよ、それってあれじゃねぇか。アイルランドとスコットランドの移民のどっちがどうっつっ
  たって、西部に来ちまえば結局は両方とも立場は同じだろ。生まれやら育ちを鼻に掛けたって仕
  方ねぇ。俺はそう言ってやったんだ。そしたらさ……。」

  マッドの話す内容は、良い馬の選び方から、何故かアイルランドとスコットランド、及びイング
 ランド移民の立場的要因から来る争いへと変わっていた。
  人通りの多い町の通りをずかずかと歩くサンダウンの背後で、マッドはのべつ幕無しに、一体何
 処に貴重な情報があるのかと首を傾げたくなる――要するに酒の席での与太話のような話を続けて
 いる。
  サンダウンはそんな与太話に頷くでもなく――そもそもマッドはサンダウンの背後にいるのだか
 らサンダウンの顔も見えていないに違いない――黙々と通りを突っ切り、そのまま町の出口を目指
 していた。その後ろ姿を、マッドはぺらぺらと話しながら追いかけている。
  生憎と、町の人々は、二人が高名な賞金首と賞金稼ぎであるとは気が付かなかったようだ。街は
 忙しく動いていたし、人の出入りも激しかったから、誰も他人の事になんて気も留めないのだろう。
 だから、二人は誰に邪魔される事もなく、マッドからの一方的な会話を続ける事が出来たのだ。 
  いや。
  マッドの話が途切れなかったかと言えば、そうではない。正確に言えば、途切れたわけではない
 のだが。

   「なあ、これいくらするんだ?5ドル?ちょっと高ぇんじゃねぇの?」 

  明らかに、サンダウンに向けてではない言葉が、マッドから発せられている。
  サンダウンは振り返らず、どうやら近くの店にあった何かについて、マッドが眼を向けたのだと
 理解した。
  では、マッドはそのまま店先で商品を値切る為の交渉に入るかと思えばそうではなく、

 「冷静に考えてみろよ。アイルランドだなんだって言っても、結局はその土地の貴族なんか一握り
  だ。で、貴族は間違いなくこんな砂だらけの西部に来るはずがねぇ。つまり、うらぶれた酒場で
  飲んだくれて、ああだこうだ言ってんのは、ただの庶民って事だ。そんな庶民がこの西部で、遠
  い島国の独立だ帰属だなんかを言い合ったって滑稽なだけじゃねぇか。」

  話の矛先は、再びサンダウンに戻った。
  というか、サンダウンには想像も出来ない事なのだが、マッドはサンダウンとの会話中に、全く
 別の他人との会話を時折挟み込んでくる。それも、この通りを歩いている間に、一度や二度に発生
 した事ではない。既に、十回ほどマッドはサンダウンとの話を打ち切っては、再度始めるという事
 を行っている。
  マッドがサンダウンとの会話――というにはあまりにも一方的すぎるが――を打ち切ってまで話
 をする相手というのは、特に誰かに固定されているわけではない。
  街行くちょっと見た目の良い娘に声をかけるだけのものもあれば、ガラの悪そうな連中をからか
 って楽しむ場合もあるし、先程のように店主に話しかける事もある。
  尤も、サンダウンは常に前を見ており、マッドを振り返らないので、詳しい事は分からないが。
  しかし、マッドは他人に話しかける事はあっても、サンダウンから離れる事は考えていないのか、
   やはり今の今までサンダウンの後を追いかけている。ただし、時折横道に逸れながら。
  そして、マッドが横道に逸れていく度に、サンダウンはその鉄面皮ともいえる無表情の眉間に、
 本当にごく薄い皺を寄せていくのだ。
  こうやって、マッドが街中でサンダウンに話しかけるというのは、珍しい事ではない。ただ、そ
 れは基本的には決闘の申し込みであり、それを無視したサンダウンへの罵詈雑言であり、吠え立て
 る声だった。
  マッドが、サンダウンがほとんど無視するような形であっても、街中を――通りの一列丸ごとを
 無難な話題で乗り切る事は、滅多にある事ではなかった。むしろ、今までにない事だった。
  マッドの尽きる事のない話というのは、些かうんざりするところもあるにはあったが、快活で、
 どこか音楽的な響きさえ湛えている端正なマッドの声と、その語り口調は人を簡単に不愉快にさせ
 るものではなかった。
  サンダウンも、別にマッドの話が不愉快なわけではない。
  ところかまわず吠え立てて、決闘だなんだと騒ぐのには困りものではあるが、マッド当人の事は
 嫌いではないし、マッドの話す内容は時にはサンダウンにも興味深いものでもあったりするから、
 無視しているように見えてきちんと聞いている。
  ただ、その話が先程から、ぶつ切りになる事が、妙に気に食わないのだ。
  そして今も。

 「よう、久しぶりだな。また今度飲みにいかねぇか?」

  イギリスの領地問題の流れを切って、どうやら顔見知りと出会ったらしく酒の誘いをしている。
  その話に対してサンダウンは何か働きかける事が出来るはずもないので、サンダウンは今まで通
 り無言で、町の出口に向けて、ざくざくと脚を進めるだけだった。
  マッドの声を無視して、町の出口に到達し、そしてそのまま町から離れようとした時、たたっと
    マッドが駆け寄ってきて、サンダウンの古ぼけた帽子をサンダウンの頭から奪い取った。
  むっとして、けれども無表情で振り返れば、いつも通りの皮肉気な笑みを湛えたマッドが、サン
 ダウンの帽子を手でくるくると回しながら、サンダウンを見ている。

 「あんた、まさかこのまま俺から逃げられると思ってんのか?」

  暗に決闘を示すマッドに、サンダウンは今度こそはっきりと、誰にでも分かるように眉間に皺を
 寄せた。
  今まで決闘の事など口にしなかったのに、この期に及んで言い始めるとはどういう事か。今まで
 どおり、出会った時に決闘を申し込んでいれば良かったのではないのか。
  サンダウンの疑問は、声にはならなかった。
  だが、サンダウンの疑問を読み取ったマッドは、ますます笑みを深くして、答える。

 「あんな人通りの多い場所で、決闘する気にはなれねぇな。あんたが、ギャラリーがあった方が燃
  えるっていうんなら別だけどよ。あんな、銃声一発轟いたくらいで、きゃあきゃあ騒ぐような場
  所、俺はごめんだね。」

  確かに、サンダウンが歩いていた通りは、人で溢れているような道だった。だから、決闘を口に
 しなかったという事か。
  だが、決闘を申し込むような気配も、マッドは醸し出していなかった。

 「そりゃあ、あんな場所でそんな物騒な気配出せるかよ。俺はあんたと違って、場っていうもんが
  分かってるんでね。」

  知り合いを見かければ挨拶もするし、良い女を見れば褒め言葉の一つや二つは平気で吐く。それ
 が、日常というものだ。
  そして、マッドの日常には、勿論賞金首との撃ち合いも含まれているが、それはマッド以外の誰
 かの日常ではない。例えば、街を歩く人々の。
  だからマッドは、あの場では決闘を申し込まなかったのだ。あの通りでは、銃の撃ち合いが日常
 となっている人々が少なかったから。
  マッドは、彼らに合わせて日常を演じていただけだ。
  途切れ途切れのマッドの話。その合間に繰り広げられるサンダウン以外の誰かとの会話。それは、
 サンダウンが置き去りにした通常の人間の世界か。
  マッドは、ふん、と鼻を鳴らし、手の中にあった帽子をサンダウンに返す――というかサンダウ
 ンに投げつける。受け止めたサンダウンは、マッドが投げつけた帽子の向こう側でバントラインを
 抜き放つのを見た。

 「だからと言って、あんたをみすみす逃がすほど俺は優しいわけじゃねぇ。だから、似合いもしね
  ぇのにあんな人ごみ溢れる大通りを隠れもせずに歩くあんたを、わざわざ追いかけてやったんじ
  ゃねぇか。アイルランドとスコットランドの揉め事話まで付けて。」
 「……馬の選び方の話のほうが面白かった。」 

  バントラインを掲げるマッドに、サンダウンはイギリス領の前に話していた馬の話のほうが面白
 かったと文句をつけた。
  すると、マッドは片眉を上げて、苦々しげに吐き捨てた。

 「やっと喋ったと思ったら、人の話についての文句かよ。だったらてめぇが何か話題を提供しろよ。
  ってか、聞いてたんなら、ちゃんと相槌くらい打てよ。碌に聞いてるような素振りも見せねぇで、
  何勝手に文句垂れてんだ。」

    通り丸々一列の会話は、確かに会話と呼べるものではなかった。マッドが一方的に喋り、時には
 他人の相手をするために途切れた。
  だが、もしもサンダウンがマッドの言うように、何かしらの反応を見せていたら、それは変わっ
 ていたのだろうか。
  サンダウンが途切れる会話に苛立つ事もなかったのだろうか。

   「てめぇ、今後気を付けるつもりがあるのかねぇのか、あるんなら返事くらいしろよ!いつまでも
  俺がてめぇの顔色読み取ってると思うなよ!」
 「……………分かった。」

  答えは出なかったが、マッドが騒ぎ始めたので、返事だけは返しておいた。